HERO
 
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JESSICA
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 塔の最上階に辿り着くと、リーザス像が穏やかな表情で二人を迎えてくれた。嘗ては紅に輝いていた両の瞳は今や光を失い、ただの石の眼(まなこ)になってはいるが、彼女の優しい眼差しが色褪せることはない。
 長い階段を昇り終えたゼシカがゆっくりと辺りを見回す。探すこともない。すぐ傍、彼女の足元にオーブはあった。
 深い蒼に光り煌めく3つ目のそれは、ひんやりとした石床に独り静かに佇み、ゼシカの視線をゆったりと受け止めている。
……
 エイトが後ろで見守る中、ゼシカはオーブをそっと手に取って眺める。
……ここで兄さんが死んだ」
 静謐の空間に彼女の小さな声が染みた。
 
 
 
 
 
 
リーザス像の塔

 
 
 
 
 
 とにかく時間がない。
 暗黒神が完全なる復活を遂げた今、もはや最後の希望は聖なるオーブに宿る七賢者の力を合わせるのみ。紅蓮の暗雲に覆われた世界は恐怖の悲鳴を挙げ始め、人々は絶望に染まりつつある。これは悠長に集めてはいられまいと、一行は二手に分かれて各地に散らばるオーブを求めた。
 手早く、且つ確実に世界を回りオーブを集めるには。そう考えた結果、ルーラを唱えることの出来るエイトとククールを分け、分散する戦力を補うようにゼシカとヤンガスがそれぞれにつくことにする。効率の良い編成だった。そして両者の合流拠点としてトロデ王等をレティシアに残し、互いの連絡を取り合う。
「俺達は南から攻める」
「うん。分かった」
 これまでの長い旅の中で、七人の賢者に縁ある場所は殆んど訪れたし、彼等にまつわる事件にも度々出くわしていた。ならば思い当たる場所から片っ端に探して行こう。
「兄貴を頼むでげす!」
「まかせて」
 そうして二分したパーティーは世界に散っていった。
「感情に囚われている時間はないぞ」
 リブルアーチ、オークニス、マイエラ修道院……。七色のオーブを集める旅は、これまで歩んできた道を振り返る旅でもあった。トロデ王にそう忠告され、四人はふいに感情に押し流されそうになる心を抑えながらも黙々と世界を駆け回る。
 そうしてエイトとゼシカは既に二つのオーブを手に入れ、三つ目を求めて此処リーザス像の塔へとやってきた。
 何度昇ったろうか。もはや手馴れたものだ。最初に昇った時は非常に手間取り、隙を見ては悪戯をしてくるベビーサタンに煩わされたものの、今やゼシカの一睨みで彼等は柱の陰に隠れてしまう。すっかり尻尾を垂らして彼女の様子をそっと伺う彼等を見つけると、エイトは思わず苦笑が漏れた。
 薄暗い塔。
 最上階に辿り着くと、リーザス像がいつものように両手を差し伸べて客人の来訪を迎える。世界三大宝石のひとつであるクラン・スピネルの美しい輝きを瞳より失ったとしても、彼女の優しい微笑が欠けることはない。
 ゼシカはしばし彼女の瞳を見つめ、その場に佇んだ。
……
 凄艶のリーザス像。嘗てから彼女はこの場で起きた全てを見てきた。
 愛する兄が殺された瞬間も、自分がエイトと初めて出会った瞬間も。そして、真実を知り泣き崩れる自分を見守ってくれたのも彼女だ。彼女はずっと見つめてきた。
 後でトロデ王より聞いた話では、己が杖の魔力に取り憑かれた時、エイト達は彼女の瞳の宝石を使って邪を祓ったという。遠い古の血を繋ぐ者が彼女を造ったとはいえ、つくづく自分と彼女には深い結びつきがあるものだと、ゼシカは旅を重ねる度に強く感じていた。
……
 そして今のゼシカの手には、七賢者の意思を宿すオーブがひとつ。
 その深い蒼の輝きは、年に一度の聖なる日を除き常にしっとりとした薄闇の降りるリーザス像の塔に、温かい光の灯火を挿したかのよう。ゼシカはオーブを胸元に寄せ、深蒼の煌きを放つそれを静かに見つめていた。
 これもまたアルバート家の血統に由来するものだと言われれば、オーブの置かれたリーザス像とこの塔には益々強い繋がりを感じずにはいられない。
 旅をはじめ、旅をつなぎ、旅を終わらせる。ゼシカにとって全てが此処にあった。
……エイト」
 オーブを抱き締め、ゼシカは瞳を閉じて小さく呟く。
 やや躊躇して彼女の後方に控えていたエイトは、これに気付いて「何?」と優しく答えた。
……伝えたいことがあるんだ」
 
