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When it's over
世界を救ったんだから。
長い旅は終わったんだから。
もう、休んでもいいよね。
君に、想いを伝えてもいいよね。
澱みきった一切の邪は祓われ、輝かしい光が辺りを清めていく。トロデーン城を覆っていた嘆きと悲しみの闇は、穏やかな光に癒されていく。
自由を得た城内の者が、主人の帰りを迎えに次々と集まってきた。眩い煌きの中から、笑顔が溢れた。涙が零れた。
城の主は、旅の疲れも忘れて声を張り上げた。
「さぁ、宴の準備じゃ!」
茨の呪いは、今、解けた。
城中に喜びを。世界に賛美を。
悦びの祝宴がこれまでの暗い沈黙を破った。歓喜の声が哀しい静寂を払った。宴に参加する者の顔は、皆、感悦に溢れている。
空は、欣喜雀躍に満ちる大地を謳うように晴れわたっている。突き抜けるように青く澄み、地の民と共に平和の喜びを感受しているようだ。
昼より始まった宴は、陽が沈んでも、星が見えても終わらなかった。高らかな笑い声は夜の黙(しじま)に冴え渡るように響き、杯を酌み交わす音は更に重なる。人々の喜びは覚めやらない。長き眠りについていた城は、たった今、目覚めたのだから。
エイトは暫し喧騒から離れ、独りテラスに上がった。慣れない酒に酔ったのもある。頬の火照りを覚まそうと、夜風に身を晒したかった。
眼下に広がる庭園では、久々の宴に城中の仲間が笑いあっている。ここには王も大臣もない。全ての人が喜びを分かち合っている。エイトは自然と笑顔が零れた。
辺りを一瞥して、思う。
地に満つものは、穏やかな笑顔。柔らかな瞳。天に広がるものは、どこまでも深い、吸い込まれそうな藍。
棘のトロデーン城に平和が戻った。それは旅に出る頃よりも更に深いものとなって齎された。エイトはそれが実感できて、本当に良かったと思った。
ふと視線を下ろすと、肩を怒らせてゼシカがこちらへやってくる。まくしてたるように息を荒くして、階段を登ってくる。
「もう、油断もスキもありゃしない!」
眉を吊り上げて怒気を露わにしても、何処かしら気品やいじらしさを感じるのはゼシカの魅力だ。エイトは微笑みながら彼女を隣に迎えた。
「…ククールの事?」
「そう!本気じゃないなら口説かないで欲しいわ!」
今は薄暗くなった庭園の中からククールを見つけると、彼の赤い服は少し焼けていた。今回のお仕置きはメラミか、とエイトは思った。
普段通りのゼシカの癇癪に、失笑が零れる。すると、ゼシカは気付いたようにつけ加えた。
「今日は私じゃないわよ。トロデーン城の娘」
ゼシカは髪を掻きあげて続けた。どうやらククールの真似らしい。
「『棘に包まれた美しい君を見て、必ず呪いを解いてあげようと思ったんだ』
…なんて!全く、どの口が言うのかしら!寝言は夢の中だけにして欲しいわ!」
キザっぽく真似をした後は、吐き捨てるようにそう言って、テラス下の彼に向かって舌をベロッと出していた。美麗な顔立ちを歪ませて、少々に荒っぽい罵声を言うゼシカに、エイトは苦笑する。
旅の頃から、二人はいつもこうだ。痴話喧嘩のようなそのやりとりに、トロデ王が溜息まじりに執り成ったことさえある。
どんな女性も一目で、一言で虜になる美貌のククールが、唯一ゼシカには効果がない。同性の自分から見ても、ククールはいい男だと感じるのだが、ゼシカは普段より靡く気配すら見せない。
「ゼシカはククールの事、好きじゃないの?」
ふとエイトが呟いた言葉に、ゼシカは「冗談じゃない!」という顔をした。
「あーんな女ったらしの男、対!象!外!」
「でも、ククールはゼシカの事、好きそうだよ?」
不思議に顔を傾げるエイトに、ゼシカは諭すように言った。分かってないわね、と言いたいのだろう、彼女の表情は読み取れる。
「本気で好きじゃないと思うわ。判らない?」
エイトは無表情のまま、首を横に振った。
ゼシカがそれを見て、一息ついて頭に手を置く。それは当惑した時の彼女の仕草。
もとよりエイトに恋愛が理解るとは思っていなかったが、まさか此処までとは、と閉口して困り果てる。
