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サントハイム城内の礼拝堂はバシリカ式の列柱と格調高い扉が荘厳さを引き立てているのだが、その静謐を破るようにアリーナの高い声が響き、それと同時に重厚な扉が蹴破られると、香部屋で祭具を調えていたクリフトは少し困ったように顔を覗かせた。
「姫様」
聖水盤に指すら浸さず、長椅子を飛び越えてくる彼女に注意する間もなく詰め寄られたクリフトは、彼女の勢いにやや気圧されながら、その表情から既に話が伝わっているのだと悟る。
「お父様からクリフトが枢機卿の召集を受けたって聞いたけど、まさか」
やはりそうだ。不安気に見つめてくるアリーナに対し、いつか彼女が噂を聞きつけてやって来るだろうと予想していたクリフトは、既に用意していた言葉を彼女に伝えようと穏やかに口を開く。
「姫様がご心配なさるようなことではありませんよ」
導かれし者として勇者と共に世界を救ったクリフトは、聖職界では福徳を高めたと評されるようになっていた。元より神学校を主席で卒業した彼を王宮付きの神官に留まらせるべきでないという声はオベディアンス(任命)の時よりあったが、冒険を終えた今はそれが顕著になりつつある。彼が聖庁で叙階を受けることになれば、もはや重鎮としてサントハイムに戻ることはないだろう。
「どこ行っちゃうのよう」
ずっと傍に居ると誓い、また彼に守られることを望んだのは冒険も終盤に差し掛かった頃であったか。心を通い合わせた筈の二人が引き裂かれることなど、悪を滅ぼした今はないと思っていたのに、まさかクリフトの属する世界からこのような打診があるとはと、アリーナも驚き戸惑うばかり。
「直ぐに戻ってまいります」
彼女の愛らしい柳眉が不安に満ちて歪む様を見たクリフトは、宥めるように柔らかな微笑を湛えてそう言うが、アリーナの方は気が気でない。
「直ぐって何時になるの」
「それは」
「きっと行ったら捕まえられて、帰れなくなるんだわ」
「まさかそのような」
彼女らしくもなく事態を悪い方向へと導いてしまうのは、それだけ今回の召集について心配しているからだろう。詰るようにクリフトの胸元の服を握り締めたアリーナは、全てを否定するかの如く首を左右に振りながら言い、その切なげな姿を目の当たりにしたクリフトは、少々躊躇いながらも彼女の手にそっと触れて言った。
「お約束します。私は必ず帰って参りますよ」
心を晒して通じ合ったとは言え、相手の手や肌に触れることは未だ殆どない二人。クリフトは己の胸元に置かれたアリーナの小さな手を静かに取ると、その細い指を1本1本愛でるように撫でながら続ける。
「三日後の夕暮れ前、空を見上げてください」
「え?」
思わずアリーナは聞き返した。クリフトの突然の物言いに意味を図り兼ねたからである。キョトンと小首を傾げる彼女に微笑を浮かべたクリフトは、掌に包んだ驚くほど柔らかい手を慈しむように触れたまま、穏やかな口調で誓った。
「そこにある言葉を伝える為に、私は必ず戻ります」
「クリフト」
言葉は凪のように優しいのに、その想いは力強い。真意が掴めず上目見るばかりのアリーナは、彼の頬が緊張の故にかほんのりと赤らんでいることには気が付かなかった。
三日後に空を見ろとは、それまでの三日間は帰れないということである。一日目の夜にしてその事実に気付いたアリーナは、ひどく落ち込んで空しい時間を過ごした。
彼が居るとなれば毎日教会を訪ねずとも不安でなかったアリーナは、彼が不在であると理解った時点で忽ち心が騒ぎ出す。神父しか居らぬ聖堂に入り浸っては枢機卿団についての情報を事細かに聞き出し、召集の真意を探っては後悔を募らせ、彼が戻る可能性の低さを悟ってベッドに沈む。自らの事以外に於いては凡そ時間を割くような性格ではないのに、ことクリフトに関してアリーナの心は振り回されっ放しだった。
