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手を繋いだ。
 
それだけで幸せだった。
 
手袋越しに手を繋いだ。
 
それだけで 心まで繋がった気がした。
 
 
 

 
 
 
 無人の虚城と化したサントハイムの王宮を、王に代わって支配したのはバルザックという名の男で、モンバーバラの姉妹が追っていた父の仇だと言う。今や醜いモンスターに姿を変えていたが、嘗ては人間としてコーミズの村で暮らしていた錬金術師の一人だったらしい。彼はマーニャとミネアの父である錬金術師・エドガンに師事していたが、師が研究していた「進化の秘法」に心を奪われ、あろうことか恩師を殺めてその秘術を盗み失踪したという。
 その彼が何故サントハイムに居城を構えることになったのかは理解らない。彼を倒した今は、「進化の秘法」の行方も、王の行方も聞くことは出来なかった。魔物も去った空城のサントハイムには、ただただ夥しい量の血痕が壁にへばりつくのみ。流石の美人姉妹も、陰惨な結果を残すのみとなった仇討ちに普段の気丈さを失い、憔悴しきっていた。
「ちょっと戦線離脱させて。戻ってくるから」
「お墓参りに行きたいんです」
 本懐を果たせば少しは癒されると思っていた悲愴感も増すばかり。褐色の美人達はバルザックの最期を見届けると、その後は二人だけで故郷のコーミズへと飛んでいった。
「墓前ではまだ笑顔も見せれらぬじゃろうて」
 ルーラの光を遠目に見送ったブライはそう溜め息を吐き、一行を束ねる勇者にこの付近での野営を申し出ていた。城下町であるサランにすら戻れぬらしい。
「国を思う気持ちは私とて同じ。ブライ殿の忠誠、ご理解くだされ」
 老魔術師の意思を汲み取ったライアンの進言もあり、一行は疲れきった身体ではあったがサントハイム王宮周辺で一夜を過ごすことにした。
 そうして今、眠れぬアリーナとクリフトは火の番をしている。
「ブライは?」
……ずっと王宮を眺めておいでです」
 馬車より毛布を取り出したアリーナは、その中に勇者ソロとトルネコしか居ないことに気付いて言うと、彼女の問いにクリフトが静かに答える。
「大丈夫です。ライアンさんがついています」
「そう……
 アリーナは2枚目の毛布をクリフトに手渡すと、小さな声でそう言った。
 ブライの気持ちはよく理解る。自分達も彼と同様、サランの町へ戻る気などなかった。主を失ったサントハイムに残る事も居た堪れず、しかしサランまで離れることも出来ず。火を起こしたこの場所は、酷にも三人の心情をよく表していた。
……
 アリーナはクリフトの隣に座り、静かに小枝を燃やし続ける炎を見ながら佇んでいる。時折空気の弾ける音を聞き、薪を継ぎ足しては炎の燃焼を支えてやった。
 クリフトはその姿を横で見守りながら、何をするわけでもなく炎を眺めている。いつもなら温かい火を囲めば自ずと口も緩んで会話が弾む筈が、今夜ばかりはそうもいかない。アリーナは揺れる炎の前で沈黙を続け、クリフトもまたその静寂を敢えて破ろうとはしなかった。
……
……
 炎を見ていると、つい先程の姉妹を思い出す。
 派手な姉は情熱の赤が似合うとは思っていたが、あの瞳は紅蓮の悲しみに燃えていたのだ。冷静な妹の方もまた然り、あの時の二人は戦いながら慟哭していた。血の涙を流し続け、欲しくもない命を奪って虚しい勝利を得たのだ。今頃二人の美しい桔梗の髪は朱に染まって咆哮していることだろう。
……
 クリフトは闇に浮かび上がる目の前の赤を見て、ぼんやりとそう考えていた。
 そうしてどれ位の夜が更けただろう。
……夜になると色々考えるのはどうしてなのかな」
 混沌とした沈黙を、アリーナの声が遮る。
「死ぬことととか考えちゃうからかな」
 アリーナは集めた小枝を掌で折りながら、小さな声で呟くように言った。
……
 彼女もまたクリフトと同じ事を考えていたのかもしれない。一応の目的を果たした姉妹と、謎を解く手掛かりの一端をも逸した我等三人。バルザックを倒しても姉妹の心が晴れぬように、無人のサントハイムはアリーナ達に絶望を突き付けた。