 
 
 
 
 此処で兄のサーベルトは殺された。
 今でもその時の感情は生々しいほどに胸に熱く刻まれている。しかし、旅立ちの頃に抱いていた爆発しそうな程の猛烈な怒りは既に去った。いや、越えたと言うべきか。今となれば、兄は道化の魔術師・ドルマゲスに殺されたのか、今や「神鳥の杖」と呼ぶ杖の魔力に殺されたのかは判らない。ようやく真実が見えかけてきた今は怒りも悲しみも憎しみもなく、ただ「進まねばならぬ」という覚悟に似た使命感がこの身を突き動かすのみ。
 そして多くの人の死を見てきた今となれば、大切な兄の死までもが決められていたものだったのかとあまつさえ納得してしまうくらいだ。
 兄の死も、己の運命も。
……
 そして、彼とめぐり合ったことも。
「エイト」
 ゼシカは振り向いてエイトの瞳を見た。
「ここで私、エイトと会ったんだよね」
……そうだね」
 エイトは普段通りの穏やかな童顔で彼女を見つめていた。
「最初にゼシカに会った時は、メラの連弾を食らったよ」
「ごめん、ごめん」
 ゼシカは彼の言葉に苦笑する。
 そうだった。最初に彼と出会った時、自分は彼が犯人だと思い込んで仇討ちを遂げようと攻撃を仕掛けていた。
「だってエイト、ものすごく怪しかったし」
「えっ、そ……そうかな……
 エイトが頭を掻く。
 互いの出会いは鮮明、というより強烈な印象だった。
「誤解が解けて良かったよ。でなければ僕は死ぬところだった」
「本来は村人以外で、しかもお祭りの日以外でこの塔に来る人なんて居ないのよ」
 ゼシカでさえ旅を始めるまでは頻繁には来なかった。
 リーザス村の者でもない一介の旅人だったエイトが、どうして丁度「あの場面」に出くわしたのだろうと思うと、ゼシカは振り返って考える機会が何回かあった。
……
 誰よりも愛していた兄が殺され、あらゆる感情に乱れ打ちひしがれていた自分の前に現れたのが彼だった。初対面でゼシカはエイトにメラを数発食らわせていたのだが、思えば通りすがりの第三者、言わば他人である彼に感情のままをぶつけていたのだ。そして彼と共に兄の最期の想いを聞き、結果的に彼の旅の仲間と加わったのは奇遇にも程がある。
 気付けば思い起こしている事が多かったが、旅を重ねるごとにゼシカの考えは強くなっていった。
(きっと、この出会いは偶然じゃない)
 ただ、これを“運命”と呼ぶには一抹の照れがある。
 ゼシカはそう己に歯止めを利かせたのか、言葉を変えて言っていた。
「私ね、ここでエイトに会ったことって意味があるんだと思うの」
「意味?」
「うん」
 彼との出会いには価値がある。己の中を大きく占める重要性がある。
 自分の中の全てが動き出したこの場所で出逢った彼は、ただその場に居合わせただけの男ではないだろう。事実、ここリーザス像の塔での一件以来、ゼシカの歯車は大きく回り出した。彼女自身を劇的に変えた。その変化の程は、人に言われるまでもなく自らが感じられるくらいである。
 ゼシカは続けた。
「最初はね、兄さんの代わりだと思ってたの」
……時々“兄さん”って呼ばれた」
「うん、」
 彼の相槌にゼシカが笑みを零す。
 誰よりも信頼し、愛し慕っていた兄に代わるように現れたエイト。彼の仲間に加わった当初は、兄の代わりとして己を支えてくれる存在が授けられたのだと思っていた。それ故に甘えも我儘も素直に吐露していたのだ。
「でも、そうじゃなかった」
 旅を進めるにつれ、時を重ねる度にその感情は塗り替えられた。
「エイトは兄さんの代わりなんかじゃなかった」
 あの時の自分とエイトが此処で出会ったことには、もっと別の“意味”がある。
……エイトは、」
 彼は兄ではない。サーベルト以上に愛し尊敬する兄などそもそも居なかったのだ。
 そう、エイトはサーベルトではない。ゼシカがエイトに甘えられるのは、兄に代わる存在として彼を認めているからではなかったのだ。ゼシカにとって二人の存在は、かけがえのない大切な人であることには変わらない。しかし両者への想いは確実に違うところがある。
 エイトに対する想い。そう、これは。
