いつか、きっと…
   Someday Somewhere 

§0:プロローグ
「ドラコ・マルフォイ」

僕は暗闇の中を、ひとり歩きつづけている。

そこには青白く、淡く光る道が一本伸びていて、それは果てしなくどこまでも終着点が見えない。
声を上げようかと思う。
けれど、全くの無音の空間にそれは吸いこまれてしまい、意味を為さない。
道を外れることは恐怖の限界が押し止め、後ろを振り返る事すらさせてもらえない。
相反する自分に引き裂かれそうになりながら、孤独と恐怖に追いたてられる。
時々、空耳だろうか。
沢山の子供達の笑い声がすぐ後ろから聞こえた。
まるで自分だけが異質の存在のように、ひたすら重い足を引き摺る。
歩みを止める事はできない。
一歩。
また一歩と足を踏み出すごとに引き帰せないその事実を認めざるを得ない。
自分が疲れているのを自覚してしまったら終わりだ。
立ち止まるという事は全てを無にしてしまう。
歩きつづけなければ……。
汗が頬を伝っていく。
ぽたりとそれは顎から滑り落ち、何も無い空間にかき消された。

ふと前を見やると自分が歩いている道にもう一つ、赤く光る道が交差していた。
足を踏み出して、もっと近付こうと思う。
今にも消えそうなそれは焦りを産む。
けれど、一向に近付かない。
いっそ走り出したい衝動に駆られた時、少年がひとり歩いているのが見えた。
ひとり、ふらふらと歩いているその少年の足元につられて赤く光る道が遅れないように道の軌道を変えていく。
もう少しで自分の道と交差する。
重い足を引き摺る。
今まで縮まらなかったその距離がどんどん近付いてくる。
自分の道を通り過ぎてその少年はどこかへ行ってしまう。

あと数フィート。

思いきり伸ばした。
もう一歩を踏み出した時、左足が赤く光る道に差し掛かった。
その途端。

世界が大きな渦に巻き込まれていった。
虚ろな笑い声が煩いほどに木霊していた。
それが自分のものだと気付いた時、少年がはるか遠くから自分を見下ろしているのが見えた。

やってやった。

少年が自分を見たその時、安堵が全身を包んだ。
緊張していた体が解れ、いつ叩きつけられるかわからない空間に身を任せた。
次に気が付いた時にはまた青白く光る道に立っていた。
道の行く先が今度ははっきりと見て取れた。
大きく上空に繋がり、今、自分が立っている場所に続いていた。
大きく捻じれたそれはメヴィウスの輪。
終わりなんてどこにもない、永遠に続く道。
そしてまた一歩を踏み出す。

足にはまたひとつ、重い枷が増えている。



「ドラコ……」



(誰だ、僕の名を呼んでいるのは。)


もう8時だ、遅れる!」
「朝食を食いっぱぐれる!」

切羽詰った声に目を開くと丸顔の二人が視界の中に映った。
二人とも制服を着て、口々に「遅れる」と「朝食」を繰り返しながら、それ以上に大きな腹の虫で講義している。
「先に行けば良いだろう」
ドラコが起きあがって睨みつけると顔を歪めて二人は頷き合った。
「……だって、なぁ」
「すげぇ、唸ってたし……」
煮え切らないその言葉に舌打ちしてベッドを出る。
すぐに自分が酷く汗をかいているのに気が付いて、その気持ち悪さにベッドに群がる二人を力任せにどけてクローゼットを開いた。
「心配されるような事は何も無い。もう良いから、先に行け。」

ひと睨みで部屋から追い出してシャワー室へ向かった。
シルクのパジャマを脱ぎ去ってブースに入りコックを捻る。
冷水がドラコに襲いかかり、それでもじっと待っていると暖かいそれに変わっていく。
頭からそれを被り、両手で何度も顔をぬぐう。
後から後から溢れる湯がドラコの全身を濡らして重力に逆らわず流れていく。
それに従うようにドラコの両手も顎を滑り、胸を掠めていく。
漸く辿り着いたそこを握り込むと、意図せず口から溜息が漏れた。
身体が求めるままに手を動かせば、心拍数が跳ねあがり、体の中に溜まる蟠りが一点にとぐろを巻く。
壁に右肘をついて前傾姿勢になるとまるで腕に誰かを抱くような格好になって左手で自分を追いたてた。
「くっ……ぅ…」
勢い良く放たれたそれは即座にシャワーにかき消され、ドラコの身体を打ち続けた。
熱っぽく虚ろな眼差しが次第に焦点を掴むと、ドラコはシャワーを止めてブースを出た。

下着とズボンを身に着け、シャツを羽織って鏡の前に立つ。
シャワーのせいだけではなく、上気した頬が珍しく健康的に見えた。
ゆっくりとボタンを留めながら、ぼんやりと今朝見た夢を思い出していた。
今年に入ってから何度も見ているその夢が、回を増すごとに謎ときのように意味不明なものになっていく。
あまりに明瞭なそれはまるで呪いのように、ドラコの安眠を妨害して、朝になると酷い倦怠感と性欲を掻き立てるのだ。
シャツの裾をズボンに差し入れて、体を結ぶ間、目の前にあの少年の姿がちらついた。
大いに見覚えのあるあの少年がどうして夢の中に出てくるのか、ドラコは不快でならない。
苛々としてきた気分を押さえ、タイの歪みを直してセーターを着ると、シャワールームから出た。
もう一度クローゼットを開け、ローブを取りだし、髪を整え、授業に使うものを一式抱えると部屋を後にした。

「あら、珍しいのね。」

談話室に下りたところで聞きなれた声がドラコを呼びとめた。
「だいぶ前に二人が慌てて出ていったわ。」
「だろうな」
パンジー・パーキンソンは綺麗な細工のクリスタルグラスでオレンジジュースを飲みながら、教科書を捲っているようだ。
「今からホールに行っても、すぐに時間よ」
ソファから振り返ってパンジーが悪戯な笑みで言った。
「わかっているさ、君こそ……」
「今日は人が大勢いる所に行く気分じゃないし、私はこれで足りるから良いの。それより急いだ方が良いわよ、あと十分しかないわ。私は教室が近いけれど、あなたは遠いんじゃない?」
パンジーがグラスに口付けながらそう言って、ドラコは談話室の振り子時計を見て舌打ちをした。
「そうだな。それじゃ」
ひらひらと手を振る少女に背を向けて談話室を出た。

地上へと続く階段を上りながら、また夢を思い出す。

「あれは、お前なのか……ポッター?」


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