「ミツル……!」
思わず叫んだ亘は美鶴に駆け寄ってその肩を掴んだ。そしてあまり変わらない高さにある整った顔を、じっと見つめる。喜びのあまり涙がにじむ。
美鶴が生きている。生きている!
そのことだけで思考全部が占められて、美鶴を抱きしめたいくらいの喜びを必死に抑える亘は、美鶴の当惑したような声で現実に引き戻された。
「誰だ、お前?」
少し前まで幻界で耳にしていたものと同じ、だけど決定的に何かが違う声で、美鶴はそう言った。困惑したようなその顔に、幻界の時のような研ぎ澄まされた刃のような危うさはない。その声に、感情を押し殺したような響きはない。
唐突に、気付いた。ああ、美鶴は、亘の知ってるミツルではないのだということに。彼が幻界に行った要因である妹、アヤは生きているのだから。そんな彼が、幻界に行って、運命を変えてもらおうとは思わないだろう。
だけど、それは良い事だ。ここにいる美鶴、は、あの血を吐くような苦しみを知らない。自身の行いに苦しめられる事もない。
それは、何て、幸せだろう。
そう思って、知らない人のふりをして微笑もうとした瞬間。目の前が真っ暗になって、亘は意識を手放した。ああ、そういえば最近眠れてなかったなあ、と意識の狭間で思った。
そして意識を手放す瞬間に「ミタニ!」と、誰かが(恐らく、カッちゃんだろう)叫んだような気が、した。
そして気付いた時、亘は見覚えのあるようでない天井を見つめていた。
「ん。目、覚めたのか?」
天井が、美鶴の顔に変わる。
「あ、うん。……ここ、保健室?」
亘が上半身を起こして周りを見渡すと、亘を覗き込むのを止めてベッドの端に腰掛けた美鶴が「そう」と頷く。そして頷いた後に亘をじっと見て、微笑んだ。悪戯っ子のような笑みで、
「驚いたよ。いきなり俺の名前を当てるし、しかも何でか倒れるし」
何だったんだ?と小首を傾げる美鶴に、亘は微苦笑を返す。目の前にいる彼は、亘の知っている美鶴とは全くの別人だということを見せ付けられた気分だった。美鶴はこんな風に笑わない。
だけど、初めて見ると言っても過言ではない彼の棘のない微笑は、思わずどきりとしてしまうほどのものだった。ミツルの最期を見届けた時も棘のない微笑はしていたが、その時はそんな余計な感情を伴えなかったので、彼の笑みがこんなにも綺麗だとは知らなかったのだ。
心の中でミツルと、この目の前にいる芦川美鶴を比べている自分に気が付いて、亘はどうしようもなく苦々しい気分になった。別人だと確認した瞬間、それでも、と考えてしまう。馬鹿だと思いながら、それでも止められない。
そんな自己嫌悪に陥った亘は、ふと思い出した。学生の本業、授業。今は何時間目だ?
「え、今何時!?」
にわかに慌て始める亘を見て、美鶴は少し驚いたように目を見開いた。だが、すぐに慌てる理由に思い当たったらしい。にやりと笑う。
「10時過ぎ。今の授業が終わったら、25分休み。授業に出るのはその後からになさいって、保険の先生は言ってたぞ。あ、ちなみに俺は今日は見学だけなんだ。安心したか、ミタニ?」
「あ、そうなんだー……。良かった」
ほっと胸を撫で下ろす亘は、美鶴が自分のことをミタニと呼んだ事に気が付いた。多分倒れる瞬間に聞いた声はカッちゃんで、それを聞いた美鶴が、亘の名字をミタニだと勘違いしたのだろう。
「あー、僕の名字、ミタニじゃないよ。変わったんだ。カッちゃん、まだ僕のことそう呼んでた?」
変わったってずっと言ってるのにね、と亘は笑って見せたが、美鶴は呆けたような顔をしていた。だがすぐに真剣な顔になって、不可思議そうに声を出す。
「誰も、お前を呼んでないよ。え、俺、何で?」
しきりに首を傾げていた美鶴は、ふと思いついたように唇に手をやった。眉根を寄せて、何かを必死にたぐるように瞳を伏せる。
「ミタニ?……ワタ、ル」
亘の背筋が、凍った。
ゆっくりと、哀情にも近い感情がじわじわとあふれ出る。美鶴も、どこか悲しそうな表情を浮かべて、亘を見た。
「これ、お前の名前……なんて、言わない、よな?」
ああ、どうして忘れるのならば、全てを忘れきらせてくれないのだろう。亘は泣き出したい気分になりながら、ゆっくりと頷いた。(ねえ、僕のことだけを、思い出してよ。そうすれば、僕は君に虚像をあげる。)
「僕の少し前までの名前は、三谷亘、だったよ。ねぇ」
忘れて欲しいとは思っている。だけれど、亘はやっぱり美鶴に少しでも良いから、幻界を思い出してほしいと思っている。とんでもない自分勝手だと、自分を殺したいほどの自己嫌悪。
「芦川、美鶴君」
(だけど多分、幻界を思い出すなんてことは、ない。だってそれは、両親と妹をなくしたミツルの記憶なのだから)
映画見たあとのよく解らない興奮状態で書きました。
いつもながらというかいつも以上に意味が分かりません。