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 蓋し薔薇が鋭い棘を持つように、美しい花にはそれも必要なのかもしれない。気高い薔薇は気安く触れられないよう棘で己を覆い、身を守っているのだ。
 いつかは己を愛する人が、摘んで愛でてくれると夢に想い描きながら。
 
 
 
 
 
薔薇の花

 
 
 
 
「…よう、」
 久しぶり、本当に久しぶりにヤンガスは彼女の家を訪ねた。
「借りを返しに来たぜ」
 そもそも大層な用事がなければ、気安く踏み入れることなど出来ない屋敷だ。野暮用を済ませば直ぐにでも帰るつもりでいた。
 表向きは。
「そのまま盗んじまったのかと思ってたよ」
 彼女は揺り椅子に身体を預けたまま、後ろ背に返事をする。ヤンガスの訪問に、拒否も歓迎もしない無愛想は相変わらずだ。
 ただ、彼女がキメラの翼を使って降り立った彼の姿を窓に捉えた先刻、いつもの見張りには用事を頼んで去らせていたことは伏せておく。ヤンガスはそれを知ってか知らずか「無用心だぜ」と呟いて中に上がりこむ。
 彼は視線を泳がせながら、言いにくそうに頭を掻き、背の鉄球をジャラリと下ろして言った。
「しっかし、こんなのお前に装備できないだろ。何でこんな物持ってやがんだ」
 鈍い音をさせながらゴロリとゆっくり転がった鉄球を見て、ヤンガスが苦い顔をする。これは最初から自分の為に用意されていたものだったと思うのは、彼女に限ってはないことか。ヤンガスはそう思ってまだ背を見せたままの彼女を見やる。
「ゲルダ、機嫌が悪いのか?」
 ヤンガスがその顔を覗こうと近寄ったとき、それを制するように彼女は立ち上がった。
「バカ言うんじゃないよ。誰の所為だと思ってる」
 刺すような強い視線は胸に突き刺さりそうなほど。相手によっては射すくめられそうだ。
 ヤンガスは、昔と変わらないその目つきを見ると、ふいに笑顔を零してしまう。
「また、おっかねぇな」
「返しに来るのが遅いんだよ」
 彼女の語気に怒りと焦りが見え隠れするのは、本当に待っていたからかもしれない。ヤンガスはそう思って苦笑すると、少し照れ恥ずかしそうに呟く。
「…色々とあって、忙しかったんだよ」
「…ふぅん…」
 ゲルダは彼の全身をジロリと見回した。
 暗黒神を倒し、世界を救って一躍「勇者ご一行」と相成ったヤンガス達が、諸国諸地域に手を引かれるのは当然のことだった。情報通の彼女はそれを当然知っている。
 本当に色々の事があってこのように訪問が遅れたのだが、ヤンガスはそれ以上何も言おうとしなかった。
「さぞや、もてはやされて大変だったろうね」
 有名人ともなれば、宮廷や豪邸に呼ばれて馬鹿らしい世辞でも聞くんだろうと、ゲルダは眦を上げて言い放った。どことなく垢抜けたような彼の表情を見て、そう厭味を振りまいたつもりだった。自らの嫉妬には気付いていない所が彼女らしい。
「バカがほだされて、疲れたんじゃないのかい?」
 挑発じみた言葉を吐いた瞬間、ゲルダは内心でつまらない口論になると思っていた。自分でも望んでいないのに、どうしていつも自分は「こう」なのだろうと。
 しかしヤンガスは、半ば喧嘩腰の彼女の言葉に気を荒立てることなく、首を回しながら億劫そうに返事をしていた。
「…あぁ。疲れた」
 それは本当に疲れて此処まで来たかのようだ。
「…」
 子供じみた口喧嘩が始まると思っていたゲルダは、これに拍子抜けして閉口する。
立ち上がったゲルダがそうして改めてヤンガスを見ると、彼は億劫そうに首の辺りを掻いて、何かを言うでもなく佇んでいる。今は床に置かれ、彼の足元に転がる鉄球が目に入ると、ゲルダは暫く口を閉ざした。
「…」
「どうした?ゲルダ」
「…」
 鉄球を見つめるゲルダが、漸く呟く。
「…見てたよ、アンタの事」
 確かにヤンガスは、貸した鉄球を背に暗黒神と戦っていた。彼の戦う姿をまともに見たのはあれが最初で、もう最後。紅に染まる空の上で強大な敵を睨み据える彼の鬼神の如き眼差しを、ゲルダは脅威に悲鳴を上げる大地より眺めていた。
「…おう」
 ヤンガスは少しぎこちなく返事をする。
 照れているのか。ゲルダは妙に従順な彼の態度に驚いていた。
「…少し変わったね、アンタ」
 手を腰に当てて飄々と言う、それがいつもの彼女である筈が、今は違っていた。ヤンガスを正面より見据える彼女に、やや柔らかい表情を感じるのは思い込みではないだろう。
 それを見たヤンガスは一息吐くと、疲れたような、それでいて安心したような笑顔で静かに言った。
「お前もな」
 
