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「ククール」
 お前がそんな顔で俺を見つめて名前を呼んだら、それはザキ。
 俺は胸が締め付けられて、息が出来なくなる。
「僕も好きだよ」
 そんで恥ずかしそうに言ってくれるこの言葉がザラキ。
 上目に詰るように言うその仕草。誰に習った? それ犯罪だろ。
「今日は、いいよ……
 トドメがこの御許しの言葉。俺にとっちゃあザラキーマ。
 
 
 
 
 
 あぁエイト。
 お前の中で死なせてくれ。
 深っいお前の中で、俺を殺せ。
 
 
 
 
 
これは誰の、たれのなるか  

 
 
 
 こいつは俺のものだ。お前だって、俺のものだと認めてる。
 だから抱きたいのに。愛したいのに。こんな気分の時に限ってお前は不機嫌で、俺の言葉をすり抜ける。
「エイト」
 もとより口数が少ないお前が不機嫌な時は、その顔で理解る。ククールはそう思いながら、頬杖をついて端正な美顔を傾け、正面に腰掛けるエイトを眺め見ていた。
 呼ばれたエイトは黙々と地図を見つめている。
 「西へ向かった」という言葉を頼りに、今日は一日中船を走らせてドルマゲスの行方を追った。しかし、この広大な海にひしめく茫漠たる大陸は、些かの手掛かりも与えてはくれず、長閑な潮風だけがやけに空しく髪を撫でていたのが無性に腹立たしかった。
「エイト君」
 名前を呼ばれても彼は喋らない。
 久しぶりに故郷の荒城を見て、寡黙な彼は静かに闘志を奮い立たせたに違いない。常に仇には後手を踏んで、焦慮する気持ちもあるだろう。
……シャワー浴びてくる」
 重苦しい溜息をひとつすると、エイトは髪をクシャクシャと掻きあげて席を立った。 陰鬱な雰囲気のテーブルに、ククールと地図が取り残される。
 一人になったククールは、そこで漸く苦笑を漏らした。
 エイトがこのような感情を露わにするのは、自分の前だけだ。日中、トロデ王や姫君の居る場所では、苦労の欠片も見せはしない。食事後にメンバーで行う「作戦会議」も、リーダーであるエイトはその責任故か、疲れや愚痴は一言も口にしない。ククールと同室になったとき、自分の前に彼しか居ないというとき、エイトは初めて苛立ちや悔しさを吐露する。
 故にククールは、エイトが焦心して地図を眺め、己に気遣いなく感情を曝け出して振舞っていることが何ともいじらしい。
(可愛い奴)
 今は熱いシャワーを被りながら、己の苦悶と向き合っているに違いない。
 あまり感情の読み取れない表情でも、ククールには手に取るように判る。
 浴場から水流の音がして、止んで暫くするとエイトが出てきた。タオルで頭をすっぽりと覆い、洗い流せなかった悶々たる感情をそれで隠しているようだ。「お疲れ様」と声をかけても彼に返事はない。ククールは暗雲をたち込めたエイトを横目で見やりながら、溜息を隠して脱衣所に入った。
 エイトが先に温めた浴室には、まだ湯気が残っている。ククールは蛇口を捻ってシャワーを浴びた。
(仕方ねぇなぁ、)
 感情、特に負の感情を表に出すのがどうも得意ではないらしい。エイトは最近になって漸く態度や表情での心情表現を見せるようになったが、それもククールの前に限られている。それは彼の不得手のせいか非常にぎこちなくて、ククールは可笑しくて仕方なかった。
 しかし、それさえエイトの愛嬌や魅力として惹かれてしまうのは、どうしようもない恋の感情。正直、ここまで彼という人物にのめりこむとは思わなかった。そんな自分を冷静に自覚できるものの、益々加速していく劣情に思わず失笑してしまう。
(怒ってるエイトにまで、そそられるなんて)
 ククールは頭を振りながら壁に手をついて、降り注ぐ熱い飛瀑に項垂れた。
(末期だな)
 
 
 
 
 
