HERO
 
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JESSICA
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願 い の 丘
一番星、見つけた。
 
 
 神鳥の魂を手に入れることになった経緯は決して喜ばしいものではなかったが、空を泳いで大地を鳥瞰する快さはその感傷を少しずつ癒し、空を泳ぐ自由を手に入れた一行は、世界の広大さを更に感じることになった。
 翼を得たエイト達は万人の知りえぬ大地に降り立ち、古色蒼然たる石碑や石柱を見つけては暗黒神と神鳥の杖にまつわる手掛かりはないかと調べ回り、人類未踏の地に彷徨うモンスターと戦ってはスカウトする。そうして世界の全てを鳥の眼で眺め、足で歩いた頃には、メンバーは揃って次の目的地を口にしていた。
 それがこの「願いの丘」である。
「月がとっても綺麗ね」
 満月の夜にこの丘の上で一晩過ごすと、不思議な世界への扉が開く。昔から言い伝えられていた御伽噺は本当だった。以前エイト達はここからイシュマウリの住む世界に行き、アスカンタ王の願いを彼に叶えて貰った事がある。あの時はキラの実家から川沿いに続く道を歩いて来たが、神鳥の魂を得た今は上空から一気に頂上へと降り立つことが出来た。
「星もよく見えるし」
 ゼシカは先程から夜空に散りばめられた星を見上げている。首を伸ばして視界を真上に向けているのは、地上の惨状から意図的に目を逸らしているからだ。
「ゼシカ、下も見て欲しいんだけど」
「目が汚れるからイヤ」
 エイトは現実も見てくれと言わんばかりに彼女を詰ったが、己のすぐ傍で酔いつぶれるヤンガスとククールの唸り声を聞けばその気持ちもよく理解る。崖に向かって何回か嘔吐を繰り返した二人は、ようやく落ち着いてエイトに運ばれることとなった。小さな星の瞬きが見え始めた頃は、ビールやワインの瓶を片手に頬を程よく紅潮させていた二人も、夜が深まり煌々とした望月がその妖しい光を増す頃には、顔中を群青にさせていた。
「脱力した人間って重いんだよ……
 月見に丁度良いと此処で酒宴を始めた一行は、世に言う「ドンチャン騒ぎ」をしてこの状態になった。酒を飲まないエイトは次々に杯を空ける二人を遠巻きに見守っていたが、普段よりもペースが速いと思った時には遅かった。きっと明日の彼等は使い物にならない。
「毛布掛けたほうが良いかな」
「そこまで面倒見なくて良いわよ。自業自得なんだから、放っておきなさいって」
 エイトは己よりも重量のある男二人を風通しの良い丘に引きずりながら、醜態を晒す彼等には目もくれずに言い放つゼシカに苦笑する。
「最近辛い事ばかりだったから、久しぶりに飲みたかったんじゃないかな」
……
 ゼシカはこの丘に辿り着くまでに使った宝珠を手に取り眺めた。
 神鳥の魂。闇のレティシアでエイト達は、人質に取られた神鳥の卵を奪還する為、妖魔ゲモンを倒すことを約束したが、不幸にして卵は孵らぬものとなった。しかし生まれる筈だった雛鳥は魂となって一行の翼となることを望み、レティスもまた彼等に我が子の魂を使うことを許した。そうして雛の命を代償に得た空の自由は、言葉を飲むほど美しかった。
……
……
 沢山の命が失われてきた。これまで幾度となく運命の不条理と理不尽を味わってきたし、己の非力と未熟の程も知らされた。ドルマゲスを共通の敵とする仇討ちから始まった旅は、遺された者の悲哀と責務を痛感する旅でもあった。今は暗黒神という更に大きな存在の気配を感じながら、永遠かと見紛うほどの死の螺旋を断とうと懸命になっている。
「エイト、」