そうしてようやく三日目を迎え、陽の沈みを待つアリーナは、久しぶりに再会を果たした冒険の仲間のもてなしもそこそこに窓を眺めてばかりいる。
「アリーナ。これも飲んじゃっていいのかしら」
「姉さん、ちょっとは遠慮しなさい」
今日、サントハイム城の彼女を訪ねたのはモンバーバラの美人姉妹。聞けば劇場での稼ぎを全てエンドールで使い果たしたらしく、トルネコの屋敷で散々世話になった挙句に此処に立ち寄ったらしい。愈々妖艶さを増したマーニャが類稀なる美貌を以て玉座の前で挨拶をしたのと、それに追いついたミネアが鬼の形相で迫ったのはほぼ同時で、塞ぎがちだったアリーナを驚かせていた。
「クリフトは何、教皇様にでもなるつもり?」
「それだったら凄い出世だけど、大丈夫よ」
「司教枢機卿にでもなれば、まず戻れないわねぇ」
「姉さん、アリーナの前で止しなさい」
事情を聞いた姉妹もまた父王や大臣と同じような事を言う。彼の師である神父は笑い飛ばして否定したものの、周囲の皆がそう言えばやはり不安は拭い切れるものではない。彼女達を歓迎しようと用意した色とりどりの食卓に突っ伏したアリーナは、ますます気を落して独り言ちた。
「クリフトの」
馬鹿、とは言えないことを何より知っているのはアリーナ自身である。彼はその優秀な頭脳の故に若くして助祭の位に就き、神学舎外での研究を許されているのだ。それが先の冒険による功績によって更に評価を高めたというところ。彼の属する聖職界はアリーナのような王族とは身分を比べられよう筈もないが、天空の神に見(まみ)えたクリフトが相応の地位に就く事は想像に易い。
「次に会う時は猊下って言わなきゃいけなかったりして」
「アリーナ。姉さんの言う事を真に受けちゃダメ」
「坊主達に指輪にキスさせるのよ。うえー、気持ち悪い!」
「姉さん!」
彼女達の会話を遠く耳にしながら、アリーナは嘗てクリフト本人より聞いた彼の本音を思い出す。冒険を終えて直ぐ司祭の叙階を薦められた彼は、一度そこで固辞していた。名誉ある地位と共に神の器(教会)を預かるより、一人の神学者として救いの道を歩みたいという想いが彼にはあり、特に中央より距離を隔てた王宮付き神官の身は、枢機卿団の権力闘争にも巻き込まれず神学に勤しめると苦笑していたのである。
だからこそ彼には帰って来て欲しい。神の道を見つめながら自分をも省みてくれるようになったクリフトを、それ以外のところで煩わせたくはないのだ。
(クリフト)
どれだけ自らの想いに悩み苦しんだことだろう。切なげに、泣きそうな顔で、それでも努めて穏やかな微笑のうちに愛を打ち明けられた時は、胸がギュッと締まって息が出来なかった。それは今でも鮮明に瞼の裏に蘇り、熱い鼓動を身体中に疾走らせる。一途な彼が何をも捨てずに全てを背負うことを決意したあの日、大切な思い出となった今はただ懐かしい。
アリーナは古馴染みの姉妹が次にテラスに移動して酒食に興じるのをぼうっと眺めながら、心の中で彼の名を何度も呼び続けた。
(クリフト)
彼の名を呼んで涙が出るようになったのは何時からか。恋に堕ちた瞬間から常に己の胸を苦しめてきた彼は、互いの想いを打ち明けあってからは二度と離れないと誓い合ったものだが、まさか彼が左程拒むこともなく己の下を離れようとは、アリーナにとって想像だにしない衝撃であった。
(クリフト)
呼べば必ず振り返って微笑んでくれた彼が居ない。声色ひとつで気持ちを理解してくれた彼が、今は城にすら居ないのだ。
「クリフトぉ」
愛していたのは自分の方だった。こんなにも好きだったのだ。
気付けば瞳は潤み、溢れる涙で視界が揺れて今にも零れ落ちそうになる。頬を伝う雫すら彼に拭われず落下するのかとアリーナが皮肉を浮かべて苦笑したその瞬間、テラスからマーニャとミネアの驚嘆が重なって聞こえた。
