「お前は、本当に藤木に似てきたな」
苦笑した川中の手の中で、グラスに入った溶けかけの氷がカランと音を立てた。酒が薄まっていく、そう思考の隅で考えながら、坂井は川中のグラスに入っている物と同じ安物の酒を口に含んだ。無意味に数字を連ねているだけの酒よりも、こういう小さな店で飲む安物の酒の方が美味い。そんな気分にも、なる時がある。
「時々、びっくりするよ」
無意味にグラスを揺らしながら、川中はどこか一点だけを見て言った。坂井はどこを見ているのだろうと視線を追ってみるが、何を見ているかは分からない。だからゆらゆらと揺れる琥珀色の酒を、じぃと見つめた。
「でもオレは、藤木さんじゃありませんよ、社長」
「知ってるさ」
呟くような言葉とともに、吐息だけで笑ってみせる。
「だが、同一であることと似ていることというのは、別物だろう。……別物だろう」
噛み締めるような言葉の傍で、揺れているグラスの中でからからと少しずつ少しずつ小さくなっていく氷が、懲りずに音を立てている。坂井はそれが妙に気になってしまって、そのグラスから視線を外した。そして、見慣れた川中の横顔を見る。
初めて会った時より老けたな、と、そんな当たり前なことをふと思った。
「当たり前です。どれだけ似ていようと他人は他人ですから」
似ているだけで同一になるなんてことがあるとすれば、そんな世界は最低だ。そこらじゅうにドッペルゲンガーが溢れることになる。自分が誰かさえ分からなくなる。坂井はそんな世界を想像して、唇だけで少し笑った。不快を通り越し、それはいっそ愉快かもしれない。ドッペルゲンガー、自分と同一の人物に会えば、死ぬのだと言う。世界中の人間が死ぬ羽目になる。
だけどそんなの、やっぱり嫌だ。自分は自分だといえないような世界なんて。自分を自分だと言えないのなら、死人の意思を誰が継ごうか。誰が死人を忘れずにいようか。
坂井は続けてそんなことを考えてしまって、愉快な気分が一つもなくなった。やるせない気持ちで視線を足元へと落とす。
「……オレも最近の高岸を見ていると、下村がいるような気がする時がありますよ」
「ああ、……そうだな。高岸は下村に似てきた。嫌ってほどに」
グラスを揺らす手を止めた川中がそう呟いて、仕切りなおすかのように「だけど」と声を張り上げた。いきなりのことに驚く坂井の目を見て、川中はいつものように笑った。
「やっぱり、別人は別人だ。あいつらは心の中で生きてる。代わりなんていないし、いらない」
そう言うと、溶けた氷の所為で少し色の薄くなった酒を呷った。川中は薄いな、と言って笑った。空いたグラスを机に置いて、川中が坂井に向き直る。そしてどこか呆れた風な顔をして、それにしても、と続けた。
「お前は可愛げがなくなったな。俺を殺すなんて言ってた奴はどこにいっちまったんだ?」
その言葉を聞いて、坂井は小首を傾げた。薄く微笑みながら、言う。
「さあ。藤木さんが死んだ時、流した涙と一緒に、地面に落ちて吸い込まれていっちまったんじゃないですかね」
「……お前は叶にも似てきたかな」
なんて気障なことを言うんだ、そう言って川中は酷く楽しげに笑った。やっぱり社長はそう笑ってるほうが良いですよと口に出そうとして思いとどまった坂井は、その代わりに一緒になって同じように笑う。
川中と別れた後、坂井は一人で考える。社長は自分に藤木を求めたことがあっただろうか、と。
高岸が下村に似てきたのは、恐らく彼自身が望んだことであり、そして高岸の面倒を見ている自分が面影を望む所為なのだろうということを、坂井は深く理解していた。高岸は下村ではないと知っていながら、それでもどこかで望んでしまっているのだ。
いっそのこと下村が死んだのはドッペルゲンガーの所為ならば良かった。そうすれば、彼を死に追いやった鏡像が、どこかで生きているのだから。半ば本気でそんな空想をしてしまった坂井は、それでも自分の考えを頭から嘲うことが出来なくて、どうしようもなく泣きたい気分になった。
そして、そんな空想にさえ縋ろうとする弱い自分が、流れそうな涙とともに消え去れば良いと願った。
流した涙と〜の部分が書きたかった。