 星降る天蓋を見上げていた視線を戻し、ゼシカは努めて明るく彼の名を呼んで自分の隣に促した。見晴らしの良いそこは月明かりに輝いていて、夜の彼女を妖艶に照らしている。フルーツ酒の甘さを愉しんだゼシカの頬はほんのりと薔薇色に染まって、やや酩酊に身を委ねた姿が綺麗で。色っぽい指先に誘われたエイトは、少々緊張しながらも彼女の傍に腰掛けた。
 一方のゼシカは酔いの回った自覚がないのだろう、自らの色気には気付いていないらしい。彼女はエイトが傍に座るのを見ると、微笑して口を開いた。
「リーザス地方にはね、流れ星を見た者は願いが叶うという言い伝えがあるの」
 ゼシカは杯を傾げていた手を上空に差し出し、煌く星々を指でなぞる。星座を描くように星を辿り、優しい瞳を注ぐ姿はさながら月夜の女神のよう。
 かと思えば、クスリと失笑を漏らして可愛らしい笑みを作り、見る者を惑わせる。
「星が流れて消える前に言わなくちゃいけないんだけど」
「それ、難しくない?」
「そうなの! だから夜空をずっと見つめてても全然出来ないのよ」
 エイトはくるくると表情を変える彼女に狼狽しながらも、仄かに胸を締められた。やはりゼシカは魅力的だと思う。強さと弱さを併せ持ち、喜怒哀楽を素直に表現して毎日を楽しむ彼女は、誰にでも好かれる気さくな少女。名家の御令嬢のイメージを大胆に覆す快活な彼女に、魅かれぬ男は居ないだろう。
「ゼシカ、」
 幸い今は二人きり。エイトは内心緊張しながら、美しい横顔を見せるゼシカにさり気なく問うていた。
「もし願いが叶うなら、何を願う?」
 リーザス地方の言い伝えでも、アスカンタ地方の御伽噺でもいい。願いが叶うというならば、彼女は何を願うだろう。膝を抱えたエイトは、そんな興味からゼシカの顔を覗いた。
「願い?」
 これを聞いたゼシカは一瞬驚いて笑みを漏らしたが、逆に細い首をこちら側に傾けて聞き返してくる。
「そう言うエイトは何か叶えて欲しい事はあるの?」
 語尾を上げて問うてくる姿もまた愛らしい。
 アルコールにトロンとさせた瞳を無邪気に注いでくる彼女は、その魅力が如何ほどかを知りはしないだろう。エイトはその無防備な微笑にたじろぎながらも、頭を掻いて答えていた。
「今は、あの二人の体重を軽くして欲しいかな」
 言葉を濁した感はある。しかしこれを聞いたゼシカはプッと笑って更なる悪態を付け加えた。
「もうあれで良いわよ。そのまま此処に捨てて行くから」
 これにはエイトも失笑を隠せない。彼女は悪戯な微笑みを見せると、傍に置いた酒瓶を取ってエイトの前に差し出した。自発的な飲酒をしない彼も嫌いというわけではない。エイトは手頃な杯を取って彼女の酒を受け取り、注がれる朱の色を見ながら口を開いていた。
「ゼシカは?」
「私?」
 もう一杯を尋ねられたのかと思ったゼシカは、エイトの瞳を見て先の質問の事だと理解するのに時間が掛かった。彼と同じ酒を杯に満たした後で、ゼシカは暫し答えをめぐらす。
「願い事ってないの?」
「うーん……
 ないわけではない。
 ゼシカの表情はそんな戸惑いに満ちていて、だからこそ余計に聞きたくなる。もしかしたらそれは彼女にとって重要な事で、普段は心に秘めている大切な想いかもしれないから。
……私は……、」
 本当に言いにくいのか、彼女は自嘲気味に薄く笑って杯を傾けるばかり。
「ゼシカ?」
 エイトはまたゼシカが兄であるサーベルトの事を思い出しているのではないかと不安が過る。彼女の事だから、本懐と言えば兄の敵を討つこと以外ないだろうに、同時に彼の死を思い出して感傷に耽らせてしまったかもしれない。
 エイトがそう思って心配そうに彼女の顔を窺った時、彼の視線に気付いたゼシカは軽く笑みを返した。
……こんな事気にならないくらい、飲んでおけば良かった」
 瞳を合わせたゼシカは少し照れていたような気がする。
 彼女はそう言うと膝を抱えて小さくなり、膝頭に頭を乗せて顔を隠してしまった。
「残念。今日は扉が開かないみたい」