「…あいつがやたらと女の子を口説くのはね、寂しさを紛らわせる為なの。あの顔だったら、女の子の殆どが振り向くでしょ?」
「うん」
「振り向かない人がいるから、その寂しさを埋める為にああやってカッコつけてるの」
「そうなの?」
「そう」
キッパリと断言するゼシカに驚く。エイトは少し時間を置いて質問をした。
「…でも、『振り向かない人』って?」
「…マルチェロよ。あいつはあの人に、ちゃんと自分を見て欲しいの」
「嫌いって言ってたよ」
「逆よ。その逆」
「…そうなの?」
「そうよ」
エイトが再び首を傾げたので、ゼシカは強く言った。
「…私には、分かるよ」
「…」
話をしているうちに、ゼシカの顔からは怒りは消えていた。今は穏やかにテラスからククールを見ている。
ククールはヤンガスを揶揄っているようだ。ゼシカは「またゲルダさんの事かしら」と言って、ふっと笑う。
エイトは先程から目を丸くして彼女の横顔を見つめていたが、ついに口が開いた。
「…ゼシカ、凄いよ。何でも分かるんだね」
心底感心したエイトは、尊敬の眼差しでゼシカを眺め見た。
「僕、ゼシカはククールの事が好きなんだと思ってたよ」
何気ない言葉のつもりだったが、ゼシカの耳は敏感に反応する。
先刻の言葉とは似て非なるもの。「自分が」ククールの事を好きかどうかではない、「エイトが」自分はククールを好いていると思っていたなんて。
ゼシカがキッとエイトを見つめた。
その時はキョトンと彼女の視線を受け止めたエイトも、その瞳の強さに驚き、戸惑う。
「…エイト。リブルアーチでの事、…忘れた?」
気迫に満ちたゼシカの視線に気圧されそうになる。
慌てて旅の記憶を巡らせて、彼女の言葉を思い出す。
「…」
過去と共に、次第に恥じらいが蘇った。エイトの頬が、ゆっくりと朱に染まっていく。
「えっ、と…」
「…忘れたの!?」
ゼシカの声が大きくなった。同時に眉をひそめる。
「ちゃ、ちゃんと覚えているよ」
宥めるようにエイトが言った。
ゼシカは頬をプクッと膨らませ、エイトが本当に覚えているのかどうか疑っている。戸惑いを隠せずに慌てるエイトを、彼女は真剣に見つめている。その探るような視線は、何処かしら色っぽい。
「ゼシカが僕に、旅を続ける決意を誓ってくれたことだよね」
「…」
エイトが彼女の怒りを静めるように優しく言った。
「よろしく、って」
ドルマゲスを倒した後、杖に身を乗っ取られたゼシカは、リブルアーチで多くの者を傷つけた。関を破り、チェルスを襲い、仲間であるエイト達にも矛を向けた。
正気を取り戻した時、彼女は疲れた顔で心の中で起きた事を具に語った。己の内に囁く闇に恐怖し、その手で人を傷つけたことを悔いた。その後は「一人にさせて」と隣の部屋に籠ったきり、顔を見せることはなかった。
翌日には、照れくさそうにエイトに感謝の言葉を言っていた。旅を続けたいという自分を迎え入れ、それ以上は何も言わないエイトに微笑して言った。「エイトは優しいのね。ありがとう」と。
まるで昨日の事のように思い出せる。
旅を終えた今でも、色褪せることなく、鮮明に。
「だから、僕もよろしく、って…言ったんだ…」
恥ずかしそうにエイトは言った。ゼシカは口を閉ざして、何も言わない。
彼女も思い出しているのだろうか。色んな事が沢山起きたあの日の事と、その次の日の穏やかさを。
「…覚えているよ」
暫しの沈黙の後にエイトがポツリと言うと、ゼシカは大きな声で言った。
「ならよし!」
旅は終わったばかりなのに、あの頃はもう思い出になった。
克明に思い出せても、今は何故か遠い感触がする。
辛さではなく、懐かしさや寂しさを抱くのは、旅が終わった何よりの証拠。
どれ位の時間が経ったのだろう。そのまま二人は、テラス下で繰り広げられる宴を長閑に眺めていた。夜は終わりそうにもない。人々の笑い声は大きくなるばかりだった。
ヤンガスと共に、中央で踊りだしたトロデ王に目を細めながら、ゼシカが静かに言った。
「…皆の顔が見れて、嬉しい?」
「…嬉しいよ、凄く」
エイトの声は普段にも増して穏やかで、柔和だった。
ゼシカは彼の声を聞いて、再び言う。
「…なんだか、実感するなぁ」
「何を?」