 髪を乾かして部屋に戻った時には、既にエイトはベッドで横になっていた。タオルを頭に被せたままの状態から察するに、シャワーを浴びた後、彼はそのまま吸い込まれるようにベッドに倒れこんだに違いない。
……
 ククールは一息ついて部屋の灯を消すと、サイドテーブルの明かりを頼りにエイトのベッドに近付いて腰掛けた。ギシリと鈍い音が薄闇に溶ける。
「吐けよ。愚痴でも弱音でも聞いてやるから」
 蹲って背を向けるエイトに、ククールは静かに言った。
……
 しかしエイトの反応はない。
「あのさぁエイト君。こっち向けって」
 ククールは彼の肩を掴んで無理やり引っ張り、己を見させる。曇ったエイトの顔が、タオルの隙間より覗いた。
「エイト」
「何」
 こんなに機嫌が悪いのは珍しい。しかし表情から見ると、苛立っている様子でもない。ククールは、エイトの無表情に隠された何とも言えない不思議な感情に、理由もなく揺り動かされてしまう。目が離せなくなって、ついついかまってしまう。
 やや自嘲的に笑みを零したククールが、優しく言った。
「一呼吸ついて、何か喋れ」
……
 ククールは、子供をあやすかのように穏やかな視線を降り注ぎ、彼の反応を待っている。これは、エイトの前でしか見せない微笑み。秀麗な面持ちが最も美しくなる瞬間でもある。
 エイトは暫くその微笑を眺めると、彼の言うままに深い呼吸を一つして、口を開いた。
「もう、行方が辿れなくなったら……どうしよう」
 ククールはその一言で解った。
 エイトはこれ以上言葉を続けることはなく、ククールの瞳をじっと見つめて反応を窺っている。
「なんだ。不安なのか、エイト」
 聞いてククールは苦笑した。それは何処か安心したかのような笑顔。
「なんだって、なんだよ」
 エイトは彼の苦笑いが引っかかったのか、再び背を向けて丸まった。彼の上掛けに大きな皴が寄る。
「どんなダンジョンも魔物も余裕顔のエイト君が、そんな事で不安がってるなんてね。意外に可愛いなと思って」
 ククールはエイトの寝返りを押し留めようと、彼の肩に手を添える。
「だって、そうだろ?」
 エイトが背中ごしに言った。
「このまま手掛かりを失ってしまえば、僕達、どうなるか分からないよ」
 ククールの微笑は変わらない。
「エイト、こっち向けって」
「なに、」
 重い動きでエイトが振り返ると、ククールは安らかな微笑を湛えて、優しい眼差しを彼に降り注いでいた。
「無性に機嫌が悪かったり、落ち込んだりする日があるんだよ」
 ククールは知っている。
 底知れぬ自分の感情の澱みに、エイト自身が戸惑っていることを。感情の起伏や変化に乏しい彼は、漸く表面に出てきた複雑な感情に思考が追いつかない。それが他人に見せて良い感情かどうか理解らなくて、晒してよい感情かどうか理解らなくて。
「今日のお前はそれだって。日が経てばコロリと元気になるもんさ」
「そうかな」
 ククールはもはや彼の何を見ても、感じても、その全てを受け容れられると思っている。今更、気遣い合って、躊躇して、恥らって、隠すものなど何もないと。
「でもさ、本当に見失ったら……
 エイトの不安げな眼差しはまだ晴れなかった。
 ククールは彼の弱々しい言葉を遮るように、彼の瞳をじっくりと見て近付く。
「エイト」
 夜の漣にように静かに響く、優しい声。
 薄暗い部屋に、ククールの眼差しが月光のように妖艶に煌く。
「勇気、分けてやる」
 エイトの細い顎を持ち上げて、ククールはそっと唇を塞いだ。薄い両唇がエイトのそれをしっとりと覆って、慈しむように輪郭を這う。
「んっ……
 触れた瞬間は緊張するものの、エイトは長い口付けに心を解されると、力を抜いて身を委ねた。ククールは彼の肉体の強張りが取れたと思うと、漸く唇を離す。
