それは恋だよ
ミーティア姫が攫われた。
正しく言えば、ミーティア姫を上等の馬だと思った泥棒に盗まれてしまったんだけど。
「エイト、落ち着けよ。そうやみくもに探し回っても此処じゃ迷うだけだぜ」
エイトが取り乱した。
いりくんだパルミドの町をひたすら走り回る彼の服を掴んで、ククールが神妙な顔をして言ったけど、その声もほとんど耳に入ってないじゃない。
「こんな時こそ冷静にならないと、おい、話を聞け」
「……」
腕を抑えられたエイトが、やや乱暴に振り返って溜息をつく。バンダナをクシャリとさせて掻きあげた前髪の間から、怒りとも焦りとも言えない色に滲んだ瞳を一旦伏せる。そんな表情、できるのね。
「泥棒の事は泥棒に聞きやしょう。アッシの古い知り合いにあたってみるでげす」
エイトの動揺を感じ取ったヤンガスが、ようやく足を止めた彼にまるで宥めるように言を畳み掛けた。
「兄貴、ここは抑えて」
彼女を攫った同業者に話を聞くなど、と喰ってかかりそうになる彼を先に留める。エイトの瞳に宿る炎にヤンガスが真剣な視線を送り続けると、暫くの沈黙から漸く彼は一呼吸を置いて頷いてくれた。エイトが私達を見てくれたのは、この時になってやっとのこと。
「……ヤンガス、頼むよ」
エイトが口を開いたことで、メンバーがホッと息をつく。
事態が事態なんだけど、いつになく冷静を欠くエイトにククールもヤンガスも戸惑っているし、私も正直、そんな彼に戸惑っていた。
「何せ馬姫様は上等の馬、目立つ盗品はそれだけ足が付きまさぁ」
「……」
苦笑ひとつしないのね。
ミーティア姫を失ったエイトがこんなにも取り乱すなんて知らなかった。勿論、彼の忠誠の高さは日頃の行動から知ってたけど、エイト自身がこれだけ動揺する性格だったなんて、誰も知らなかったと思う。
私は事件よりも今の彼の事態に驚きながら、努めて明るく言った。
「さぁ、落ち着いたところで行きましょう」
笑顔で言ったつもりでも、エイトの表情を見て胸に何かが突き刺さる。
それは己の過失により主君を見失った彼のショックを感じるからなのか、彼女自身を失ったことに対する彼の動揺に、私自身が動揺しているからか、……分からないけれど。
「エイト、あなたがしっかりしなくちゃ」
「………………うん、そうだね」
もう一度声を掛けると、エイトが振り返って少しだけ笑った。その顔貌(かお)、決して豊かな方じゃないのに、どうしてこんなに思いが伝わるのかしら。
私は彼にそう望むように微笑むと、また、胸が痛んだ。
私の心臓、騒いでる。
まだ走ってもいないのに。
結局、ミーティア姫はキントっていう泥棒に攫われた後、闇商人に売られて、ゲルダさんという女盗賊に売られて、そのゲルダさんから姫を取り戻すためには、剣士像の洞窟という所にある「ビーナスの涙」っていう宝石を取ってこなくちゃいけなくって。
アッシに任せてくだせぇなんて、途中までは気合十分だったヤンガスが、ゲルダさん絡みになると一気に萎えてしまってた。その代わり、ミーティア姫が彼女の所に無事に居ることを知ったエイトは、俄然やる気になって、剣士像の洞窟のいじわるなトラップにも負けずに進み続け、約束のアイテムを手に入れた。
「良かったね、エイト」
「うん」
ゲルダさんは意地悪な人かと思ったけど、約束したことはちゃんと守ってくれたし、私達が洞窟に行っている間にも姫を丁重に扱ってくれてたみたい。無事なミーティア姫を見た時は、トロデ王は泣いちゃったし、エイトは表情こそ変わらなかったけど、本当に安堵してた。……良かった。
ミーティア姫を取り戻した今日は、パルミドに泊まるのもなんだか気が引けて、海沿いにあるひっそりとした一軒宿に泊まることになった。
安宿には珍しく厩舎があって、エイトはそこに休むことになったトロデ王とミーティア姫の側に夜遅くまでついてたみたい。彼がフロントに戻ってきた時は、もうロビーの蝋燭さえ灯いていなかった。
「エイト」
「ゼシカ?」
こんな遅くまで、なんて言葉はお互い様。
暗くなったフロントのソファに腰掛けていた私の隣に、エイトは何も言わずに座って、暫くじっとした後、「ごめん」と呟いた。
「僕が浮き足立ったせいで、皆を振り回したと思う」
自分でも取り乱していたことは分かっていたみたい。事態が落ち着いて、ミーティア姫の無事な姿を見たエイトは、自分の組んだ手を見つめながら謝っていた。
「エイト」
「彼女は、僕の大切な人なんだ」
聞いて胸が苦しくなる。
彼女が誘拐された時から感じていた事なのに、それをエイト自身の口から聞くのは予想以上に苦しくて。
「すごく動揺してしまった」
「うん」
でも、そうよ。ミーティア姫は大切な旅の仲間だわ。私だって心配したもの。
笑顔でそう言おうと思ったのに、なんだか言葉が続かなくて、気休め程度の相槌しか打てない。
普段より声を落としたエイトの横顔が見れなくて、ただただ私は暗闇で胸を掴む。
胸がドキドキしてる。
誰かにノックされてるみたい。
コンコン、コンコン。
うるさい、心臓。静かにして!
