「なあ、チドリん」
「その呼び方、やめてって言ったでしょ。……で、何?」
チドリはスケッチブックに向けている顔をしかめながら、それでもきちんと問い返す。そのことが嬉しくて、順平は思わず顔が緩む。
影時間なんかのことを忘れてしまったチドリは、きちんと生きていようとしてくれる。一緒に過ごした時間も忘れてしまったけれど、だがそれだけで充分だった。
そんなことを考える順平の顔をいつの間にか見ていたチドリは、眉をひそめた。
「な、何よ、ニヤニヤ笑って。気味悪いわね……」
「いやー、何でもねーよー。ただこう、良いなあって思っただけでさ」
「良い……?何が?」
チドリは不思議そうに首を傾げる。順平はいやいや、と首を振って、その問いには答えなかった。
「ん、こっちの話。そうそ、チドリんの大切な人って奴さ、それってどんな奴なの?」
順平がそう問うと、チドリは微かな笑みを浮かべると「そうね」と、視線を少し上に向けた。晴れ渡った空は、ひたすら青い。
「優しい人、で楽しい人よ。曖昧にしか思い出せないんだけどね……」
残念そうに小さく息を吐いて、チドリは俯いた。
「良い奴、なんだな。うーん、オレっちじゃあチドリんの大切な人にはなれないみてーだなー」
順平が冗談めかしてそう言うと、チドリはちらりとそんな順平の顔を見て、小さく首を振る。
「ううん、何だか……何でだろう、順平を見てるときと、大切な人を思い出すときに感じる暖かさ、っていうのかな……。それって、似てるような気がするの。だからきっと、順平みたいに、私を元気付けてくれる人よ」
だけど大切な人には確かになれないわね、とチドリは笑って、スケッチブックに視線を落とす。そんなチドリの、相変わらず何を描いているのか分からない絵を見ながら、順平はこみあげてくるため息を押し殺すのに必死だった。
(ちぇー、ていうかオレなんだけどなー)
内心でそう呟いて、だが別に脈がないというわけでもないかと自分を元気付け、順平は空を見上げた。眩しさに瞳を細め、そういえばチドリにあのスケッチブックを見せたらどうなるんだろう、などと考える。
そんな順平をこっそりと横目で伺うチドリは、ひっそりと笑みを浮かべた。
(大切な人、が誰かは分からないけど……。順平みたいな人なら、良いかも)
そんなことを考える自分に少し苦笑して、鉛筆を走らせる。何だか昔、こういう風に大切な人を描いたような気がした。
順平とチドリはほのぼの可愛いカップルで良いよ……