「エイト」
「うん」
 滑らかに弧を描いた蠱惑的な目尻に色が挿す。翠天の色をした彼の瞳に吸い込まれて、エイトは眼が離せなくなる。
「俺が居るから」
「うん」
「だから、怖くないだろ」
「うん」
 美しい人。
 ククールは、おのずと知れた佳顔を備える美麗なる人ではあったが、嘗てこれ程まで殊色を見せたことはあったか。エイト以外にこの玉容を見ることが出来る人物など居ただろうか。
 暫しその微笑に心を奪われたあと、エイトの口端がやっと上を向いた。
「ありがとう。ククール」
 はにかんだような花顔。艶のあるククールのそれとは違うが、その純粋な笑みには心から輝き出る美しさがある。
……おう」
 ククールは、彼の莞爾(かんじ)とした初心な笑みに思わず閉口してしまう。狼狽して頭を掻く。結局、恋の虜になったのは自分の方で。
 彼の笑顔を暫くは惚けるように見つめて、ククールはそれからバツが悪そうに瞳を逸らした。
「あー。それでさぁ、」
「どうしたの。ククール」
 彼らしくもなく視線が泳ぐ。
「んー、あのな」
「?」
 小首を傾げて、エイトが不思議そうに覗いている。
 先程までは息を飲まんばかりの秀麗なる美顔を湛えていたククールが、困惑に満ちて戸惑っている。その変化をエイトはまじまじと見つめていた。
「君を、見ているとですね、」
 無表情にのせられた、あどけない瞳。真っ直ぐに注がれるエイトの視線をかわしていたククールは、遂に薄笑いを浮かべて彼を見つめた。
「ココ、きついんですが」
 顔を見合わせたエイトは、ふと視線を移して彼の指差す先を見つめる。ククールのそこは、今や確りと存在を主張し、窮屈そうに服を押し上げていた。
……
 視線を戻すと、再び目が合う。ククールがニッコリと笑って、エイトを伺うように言った。
「エイト君を見てたら、こうなりまして。脱いでも宜しいでしょうか?」
「どうしていきなり敬語なの」
「お許しを頂きたくて」
 次に微笑んだ時のククールは、嘆声のあがらんばかりの艶やかな佳顔だった。一気に色香が挿して、とびきりの妖艶をかもしだす。それは美獣。
……馬鹿」
「えぇ」
 エイトは、そんな彼に見惚れながらも、呟くように悪態をついた。ククールは、それが照れ隠しに言う紛らわしの言葉だということを勿論知っている。そして、彼をこのような状態にまで持ち込めば、この先を掌握したのも同然だということも。
「なぁ。俺のこと好き?」
 そうして目を合わせながらククールが手をかけたのは、自分の服ではなくエイトの服の方。エイトはこれに慌てつつも、彼の手を拒もうとはしない。
「何を今更、」
 問い詰めるククールの視線は、艶っぽく己の身を締める。湯上りの簡易なシャツのボタンは、戸惑うその合間にも順序良く外されていく。
「好き?」
 撫でるような、擽るような。低くて甘い声に誘われる。
「ククール、」
 シャツから胸が肌蹴たとき、エイトは彼の名前を呼んだ。
……好きだよ」
 この言葉でククールの手が止まる。一瞬、時間が止まった気がした。
「僕も、好きだよ」
「じゃ、俺のもんになってくれる?」
 服の上を滑っていたククールの手が、そっとエイトの額に寄せられる。大きな掌がエイトの顔を包むように覆うと、ククールはそれを愛おしそうに撫でた。
「今日は、いいよ……
 その視線は、上目に詰るような視線は。
 こんな情のやりとりなど、経験どころか聞き知りもしなさそうなエイトが、それでも妖艶に見えるのは、自分の錯覚か盲目か。それとも彼の本能か。
 エイトの視線に胸が鷲掴みにされて、息が詰まりそうになる。身体の芯に灯が宿り、魂を疼かせる。
「俺、死んでもいいかも」
 彼を見つめたククールが、溜息混じりに微笑した。  
 