 もう王は戻らぬかもしれない。人は帰らぬかもしれない。そうしてサントハイムは忘れ去られ、故郷を失った我々も、いつかは……
「いいえ、姫様」
 アリーナの顔が俯いた時、しかしクリフトは力強く言った。
「夜に色々と考えてしまうのは、明日を生きねばならないからです」
 それは闇を燃やす炎の音よりも低く静かであったが、確りとした口調で紡がれる。
「この一日は、誰かが必死に生きたいと願った一日でもありました」
……
 残された三人。
 それは消息を絶った人々と共に失われる存在ではなく、彼等に代わって過酷な未来を歩む使命を追ったのだ。死ではなく生の運命を。
「だから我々は生きねばなりません。進まねばなりません」
 たとえ今日を生きても明日に命を失っても、時は残酷に日々を連れてくる。冷徹な時の歩みに悲嘆し、沈鬱に耽る事は容易いだろう。しかし生き残った我々はそれでも課せられた軛に従わねばならない。地を這って前進し、血の汗血の涙を流しながらも歩まねばならない。
……
 アリーナは一心に炎を見つめて語るクリフトの声を聞きながら、膝を抱えて身を縮めた。肩に掛けた毛布にその細身を包み、寒さに震えるように頭を埋めて呟く。
「生きるって、辛いね」
 若き神官の仕える神は、彼と同じく優しい温もりに溢れていると信じていたが、これではまるで悪魔のよう。「試す勿れと宣ひ給ふ」主こそが我等を試練の天秤に掛けるのは、卑怯な気がして。
 導かれし者――。自分に課せられた使命を「導き」だと言うのならそれは呪いだ。アリーナは抱えた両膝に曇った表情を隠しながら、千切れそうな溜め息を細く吐く。
「姫様」
 彼女の様子を横目に見ていたクリフトは、炎から視線を移してアリーナに真向かった。俯いて見えない表情をそれでも窺うように、彼は首を傾げて己の主君を覗き込む。今にも引き裂かれそうな胸を繋ぎとめるべく、クリフトの低音が優しく彼女の耳元に届いた。
「止まない雨のないように、朝の来ない夜はありません」
 どんな朝であれ、光は届く。闇は晴れる。
 どうしてもクリフトは希望を口にしたかった。アリーナの絶望に共鳴し、死の淵に二人彷徨うこともできただろうが、彼はそれを望まなかった。それは彼女の望むことではないと判っていたからだ。
「御父が美しい朝をご用意されてらっしゃいます」
 希望と絶望。どちらを語る方が辛いだろう。
 アリーナは傍で囁かれる言葉を聞きながら、クリフトがどんな表情でこう語るのかを考えていた。
(クリフト)
 尊い慈しみに満たされた若き僕に、かくも言わせる神なる主。この唯一絶対なる創造主がクリフトと自分に困難を与えているには違いないが、彼こそがクリフトを自分の傍に与えてくれたのも事実。
 嗚呼。
「貴方が仕える神様って、とても残酷だわ」
「しかしそれこそが愛です」
 失笑気味に声を滲ませて言えば、咄嗟に返事が返ってくる。
「嘘、」
 アリーナは心従を尽くす神官を揶揄うようにそう言うと、次に顔を上げて笑顔を見せた。
「貴方と私をこんなにも苦しめて」
 嬉しいような、哀しいような複雑な微笑。闇夜を彩る炎に照って映し出された彼女の表情は、儚くも神々しいまでに綺麗で。激しい戦闘に一日を終えた疲労感でやや微睡んだ瞳と、薄い呼吸を漏らして少し開いた唇。微かに悲愴を漂わせる視線は、これまでの彼女にはない美を宿していた。
(姫様、)
 何時からこんな表情を見せるようになったのか。
 いつまでも幼く可愛らしい姫君だと思っていたクリフトは、驚嘆と同時に強く魅了される。思わず隠していた慕情を晒し、胸に閉じ込めてしまいそうになる。この身が朽ちるまで大切に抱き、土に還るまで秘めておこうと決めた恋心が、今にも身を切り裂いて迸る。
 隣に腰掛ける愛しい人を、薪で燃える炎ではなく、己に灯る熱で温められたらどんなにか楽だろう。手を伸ばして抱き寄せて、腕に包んで安らぎを与えられたら、どんなにか。
 
