風邪をひいた、ようだ。
頭が痛くて、咳が出る。ついでに喉が痛い。食欲も強いて無い。これはもしや風邪じゃないか、と嫌な予感がしていたのだけど、予感は数字で示された途端に確信になった。ああ、俺って馬鹿じゃなかったんだなと自嘲気味に思う。
思いながら、坂井はどう見ても37.8℃という数字にしか見えない体温計の文字を、まじまじと見つめた。何度見直しても、それはどう見たって普段の数字よりも幾分か高かった。
「風邪とか……」
何年ぶりだろうか。
溜息を吐き、とりあえず川中に電話を掛けることにした。別に店に出られないことはないが、客や店の女の子にうつってしまってはいけないので、今日は休む事になる。電話に出た川中は心配そうだったが、坂井の声が意外と元気そうなのを聞いて、暇になったら見舞いに行くよ、と笑った。今日はゆっくり休めよ、と。
ありがとうございます、と坂井は礼を言って、受話器を置く。置いた後、さあどうしようと電話の前で暫く突っ立っていた。何しろすることがないので、まだまだ日は高いが眠る事にしようかと思い立つ。
だから、とりあえず飯を食った。食欲はあまりなかったが、それでも食べ始めるとそれなりに食えたので、坂井は少し安心する。別にいつもと変わるところもないな、と。
食器を適当に片付け、置き薬の中にあった風邪薬を飲んでいると、電話が鳴った。誰だろうか、と坂井が受話器を取ると、聞きなれた声が飛び込んでくる。
「よう、坂井」
「下村か……」
楽しそうな声を上げる下村に、坂井は苦笑した。どうせ社長にでも聞いたんだろうな、と考えたからだ。おい、下村、今日は坂井が風邪らしいぞ。あいつも馬鹿じゃなかったんだな、とか何とか言われたんだろう、多分。
そんな取り留めのない事を坂井が考えて少し楽しくなっていると、下村の声が少し曇った。はしゃいで、母親に怒られた子供のような声になる。
「あ、やっぱり辛いのか?なら切るけど」
どうやら沈黙を辛さから来るものだと思ったらしい。そうじゃない、と坂井は笑った。
「そう、なら良いんだ」ほっとしたように笑い声を上げた下村は、明るく「ところで坂井、お前何してた?これから何する?」
「寝ようかって思ってたんだけど」
坂井が言うと、下村はそう、と呟くように言った。そう、ならちょっと待っててくれよ、と。
「何を待つんだ?」
「なにかお土産に持った俺を。寝る前に鍵を開けてくれよ」
坂井の問いに、下村は受話器越しには分からないが、酷く楽しそうに笑ったのだろう。そんな風に思わせる声で、言った。
ナチュラルにバカップルする二人がいい