私は私の友人を思い出す。
 彼の抱いていた想いに思いを馳せる。
 私はそれに名前をつけようとする。
 私はそれに名前をつけるのを躊躇う。
 私は、
 私が彼に抱いていた想いを、疑問に思う。

 きっとただの友情、だけではなかった。だけれどそれは恋情などと呼べる物でもなかった(はずだ)。
 否、どこかで恋情を抱いていた節もあったのだろう、それは否定をしない。だけれど、あの感情にそのような名前をつけてしまうことに、私は(何故かは解らない、が、)抵抗があった。そうすることによって、何か、彼と私の間にあったのであろう物が崩れてしまうような、そんな予感がしていたからだ。
 私は何とはなしに、私の友人であった玄児を思い出す。その顔を、声を、手のひらの感触を。少しずつおぼろげになっていく彼の記憶を辿って、そしてどこかに痛みが走るのを、感じる。それは肉体的なものではなく、そう、(心、が)精神的な痛みというものだ。
 私は悲しいのだろうか、と考える。彼がいなくなって、悲しいのだろうか。確かに、悲しく哀しい。それでも日常生活に支障を来すほどに、それ以外のことを考えられなくなるほどに、悲しいということはない。
 私は信じているのだろうか、と自身を疑う。彼が、ダリアの祝福を受けることを。……。
(ああ、)
 私は頭を振って、そんな馬鹿げた思考を振り払った。そして、もう一度、私の友人を思い出す。尖った顎、切れ長の目、真っ黒な服に、青白い肌。そして、もはやこの世にない。死体は見つかっていない。だけれど、きっと死んでしまった人。
 彼の本当の名は、玄児ではなく忠教であった。だけれど、私の中での彼は、あくまでも“玄児”である。私の記憶の中にある彼は玄児であってそれ以外の何者でもなく、そして彼がどのような想いを抱いていたところで私にとっての彼は友人でしかなく。
 私がどれだけ、たとえば彼のことをいとしいと感じていたところで、それを今更伝える術はないのだと、私は確認する。
 私は、彼が、彼を、愛しいと感じていた自分に、気付かないふりをする。
 ただ、少しだけ、彼と共にいけなかった自分が、悔しかった。
(……共に死ぬことなど、望んではいないけれど)
 私は思う。真実は忠教という名の彼が、玄児として私の中で呼吸をし続ければ良い、と。彼と共に“中也”が死んでくれたのならば良いのだが、と。

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