「エイト」
 最終戦を控える前に伝えておこう。
「私はあなたの事が」
「ゼシカ、」
 そう思って口を開いたゼシカを制するようにエイトは言った。
「それ以上は言わない方がいい」
……どうして?」
 ゼシカは不思議に思ってエイトの瞳を見た。
 彼の柔らかい表情は変わらない。
「だってゼシカ、死にに行くような顔をしてる。覚悟をした顔をしてる」
 彼はゆったりと微笑んでゼシカの視線を受け止めた。
 ゼシカは自分がどんな顔をしていたか気付いていただろうか。今の表情を彼女が見ることは出来ないだろうが、エイトはゼシカに「見て」と言わんばかりに促した。
……
 ゼシカははっとして胸元のオーブを抱く。
 決して最終決戦で死ぬとは思わないまでも、兄の面影を残すこのオーブを手にした今は、自分の中のどこかで死の覚悟をしていたかもしれない。「辛い思いをさせたくない」とエイトが気遣い、リーザス像の塔のオーブはククールとヤンガスに任せようと提案したところを、「私が取りに行きたいの」と願い出た自分は何を予感していたのか。
 俯くゼシカを見て、エイトは静かに口を開いた。
「僕も、君に伝えたいことがある」
「、」
 エイトは優しい口調で言った。
「自惚れでなければ、きっと君と僕の言いたい事は一緒だ」
「エイト」
(それって、)
 ゼシカが驚いて顔を挙げると、少し照れたような微笑を湛える穏やかなエイトの瞳が己を見つめていた。
 初めて見る彼の表情。いや、今まで気付かなかっただけかもしれない。
 ゆったりとした彼の瞳の奥には、熱く、そして力強い眼差しが確かにある。
「でも、今それを言ったらダメなような気がする」
……
 暗黒の闇を追いかけるだけだった旅は、漸く真相と共に打開の一筋を掴み、あと少しで終わらせることができる筈。故にこの旅は最後を迎えねばならないが、だからと言ってこれが自分達の最期の戦いになるとは思いたくない。最期だからと覚悟を決めて想いを告白すれば、どこかした満足した自分は死んでしまうような気がして。
「全てを終わらせてから、君に言いたいんだ」
「エイト」
 伝えて死ぬのではなく、言うために生きる道を。
 エイトは旅の頃より「弔いは後じゃ」と釘を刺してきたトロデ王の言葉の意味が分かりかけてきた。それは誰の為でもない、自らが生きる為に心の整理は残しておくべきであるということ。
……
 敵わない、とゼシカは思った。
 エイトは己の思う以上に強い意志を持った人だった。あどけない童顔と感情の起伏に乏しい無表情に秘められた強靭な闘志。ゆったりとした眼差しに宿る堅固な決意。
 また自分の中で、彼に対する想いが更新されていく。
(あぁ、どんどん好きになっていく)
 ゼシカはそんな彼に想いを吐き出し、この期に及んでまで甘えようとしていた自分を叱咤して唇を噛んだ。
 そして彼が自分と同じ想いを抱え、それでいて強い志に立ち及んでいるというならば。
「じゃあ、未来の約束をしよう」
 ゼシカはいつもどおりの笑顔を見せた。
「この戦いが終わったら、兄さんのお墓参りに一緒に来て」
 彼女らしい勝気な微笑。
「勝利を報告しに行きたいの。平和になったんだって」
 そして、何よりも貴方を紹介したい。かけがえのない存在を手に入れた自分と、その人の姿を見せたい。
 曇りのない強い視線がエイトをしっかりと見つめている。
……うん」
 立ち直りが早いというか、逞しいというか。
 エイトはそんなゼシカに日々驚かされてはいたものの、やはり今回も彼女らしい一面を見せられて微笑んでしまう。
 そう、ゼシカは何時だって彼を捕らえて放さない。
「必ず行こう。報告しに」
(そうしたら君の兄さんに誓わせて。
(貴方に代わって、これからずっとゼシカを守るって。幸せにするって。
 エイトは心の中でそう呟いたが、決戦を控える今は言葉に出来なかった。ただ、全てが終わったら、胸に秘める想いと共に何もかもを打ち明けようと決めて。
 彼はそうして柔らかな笑みを見せると、ゼシカもまた心から微笑んで応えた。
「エイト」