聞けばいいじゃない、と心の中で誰かが言ってる。
皆がいつも言うように、何でもズケズケ言う私なんだから、「ミーティア姫の事が好きなの?」って、自然に聞いたらいいじゃない。
「エイトにとって、ミーティア姫は、とても大切な人なのね」
「うん」
ほら、また胸がギュッと締まる。
これ以上はと思うのに、どうしても彼の話が聞きたい。エイトの気持ちに迫りたいと思うのは、私、どうしたっていうのかしら。
息も出来ないくらい私が身を縮めて胸に手を当てていると、暗闇のエイトは真っ直ぐと闇を見つめながら、静かに口を開いた。
「彼女は仕える主君で、僕はその家臣に過ぎないんだけど、」
「うん」
「畏れ多いけれど、僕は、」
彼女の事を愛している、と言う言葉が続くのを覚悟する。
それがどんなに鋭い針となって胸に刺さるか、身構えながら私は黙った。
「僕は、本当の妹のように思っているんだ」
「え……」
胸がドキン、と跳ね上がる。
それは暗闇の中でも、彼の鋭い横顔から意思が伝わるからなのか、真剣な声色に彼の本音を聞いた気がして、身体が緊張する。
「彼女だけじゃない。僕は王様を親のように思っているし、トロデーンの城の人は皆家族のように思ってる」
エイトは続ける。
「一人ぼっちだった僕を、お城っていう大きな家に入れてくれた大切な人達を、僕は守りたい」
「エイト……」
この旅の目的、その最も深いところに根ざす感情を、今、彼は吐露している。
あまり自分の事をよく話さないエイトが、私に大切な思いを打ち明けてくれている。
「エイト、」
私はそんな彼にどうしても聞きたくて、膝上に乗せた手をギュッと握り締めて口を開いた。
「私が居なくなったら、エイトはどうする?」
心臓のノックが早くなる。
コンコン、コンコンコン。
もうっ! 今、立て込んでるの!
「ゼシカが?」
俯いたままそう質問すると、エイトが顔を向けて私を見つめる。暗闇なのに、彼の視線を感じてなんだか痒くなる。
私が下を見たまま答えを待つのに対し、エイトはバンダナを外した髪をクシャクシャと掻き上げた後、ふんわりと笑って言った。
「そしたら、僕は僕を失うよ」
胸の熱さと早い鼓動。
あなたの正体が理解かりかけてる。
私、この気持ちの名前を知ってるわ。
「……と、とにかく、困るんだ」
エイトが照れているのが判る。こんな暗闇なのに、彼が赤くなってるのが伝わる。だって私も赤い。
「そ、そっか」
「うん」
変な相槌しか打てない。本当は嬉しくって堪らない癖に、何おとなしくなってるのよ。
沈黙のうちにも膝に置いていた手が震えそうになって、弾けそうな胸にしまう。心臓がドキドキしてる。
でも、理解る。この胸の鼓動は苦しいけれど、それは痛いんじゃなくて、甘いんだ。
「私が居なくなったら、エイトは必死に探してくれるのね」
「そりゃあ死に物狂いで見つけるよ。遅いとゼシカ、怒りそうだし」
「なによ、それ!」
真夜中に笑い合う。
今この時間がとても愛おしくなって、ずっとこうしていたい気持ちになる。
ねぇ私、これは恋だよ。
あなたは彼に恋をしてるのよ。
「明日からまた、よろしく」
「こちらこそ」
よく見えない相手に、改めて挨拶をする。きっと得意でない笑顔を見せてくれている彼に、私の一番の笑みを返す。
私、今は冷静なフリをしているけれど、私だってあなたを失ったら大変な事になるわ。
「ねぇ、エイト」
自分の気持ちに気付いた私は、それを彼にも伝えたいって衝動が走る。
暗闇が背中を押してくれるのか、それとも感情が疾走るのか、私はエイトの手を握って、きっと見つめてくれている黒い瞳に言った。
「私、あなたから離れないから。あなたも私を放さないで」
手に触れて言ったけど、心の事を言ったのよ。
真っ暗なフロントはエイトのシルエットしか分からない。それでも私は、その黒い影に確実にあるあなたにドキドキしながら、ずっと、ずっと見つめていた。
恋をしようよ、エイト。
私と、恋、しようよ。
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