学年一の美人だと言われている、クラスも小学も違う、だけど学年は同じの少女。そんな子がいる事は知っていたけれど、その少女自体については亘は顔も名前も知らなかった。
知らなかったのだけれど、前にカッちゃんが友達と談笑している一人の少女を指差して「わ、あれスゲェ美人だって、こないだニシグチが言ってた子だ」と、少し興奮した風に言ってきたので、亘はその時初めてその少女の顔を知ったのだった。そう、あれは確か、一月ほど前のことだっただろう。
その時亘は、その少女を見てへえ、確かに美人だなと素直に思ったものだった。実際、ちょっとその辺りを見ただけでは見つからないくらいの美少女だった。だからカッちゃんに本当だね、と相槌を打ってみせたのだけど、それでも内心では彼女以上に顔の整った人を知っている、と思っていた。その場ではそれが誰だったのかは思い出せなかったが、家に帰ってから考えて、ああそうだ、大松さんの方が美人なんだよ。と一人で納得して頷いていた。
頷いたは良いけど、小さく確実な何かが引っかかっている気がして、釈然としないものを感じてほかにも誰か、とても綺麗な顔をした人を身近に知っていた筈だと小首を傾げた。だが、そうすると、亘の中の小さな亘が、それは思い出すなと警告をしたのだった。思い出すべきではない、思い出さない方が身のためだよと、思い出そうとしている亘とはきっと違う意思を持っているのだろう、無意識の中の亘が叫んでいた。だから亘は閉ざされた扉の向こうを覗くことはせずに、大松さんは元気かな、と関係ない事に意識を飛ばしたのだ。
そんなことを急に思い出したのは、買い物の途中、偶然にその彼女を見つけたからだった。
正確に言うと買い物の途中ではなく、いつもとは違う道で店に行こうとして、その道中で見つけた公園のベンチに座っている彼女を見た、というのが正しい。いやに真剣な顔でなんだか小難しそうな本を読んでいたうえ、一方的に亘が顔を知っているだけなので声をかけたりはしなかったのだが、恐らく声をかけても気付かれなかっただろう。それくらいに真剣な表情だった。
何とはなしに足音を出来るだけ消してそこを通り過ぎ、どうしてあんなところで読んでいるのだろうと呆れ半分の気持ちになった亘は、それでもその姿に何かを感じていた。なんだか過去にも見たことがあるような気がしたからだ。
どこでだろう、という疑問が浮かんだ。何か重要なことだったような、とても大切なものだったような、そんな思いに駆られて、後の道のりはそれしか考えていなかった。そのせいで、どこをどう歩いたのか定かでない。気が付けば店先に立っていたので、同じ道を通って帰ることは出来ないだろう。
そして今、亘は買い物メモを見ながら籠に食材を放り込みつつも、まだどこで見たのだっただろうか、誰のことだっただろうかと考えていた。もしかすると単なる既視感かもしれないな、という考えも頭の隅にちらりと浮かんだが、それでも、確かに亘はあんな顔をする人を知っていた筈だと考え直す。だけどまたすぐに既視感だろうか、と思ってしまうのだ。そして、またその考えを否定する。堂々巡りだった。
亘の中には小さな亘がたくさんいて、それらは記憶の番をしているのだ。記憶は一つ一つの事柄別に扉があって、その奥に仕舞われている。開きっぱなしの扉があれば、固く固く閉ざされた扉もある。そして今思い出そうとしているのは閉ざされた扉の奥に仕舞ってある記憶で、思い出そうとしても本能だとか無意識だとかが反抗している。思い出すな、という声がする。
それは亘の心の声だろう。
だけどそんな無意識とは裏腹に、亘の意思は必死に誰かを思い出そうとしている。
思い出そうとして過去に耽っていると、目の前の現状を意識出来ていなかったらしい。ふと気が付くと、もう目当ての棚はとっくの昔に通り過ぎていた。苦笑しながら慌てて方向転換をする。そしてその時、何も考えなかった一瞬。
じぃと長い時間睨んでも解けなかった問題が、それから意識を逸らした瞬間に答えが見つかることがある。解いてみれば呆気なくて、何をそんなに悩んでいたのだと自分を笑ってしまうのだ。そんな時と同じように、ふ、と一つの名前が頭に浮かんだ。
芦川、美鶴。
「……ああ」
亘は思わず声を出してしまった。とても綺麗な顔をしている人というのは、きっと彼だ。彼と、何かの拍子に会ったことがある彼の叔母さん、だ。あの人たちはとても綺麗な顔をしていた、そのことを思い出した亘は、何をそんなに悩んでいたんだろう、と拍子抜けした気分になった。それでも答えが見つかったことで嬉しくなって、にっこりと笑おうとする。
だが、亘の声を聞いたらしい男性が怪訝そうな顔を向けていたので、亘は笑みを引っ込めた。そして変な声を聞かれていたと言う恥ずかしさで少し俯き加減になりながら、目当ての棚を目指して歩き始めた。
どこかに眠っている記憶の中で、誰かを必死に呼ぶ声がする(気が、した)