「まぁ、すごい」
「綺麗ね」
声が一緒の姉妹は、瞳を伏せていればどちらが喋ったか判別らない。ただその声色が二人とも大きな驚きと感動に満ちているのを聞き、不思議に思ったアリーナはゆっくりと顔を上げた。
「ほら、アリーナ。こっち来てご覧なさい」
美人の姉妹が似たような笑顔を浮かべて手招きする。濡れた頬をゴシゴシと拭いてアリーナが彼女達の居るテラスへと向かえば、昼間を過ぎたばかりの筈の空は異様なまでに暗くなっており、闇の天蓋には大きな光が浮かんでいた。
「う、わぁ……」
日没を待っていたアリーナは、冬を迎える厚ぼったい雲の多さとは別に今日がいつもより暗かったことに気付いていただろうか。強い西風が雲を押し流して大空を見せる今、漆黒とも思える空には何とも不思議な光の輪が輝いているのである。
「三日後に空を見てって言われてたんでしょう?」
細い腰に手を当ててグラスを傾けるマーニャは、艶っぽい微笑でアリーナにそう言ったが、目の前に迫る光の輪に魅せられた彼女は、あまりの驚きに返事を忘れて見つめ続けていた。
それは太陽が月によって光を侵食される「日食」。丸く影を象られた輪の中で、ただ一点に光を放出させて青白い陽を見せる様は、宝石を頭に乗せて輝く指輪に似ている。
「素敵なメッセージね」
吃驚に口を開けて空を見つめるアリーナを見てクスリと微笑んだミネアは、彼女の髪を優しく撫でて小さな肩を抱いた。
「愛されてるじゃない」
そう揶揄うように言ったマーニャも、アリーナを小突いた肘をそのまま伸ばして彼女を抱く。両側の二人に掛けられた言葉を耳に何度も反芻しながら、アリーナは胸に手を当てて闇に浮かぶ日輪を眺め続けた。
「こんな大っきな指輪差し出すくらいなんだから、帰って来るに決まってる」
今頃はアリーナと同じくこの空を眺めているであろうクリフトこそマーニャは揶揄いたかった。これ程まで心憎い演出を以て求婚するくらいなのだ。彼はきっとこの光の指輪の下で、自ら送ったメッセージに照れているに違いない。
悪戯に微笑むマーニャの隣で、アリーナはドキドキと鼓動する胸に当てていた両手をギュッと握り締めて呟く。
「クリフト」
確かに彼は約束した。空に浮かぶ言葉を伝える為に必ず戻ると、クリフトは言ってくれたのだ。あの時彼が己の指をひとつずつ丁寧に撫でていたのは、彼の中で指輪を捧げることを既に考えていたからだと気付いたアリーナは、緩んでいた涙腺を再び震わせて泣いた。
「アリーナの指にはちょっと大きいわね」
「うん」
「彼が帰って来るまでに、お返事を考えなきゃ」
「うん、」
ポロポロと涙を零す小さなアリーナを慰めるように、マーニャとミネアは彼女を両側から抱き締めてやるが、その温もりすら愛しいアリーナはやがて声を挙げて泣き出す。クリフトに代わって今の自分を守ってくれる年長の二人が何より嬉しかった。
「アリーナ。彼を待てる?」
細身の身体を更に縮めて泣きじゃくるアリーナに、姉妹は同じような微笑をもって尋ねてくる。
「……うん!」
大きな光輪の浮かぶ闇の空、アリーナの大きな返事が澄んだ空気によく通った。
冬のある日 言葉のない手紙が きみに届く
忘れないで ぼくはきみを ほんとうに愛してる
(ピチカート・ファイヴ/メッセージ・ソング)
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【あとがき】 |
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褐色の美人姉妹は見た目とは裏腹に凸凹コンビですが、
アリーナを妹のように可愛がってくれる優しいおねえさま。
二人にサンドイッチされたら元気がみなぎるのです。
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