 諦めたような小さな声は、酔っているとはいえ彼女らしくない。
 エイトはいつにないゼシカの様子にたじたじになって、慌てて彼女の肩をポンポンと叩く。
「じゃ、流れ星を探そうよ」
 アスカンタ式ではなく、リーザス式で。
 トロデーン地方にも何か願いが簡単に叶うジンクスなどがあれば良いのだが、不幸にして自分はそんな話を聞いたことがない。エイトはやや困惑しながら、それでも彼女を元気付けようと口を開いていた。
「セジカ。願い事は願わないと叶わないんだよ」
 これはトロデ王より聞いた話であったが、決して受け売りではない。エイト自身、冒険に出てからは強くその意味を感じることがあった。
「どうして欲しいとか、こうなりたいとか、求めなければ与えられない」
 願い求めて祈ることは、自力を放棄することとは違う。希望は自己を励まし、不可能の範疇を超えさせる。
 闇の遺跡の結界を解いた時も、光の海図で海を照らした時も、この丘での出来事も。これまでの旅がそうであったように、自力とも他力とも判別つかぬ境界で奇跡は起こされ、そしてその奇跡は、信じていなければ起きることはなかった。エイトは共に旅をしたゼシカに、自分自身についてもそうであって欲しいと思っている。
……
 ゼシカは彼の優しい低音が傍でそう囁くのを聞きながら、小さな声で呟いた。
「私ってば、強請らないのに与えられないって文句を言ってばかりだわ」
 エイトが咄嗟に言葉を返す。
「イシュマウリさんでもお星様にでも願えばいい」
 メンバーの中で最も自己主張が強いと言われる彼女が、実は一番我慢していることをエイトはよく知っている。だから彼女には敢えて願いを口に出して欲しい。
「それに、僕が叶えてあげられるかもしれないし……
 自分に出来ることなら何だってやりたい。仲間として大切に思う以上に、ゼシカに対して特別な感情を抱いていることに最近ようやく気付いたのだ。
 エイトは最後の言葉をやや濁らせながら言った。
「本当?」
 俯いたままのゼシカには、彼がどんな表情で言ったのかは判らない。彼女はエイトの言葉を聞きながら、やがて静かに口を開く。
……エイトにとって、仲間と恋人はどっちが大切かしら」
「?」
 気付けばゼシカは佳顔を上げて、切なげな瞳を彼の前に晒していた。
「私、エイトの一番になりたい」
 彼の一番であれば何でも良い。何とも比較されぬ最上級に。
 ゼシカは最も叶わぬ想いを絞るように声に出す。
「私の一番がエイトだから、私をエイトの一番にさせて」
 酔いに任せて言ったのではない。夜空がそうさせたのでもない。ただ彼が、エイトが叶えてくれると言ったから願った。優しい彼を困らせる願いであることは最初から理解っていたが、それでもゼシカは求めたかった。
 神でもなく、流星でもなく、貴方に。
「叶うかしら……?」
……
 ゼシカのこんな表情を初めて見る。いや、恋をした少女の瞳をエイトは初めて見た。
 それは夜の暗闇に紛れることなく輝いてエイトの心を捕まえる。幾千の星の煌きと月の冴光が彼女を照らして美しくさせる。
 エイトは昂ぶる胸の鼓動が彼女と同じものであることに気付くと、穏やかに微笑して答えた。
「大丈夫。それはもう叶ってる」
 安心して、とエイトはゼシカの手に手を重ね、次の言葉をゆっくりと言う。
「だから次の願い事、僕に聞かせて」
 
 
 
 
 
 願いの丘に照らされる二人の影は、いつまでも寄り添って朝日を迎えた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

【あとがき】 「捨てていく」とか何とか言いながら、
結局はヤンガスとククの面倒をちゃんと見るゼシたん希望。  
 
 
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