 
 
 
 
□□□□□恋に堕ちた瞬間から、生涯をかけて守ることを誓った。
 
□□□□□その笑顔も涙も、何もかも、アリーナの全てを守ろうと。
 
 
 
 
 
□□□□□たとえ自分が報われずとも。
 
 
 
 
 
「姫様、寒くはありませんか?」
 しかしクリフトが己に課した鎖は脆くない。彼は己の毛布を差し出すのみで、彼女に触れはしなかった。
「うん。平気」
 アリーナは毛布を取り払おうとするクリフトを手で制し、その手を戻さぬまま「それよりも」と彼の目の前に置いて見せる。
「ね、クリフト」
 その小さな手にどれだけの破壊力があるというのか、壊れそうな程に可憐な手。皮手袋で覆われた少女の手はそっとクリフトを促している。
「手、握って」
「、」
 手を握るなど。
 クリフトは一瞬躊躇した。
 しかしアリーナはそれを望んでいて、柔らかく微笑んで己を待っている。触れることすら叶わぬと自制していた心を解き放つように、優しく。
「迷子にならないように」
 導いて、と。
……
 アリーナの笑顔につられて、クリフトは自然と手を差し出していた。毛布の間から出た手は呼び合うように彼女のそれと繋がり、指を固く結び合って互いの間に収まる。
 なんて温かい。
 手袋越しに伝わる体温は傍で燃え上がる炎より熱く、それでいて穏やかにこの身を温める。直接に触れ合わない肌も、繋がった喜びは全身を駆け巡って満たしていく。
……
……
 手を繋ぐ。ただそれだけがこんなにも愛おしい。
 アリーナはクリフトの手をギュッと握りながら、目の前の炎を見て静かに言った。
「離さないで。絶対」
「はい」
 
 
 
 
 
□□□□□触れられぬと思っていた貴女と、手を繋いだ。
 
□□□□□手袋越しに、指を絡めた。
 
 
 
 
 
□□□□□ああ、それだけで、
 
 
 
 
 
□□□□□空だって飛べそうな。
 
 
 
 
 
「お休みください。火の番は私がしております」
 クリフトは炎を見つめて俄かに微睡むアリーナに穏やかに言った。彼女が眠りに落ちても、繋いだ手を離しはしない。そんな意味も込めて、彼は己の主君を安らぎに導きたかった。
「ううん」
 野宿の時は常に負担をかけさせないクリフト。アリーナは彼の毎度の気遣いに感謝しながらも、今夜は首を縦に振ろうとは思わなかった。
「今日は起きていたいの」
 王女は口端を柔らかく上げて微笑する。
「きっとブライも起きてる。私、三人で今を見つめていたい」
 残されたサントハイムの三人。
 もう三人しか居ないのではなく、まだ三人も居る。何より貴方が居る。
 アリーナはそう言って再びクリフトの手を握ると、彼からもまた同じく握り返された。
「はい」
 ずっと傍に居りますと、クリフトは心の中で何度も何度も己の誓いを噛み締めた。
 
 
 
 漆黒の闇が晴れて薄紫の光が山の端をなぞった時、森に風が吹いて目覚めの朝を迎える。一晩中眺めていた炎は次第に燻り、灰を散らせて陽光に消える。
 惨状の一夜を明かした一行にも変わらぬ朝が訪れて、次の旅を急かすよう馬車に朝日が差し込んだ。瞼を強く刺激する光は、覚醒を促す生命のよう。
 クリフトとアリーナは、次第に眠りより目覚める世界を眺めながら、その鼓動を感じる。朝が訪れる瞬間を、二人、見届ける。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 固く手を繋ぎながら。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

【あとがき】 好きな人と手を繋ぐ。
もう、それだけで幸せなのです。
繋がる温かさに涙が流れるのです。
 
 
 
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