 
 
 
…………ゃぁっ」
 薄暗い安宿のこの一室は、荒い息遣いと生温い体温で満たされている。今のこの空間では、闇さえ甘く凪いでいる。
「ぃ、や……っククッ!」
「やだ? やめる?」
 エイトの両脚付け根を漂っていたククールが、頼りない声に呼ばれて彼の嬌顔を伺う。
……
 潤んだ瞳でエイトは彼を見つめた。
 既に彼の唇は、執拗な口付けで真紅に染まり、上気した頬と合わせて桃色に輝いている。
「まぁ俺、エイトに止めるって言われても止めねぇけど」
 大きく胸を上下させ、淫らに吐息を荒げるエイトに向かって、ククールが小気味よく微笑した。
「じゃ聞かないでよ」
「お前の困ったトコロ、見たくて」
 そう言ってククールは、彼の頬や額、首筋へと啄ばむように小さな音を立てながら、濡れた唇を滑らせていく。
「あっ、あ……っ」
 淫らな吐息が漏れる度に、ククールは急かされるように指と舌を這わせた。何度も唇を滑らせて、肌を吸うように愛撫すると、道のように桃色の斑点が浮かび上がる。
「エイト……
 鎖骨に沿って散らした桜花を見て、ふと考える。
「印、つけてるみたいだな」
「印?」
「あぁ。俺のもんですよって、マーキング」
 今しがた己がつけたその斑点を、ククールが微笑して指でなぞると、エイトの身体がビクンと波打った。
「俺、これ好きかも」
 所有欲の顕示。それは動物の本能行動だとククールは思った。
 これは獣のナワバリ意識と何ら変わりない。己は禽獣と同じく所有を自己確認し、他に知らせようと印をつける。己のものだと主張して、他に捕られまいと印をつける。
「ぁあっ……ククッ、」
 ククールはそう思いながら更に桜花を散らしていった。
 掌は自ずとエイトの怒張へと向かって、頻りに痺れるような官能を送り続けている。エイトもまたその刺激の甘さを伝えようと、自分と同じ彼のそれを愛撫していた。
「あぁエイト、その顔」
 最近になって漸く表情を豊かにさせてきたエイトが、今やこんな恍惚に歪んだ狂態を見せるとは。それも全ては自分の前だけに現れるもの。吐息を絡めて縋るように己を見つめる彼の姿に、ククールは胸が切なく昂揚する。
 おとぼけた無表情も、時々見せる心からの笑顔も、むくれて拗ねるいじらしい顔も。こんなエイトを見たならば、その全てがかき抱きたくなるほどに愛おしい。
「は……ぁっ……
 そして今の、快楽に戸惑い、怯えながらも身を震わせて堕ちてゆくお前は。
 俺しか見れない、俺のもの。
「その表情(かお)、凄ェやらしい」
「あぁ、クク……、クク……ッ!」
 ここに在るは、この上なく淫らで美しい恋人。
 首を左右に振り、下肢に波打つ水音のようにピクリと全身を跳ねさせ、うっすらと閉じられた瞼に滴を溜めている。呼吸か嬌声かすら判らない息使いで、己を抱いている。
 ククールは暫し乱れたエイトを俯瞰して、静かに言った。
「悪ィ。今日は優しく抱けそうにない」
「?」
 そう言うとククールは、エイトの腰を持ち上げて四つん這いにさせ、確り抱えて一気に挿入した。
「あぁァ……ッ!」
 搾り出すようなエイトの甲高い嬌声が枕に埋まった。
 ククールは背後より、貪るように彼を揺する。
「ぁ、はぁっ……クク、そんなっ……
 勢いよく腰を送り出し、欲望を打ち付ける。
 もはや縋り付く理性などない。本能のままに彼を貫き、獣になって己を注ぎ込む。
「エイト」
 耳元で舐めるように彼に囁く。
「俺のもんだから」
「あぁっ……あっ、あっ、あっ」
「お前のもんだから」
 ククールは無心に肉欲をぶつけながら囁いていた。
 
 
「っ、はぁ……っ!」
 
 
 こいつは誰にも渡さない。
 離さないし、放さない。
 
 
「クク……ぁっ……ククッ!」
 
 
 俺の印を、俺の証を。
 刻みつける。焼き付ける。
 
 
……ッッ……ッ!」
 
 
 醜くてもいい。汚くてもいい。
 お前を縛って、連れ去って。
 俺という永遠の檻に閉じ込めてやる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ……此れは誰の像(かたち)、たれの號(しるし)なるや?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【あとがき】
胸元のキスマークとか、薬指の指輪とか。
束縛したいし、されたいんです。多分。
時には「見える」ことが何よりも確かめられるというか。
ククールはそういうのが好きそうな気がしたので、一作。
 
 
 
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