分かってくれたんだね、と本当に嬉しそうに笑ってみせる綾時を見て、湊はきりきりと胸が痛むのを感じた。それに気がついたのか、綾時は少しだけ笑顔を曇らせて、小首を傾げてみせる。
「どうしたの、湊君」
「……本当に、忘れてしまうのか」
まるでただの日常生活の中のような、そんな綾時の軽い口調の問いかけ。それに答えることのできない湊の声は、とても硬い。
「お前の声も、姿も、……存在すら、なかったことになってしまうのか?」
「……」
綾時は驚いたように瞳を細め、すぐに、見ているだけで涙がこみ上げてくるような、そんな優しくて優しい微笑を口元に浮かべた。瞳を伏せて、ゆるりと首を振る。
「そんなこと、考えなくても、良いよ」
「だが、」
「僕を殺すのに躊躇わないでくれ。僕は死を恐れてはいない。君は何かを殺す、ということに抵抗を覚えるかもしれないけど……大丈夫、目覚めた時には、なかったことになっているから」
ベッドに座っている綾時は、手を伸ばせば触れられる位置で突っ立っている湊を見上げると「座ったら?」と自分の隣を指で示した。湊はそれに何の言葉も返さず、綾時の隣に座る。だが彼の顔を見ることはなく、床を見つめた。
「そんなのは……嫌だ。お前がよくても、オレが」
「……だって仕様がないだろう?それにね、」
「ん……?」
不意に言葉を途切れさせた綾時に、湊は視線をやる。綾時はどこか焦点の合ってない瞳で、窓の外を見つめていた。空に穴を穿ったかのような、大きな丸い丸い月を。
「僕は、僕のまま、君の手で死にたいのかもしれない」
まるで歌うようにつむがれた言葉。
「僕は君が好きだよ。他のみんなも、……世界すべても。だからこそ、何も出来ず、ただ滅びを宣告するためだけに現れ、そして闇に溶けていくなんて……そんなのは嫌なんだと思う」
自分のことであろうに、どこかあやふやな言い回しだ。湊はそれを聞いて、泣きたくなるのを堪える。彼はきっと、何も知らない子供なのだと、そう思ってしまった。自分の中で確かに息衝いて、そして育った幼子でしかないのだろうと。
そうでなければ、彼の言葉や存在が、こんなにも自分の心を動かすはずがない、と。
「それにね、僕は君たちが苦しむのなんて、やっぱり耐えられないから」
「……」
「湊君、お願い。君にしか、頼めないんだ」
綾時はそう言って、うつむき加減の湊の顔を覗き込んだ。その瞳は、まるで凪いだ海のようで、少しの感情のさざめきも感じ取れなかった。
湊は唇を噛んで、立ち上がる。綾時はそれを目で追って、凛とした微笑を湛えていた。それを見て、思わず言葉が唇から零れる。言わずにおこうと思っていた、仲間たちの意思に反してまでこの選択を選んだ理由が。
「綾時、オレがお前を殺そうと思ったのは」
「ん?」
「お前が始めてした頼みごとだから、叶えてやりたかったんだ」
「……!」
綾時は瞳を見開いて、口を半開きにする。ひどく驚いた風で、湊は思わずちいさく笑ってしまった。目の奥が熱く、胸が疼く。こんな感情すらすべて忘れてしまうなんてのは、にわかには信じられない、など頭の隅で考える。
「あ……りが、」
立ち上がった綾時は、湊の耳元に唇を寄せて、囁きとも呼べないほどの声で、そう言った。それが掠れた、まるで泣き声のように聞こえて、湊は強く瞑目する。もはや手に馴染んでしまった召喚器を取り、こめかみに当てる。
そして思った。
オルフェウス、とつぶやこうとした唇を塞いだ熱さえ忘れるのだろうか、と。掠めるような口付けが離れる瞬間、きっと声に出したつもりはなかったのだろう「愛してる」という呟きも、すべて忘れるのだろうかと。
(オレもだ)
心の中だけで返した返答は、伝わっただろうか。
なんか綾時は主人公が大切すぎるんだと思うっていうのが
書きたかったのに書けなかった