 オーブを手にした彼女がエイトのもとに駆け寄る。
 彼の手をぎゅっと握り、見つめる。
「うん、行こう」
 ルーラの催促かと思ってエイトは呪文を唱えようとした。
 己の手を取るゼシカの小さな手を優しく握り返し、「ルーラ」と魔法の光に包まれようとした時、エイトは口を塞がれる。
「待って」
 ゼシカが上目にエイトに擦り寄った。
 彼女の身体が触れる。
「な、なに……
 普段は敢えて目を逸らしている可愛らしい彼女の、その女らしい瞳と膨らみが迫ってきて、エイトは一瞬たじろいだ。
「エイト、キスして」
「えっ」
 一体何を言っているのだろうと、瞬間、エイトは頭が真っ白になった。
「キスして」
「え、えっと、」
「そしたら頑張れそうな気がするの」
「っえぇ!?」
 彼女の滑らかな白い肌にこうして触れるのは悪くない。しかし心臓に悪い。
「ねぇ、キスして」
 語尾を上げて誘うように詰め寄るゼシカに目眩がする。
 甘い言葉を囁く彼女の柔らかそうな唇は、瑞々しく潤って己を待っている。淡い桃色に膨らむ両唇は、まるで花のように蜜を薫らせて己を誘い込むようで。
「エイト」
……う、うん……
 エイトは生唾を飲んだ。
 彼女のその柔らかさを一度と言わず何度か想像した覚えがある。果たして今ここでそれに触れて良いものかという躊躇いはあるものの、ゼシカを目の前にした自分に強い否定は出来なかった。
 しっとりと瞳を閉じて唇を差し出し己を待つゼシカに「ダメ」も何もありはしない。
「ゼシカ」
 エイトは思い切って彼女の細い肩を掴み、ゆっくりと近付いてその小さな唇に口付けようとした。
……
 しかし。
……?」
 少々に恥らいながらも伏せていた彼女の瞳がぱっと開いてエイトを直視する。
「ゼ、ゼシカ?」
 エイトを見つめているというより、周囲の気配を捉えようと何かを凝視する様子。ゼシカはふとその「何か」を石柱の奥に捉えると、ずかずかと歩いていった。
……
……
 そして柱の陰で「それ」と目があったらしい。
……
……見つかった?」
……
 怒り心頭にゼシカがむんずと掴み引っ張ると、ククールの姿が現れる。
…………ククール……
 エイトは拍子抜けた声を出していた。
「ククール!」
 ゼシカは腰に手を当てて彼を睨みつける。
 彼女の刺すような視線をかわして、ククールは笑って言った。
「いや、実は前から二人の交友関係には非常に興味があったんだ。ウブなエイト君と恋に疎いゼシカ嬢の間にあるものなんて、この俺でも想像つかないからなぁ」
 既に四つのオーブを入手したククールら別働隊は、一度トロデ王の待つレティシアへと戻って二人の帰りを待っていた。しかしククールは思うところあってか、こうして二人を迎えに来たということらしい。
「まぁしかし。俺に気にせず堂々とやってくれたまえ」
 いつから其処に居たのだろうと二人が内心に思う中、ククールはさっとゼシカの背に回り、彼女の背中をグイグイと押してエイトに近付けた。
「なっ、」
 ゼシカの抵抗を受け流し、ククールはエイトの胸に彼女をずずいと預けると、再び柱の陰に隠れてウインクして見せた。
「俺の事は背景か空気だと思っていい。さぁ、続きを」
 そうしてひょっこりと顔だけを覗かせるククールを、ゼシカはようやく顔を真っ赤にさせて怒り出した。
……み、見せられるワケないでしょーっ!!!」
 そうしてゼシカは逃げるククールを追い、旅の頃によくある光景が再現される。
 エイトは苦笑してこれを眺めながら、先ほどに約束した未来をひとり思い出していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 これが終わったら。
 
 君を。
 
 君と。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

【あとがき】 そしてククールはこの後、いつもどおりマダンテです。  
 
 
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