エイトの質問に、ふっとゼシカが苦笑する。
「…旅、終わったんだなって…」
階下の灯火に照らされたゼシカの横顔は、どこか寂しそうだった。
エイトはチラリと彼女の表情を盗み見たが、その言葉に返事が浮かばない。
「長かったよね」
ゼシカがポツリと呟く。
「…辛かった?」
「全然っ!楽しい方が多かったよ!」
心配そうに言ったエイトに、ゼシカは笑顔で言った。
「世界中を回れたし、不思議な体験も沢山したわ!珍しいものも見たし、面白いこともいっぱいだった!」
ゼシカは顔を目一杯に綻ばせて、瞳を輝かせる。先程までの郷愁じみた顔は、そこには一片もない。エイトは彼女の話を聞きながら、その豊かな感情と表情に驚いていた。
「兄さんの仇だって、取れたと思うわ」
勢いに任せて喋っていたゼシカが、自分の口から出た無意識の言葉に気付いて、止まる。
「…」
兄を思い出したのだろう。彼女は口を噤む。
口に出すことを憚っていたのか、怖れていたのか。口元には先刻の笑みを溜めたまま、顔を俯かせている。
エイトはテラスの夜空を仰ぎ見て、側のゼシカに静かに言った。
「…ゼシカは、ゼシカのお兄さんも、チェルスさんも、メディさんも…色々な人の仇を取れたと思うよ。王様が、それは胸を張っていいことだって、言ってた」
ゼシカは、俯きながらテラスの縁を掴み、エイトの言葉を聞いていた。言い終えたエイトは、そのまま黙って深い夜の藍を眺めている。
暫くして、ゼシカが顔を上げた。
「そうよね…胸を張っていいよね…」
見上げた夜空は、旅の頃よりずっと晴れているように感じた。澄んだ深い藍色に星は瞬き、ゆったりとした天空のドームが地上を覆っている。何処までも吸い込まれそうな夜空には、控えめな三日月が浮かんで、銀色の美貌を柔らかく見せていた。
二人、満天の夜空を仰ぐ。
足元にはテラス下より響く、朗らかな喧騒。頭上には神秘的に降り注ぐ、長閑な清澄。
上下の違う空気に挟まれた二人の間に流れる、また違う空気。
二人は、お互いに言葉もないまま、この不思議な空間に身を委ねていた。
「私、頑張ったのかな…」
ポツリと口を開いたのは、ゼシカだった。
「ゼシカは凄く頑張ったよ」
彼女の声色に合わせるように、エイトも静かに呟いた。
目線を合わせることなく会話する。互いの瞳は遥か彼方を遠望し、夜に溶けた地平線を見ていた。
「…兄さん、喜んでくれるかな…」
先程よりも更に小さな声。消え入りそうなほどのか細い声。
エイトは視線をそのままに、側のゼシカの声を聞き取った。
「きっとお兄さんも……ゼシカの事、褒めてくれるよ」
「…うん…」
互いの存在を傍に感じたまま、二人はそのまま眺望を続ける。しんみりと広がる薄闇に、声だけが届いて。
暫くしてゼシカは、夜景を楽しんでいた視線を落とす。
「ねぇ…」
「うん?」
小さな声にエイトが返事する。遠くを見つめていた視線をゼシカに戻した。
「も……泣いても、いい…?」
ゼシカの声は震えていた。
伏せていた瞳をエイトに見せると、それは大きく潤んでいて、今にも大粒の涙を零しそうなほど。眉を顰めて、冷静の限り落涙に耐えている。
「…ゼシカ」
エイトはそっと彼女の手をとり、テラスより城へと入る扉を静かに開けて、中へと引き込んだ。誰にも気付かれないように、己とゼシカの身を滑らせて入る。重い扉がその重力のままに閉じた時には、外の声は全く聞こえなくなった。
城内には人気もなく、寂寞とした薄闇が二人を迎える。
仄暗いトロデーン城の中でゼシカを見ると、彼女はエイトの咄嗟の行動に、瞳を震わせたまま驚いていた。
重厚な扉を背に、エイトが口を開く。
「…泣いていいよ」
真っ直ぐな瞳で、ゼシカを見つめる。
今はひと回りもふた回りも小さく見える彼女の肩を抱き、静やかに、しかし確りと言う。
「僕の前では、強くなくてもいいから」
「…エイト…」
強いが、どこかしら和やかな瞳と、肩より伝わる大きな手の温もりに、ゼシカは一瞬、緊張した。いつになく男性的なエイトの気迫に、ゼシカはピクリと身体を強張らせたが、次には全身を彼に預けていた。
「エイト…ッ」
彼の胸に飛び込む。
同時にエイトに腕がゼシカの小さな背中をギュッと抱き寄せていた。