 
 
 
 
 
 以前なら、他愛ない喧嘩をしてゲルダが彼を追い出すか、ヤンガスが逃げるように出ていくか、そのどちらかだった。
 故に、彼女が自分を客人として扱い、自ら茶を差し出すことなどは考えられなかった。
「…茶があるなんてな」
 出された紅茶を素直に一飲みして、ヤンガスはテーブルの前に居る。美味かった、と彼が暫し休もうとすると、ゲルダは空になったカップを見て「用が済んだら何処へでも行きな」とそっけなく言った。
 慌ててヤンガスがゲルダに向き合う。
「待ってくれ。俺の用はまだ済んだ訳じゃない」
 彼の瞳を見て、ゲルダは一瞬で理解する。
 彼女は彼の口が次を紡ぐ前に、強い視線でそれを制止した。
「…やり直すなんて馬鹿な事、言うんじゃないだろうね」
「…」
 ほら、当たりだ。
 ゲルダはそんな瞳でヤンガスを見ると、次にやるせなく目を逸らす。
 彼が真剣になった時の瞳は、心を見透かされそうで、擽られそうで。どうにも苦手だという内心もある。
「馬鹿なのは理解ってるつもりだ」
「出来るわけないだろ!」
 畳み掛けるようにゲルダが言う。
 確かに昔、互いはそれなりの感情を抱いていた。そしてそれなりの同意で馴れ合ったこともある。甘い記憶がそれぞれの心に残っていることだろう。
 しかしそれも全ては若かりし頃の思い出。切なくて、情けなくて、愚かしい過去の出来事でしかない。若さ故の小さなすれ違いと傷心に、恋は潰えた。
 最近になってゲルダは彼からビーナスの涙を受け取り、古い約束を清算して二人なりに整理をしたつもりだった。その後も彼の旅に少しずつ関わることとなり、漸く「昔馴染み」程度に関係を修復したつもりでいた。
「…アタシがどれだけ…どれだけ、」
 想いを隠してここまでやってきた自分を、今更どうしろと言うのか。偽りに身を固めた自分が、今から素直に曝け出せるとでも思っているのか。
 ゲルダはそう憤りながら、邪険にヤンガスの言葉を言わせないでいた。
「傷つけちまったのは悪いと思ってる。寂しい思いもさせたし、悲しませた」
 すまねぇ、とヤンガスが俯いて謝ろうとした時だった。
 ゲルダは踏み出して声を上げた。
「違う、アタシがアンタを傷つけたんだ」
「…ゲルダ」
 気のない罵声で困らせて、正直に胸の内を明かせないままヤンガスを試してばかりいた。答えを差し出されて、わざと袋小路に迷い込んでいた。
 そんな自分の我儘に彼を振り回して、見下して。当たり前のように、彼を傷つけていた。本当は好きなのに。愛しているのに。
「…アタシは辞めときな」
 もう垣根を越えて飛び立った彼は、自分には不釣合いだ。彼を放さなくては、とゲルダは思った。
「アタシなんかじゃ、駄目なんだよ」
「…
 キッとヤンガスを見据えて、彼女は必死に言った。
 
 
 
 
 
 美しい彼女の纏う棘に触れた気がした。
 触れた手に小さく血が染みたが、それを見た薔薇が切なげに俯く。
 己が傷つけることしかできない存在だと嘆くように。
 
 
 
 
 
「…気負ってんのか?ゲルダ」
「…何を」
 椅子にどっかりと腰掛けたヤンガスが、ふっと笑ってゲルダを見つめた。
「疲れるだろ、それ」
 ヤンガスは凝った肩をならすような仕草をしてみせると、彼女の機嫌を宥めるように涼しげな微笑を見せた。
「やめちまえよ」
「ヤンガス」
「やり直すとか、面倒臭ぇだろ?」
 お互いに変わっちまったんだから。
 もう昔には戻れないし、それにそんな野暮は要らない。
 あぁ、そうだ俺達は。
「はじまるんだよ、これから」
 ヤンガスの口元は笑みを湛えて、口調も柔らかいものではあったが、瞳は真剣そのもので。
「…」
 初めて見る、彼の清々しい表情。真っ直ぐな心。
 耳に聞こえた言葉は、これまでに聞いたどの啖呵より潔い。
「な?」
 ゲルダは返事に詰まりながら、彼の笑顔をただただ吃驚と当惑のうちに見つめていた。
 
 
 
 
 
 そう、今。
 茨の中の薔薇は、今、蕾を膨らませる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

【あとがき】 ヤンゲル好きなめしつぶさん。私と同じく「くるり」FANということで。
これはやはり「ばらの花」でしょう!と一作です。
薔薇と言えば、赤の似合うゲルダ様だと思ったのですが、
ヤンゲル、初めて書きました。
こんな二人でアレですが、宜しければどうぞ貰ってやってくださいね☆
 
 
 
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