「ゼシカ」
なんて優しい声。
エイトの低音がゼシカの耳元に落ちる。
エイトの服をギュッと握って、彼の胸に頬をすり寄せ、ゼシカは心のままに泣いた。溜めていたものが弾けるように、湛えていたものが溢れるように、ゼシカは子供のように泣きじゃくっていた。
引き絞るような嗚咽から、声が出る。涙が流れる。
込みあがる様々な感情が波のように押し寄せて、彼女は思わず震える声で兄を呼んでいた。
「兄さんっ!兄さん…っ!」
何時の日か、こうやって兄の胸で泣いたことがあった。声を出して泣くなんて、何年ぶりなんだろう。そんな考えを脳裏に掠めながら、ゼシカは涙をとめどなく流していた。
もう、兄は戻らない。
彼の墓を前にして悟り、決意したあの日から、誰に頼ることなく生きていこうと決めていた。心が折れないように、誰にも弱みを見せたくなかった。
でも、今は違う。
兄ではない男性に身を抱かれ、それを許して泣く自分も受け入れられる。
彼ならば。エイトならば。
エイトの胸の中なら、どれだけ泣いても他には聞こえないだろう。彼がしっとりと全てを覆って、包んでくれるから。
「…ゼシカ…」
優しく髪を撫でる大きな手が温かくて。ますます涙が溢れてくる。
この人の中だったら、安心して泣ける。
弱さも小ささも醜さも、その全てを晒しても、エイトが全部包んでくれる。
「ゼシカ」
胸に身を埋めて咽び泣くゼシカに、エイトが静かに言った。
「僕じゃ、駄目かな」
そっと耳に届いた声に、ゼシカの慟哭が収まっていく。
「…?」
腕の抱擁を緩めると、眼を真っ赤にさせたゼシカが顔を覗かせた。
涙で濡れた瞳に、エイトは安らかな視線を送る。
「君を守りたい」
二人の視線は確りと合った。
「エイト…」
「僕が君のこと、好きだって言ったら……困る?」
はにかんだような笑顔。
照れ隠しに苦笑するのは彼の癖だと知っている。ゼシカは眼を見開いて、エイトの優しい眼差しを受け止めた。
「…ううん、困らない。嬉しいよ。凄く嬉しい」
彼の微笑に応えるように、ゼシカの瞳も穏やかになる。
「あのね、…あのね」
ゼシカは一瞬、俯いて視線を逸らすと、次には笑顔を見せて顔を上げた。
「私も、エイトの事、好きだよ」
「…え…」
そう、多分それは初めて会った時から。
リーザス像の塔で彼を見たあの瞬間から。
「ずっと、ずっと前から…大好きだった…」
あの日の出会いは偶然じゃない。旅を続けて、日を重ねる毎にそれは確信になっていった。自分でも驚くくらいの激しい恋心に、どうしようもなく戸惑ったこともある。
旅には無用な感情だと、冷静を取り繕っていたけれども、気付いた時には深すぎた。否定しようとも出来ない位、胸が甘く切なく締められていた。
「凄く言いたかったけど、言えなかった…
…でも…もう…、言っていいよね…?」
「ゼシカ」
お互い様だったんだ、と二人に笑顔が零れる。
「エイト…大好き…」
涙に濡れたその顔は、今は満ち満ちた笑顔に溢れ、愛する者を見つめている。それはエイトが見た彼女の中で、最も美しい微笑みで、最も愛しい表情で。
エイトは返事の代わりに、抱いた両腕を更に強くして応えていた。
しんみりとした静謐の城に、今しがた灯された愛の光。優しい闇の中で、ほんのりと温かく輝いている二人。固く結び合った二人は永遠に離れることなく、いつまでも手を繋いで歩いていく。
世界を救ったんだから。
長い旅は終わったんだから。
もう、休んでもいいよね。
君に、想いを伝えてもいいよね。
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【あとがき】 |
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私がクク主を書く癖に、ククゼシを書かない理由がチラリと。
えぇ、そうなんです。
この小説は、投票にご参加くださった皆様へ。
沢山の投票、ありがとうございました!!!
これからも「主ゼシ」&「ゼシ主」を(笑)宜しくお願いします☆
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