私、この人と付き合ってるから、だからごめんね。
鈴のような声が、呟く。白く細い腕に腕を絡めとられて、言葉の意味が掴めずに呆然としていた完二はそこでようやく、彼女の言う「付き合ってる」人が自分であることに気付いた。
「おい、りせ、お前ちょっと……」
「しぃ、完二」
慌てて、咎めるように自分の肩にも届かない、小さな彼女を見下ろす。彼女、りせは完二にしか聞こえないほどの小さな声で「ここは話を合わせて」と言い、まるで許可を得るように、どこか不安げな大きな瞳を向けてきた。
「……ね?」
いつもの強気な様子とは違う、おびえる子供のような顔と声。ぐ、と完二は言葉を呑んで、目の前の男に気付かれない程度に息を吐いた。
そしてその、目の前の男を見やる。男と同じ制服を着ている者たちは、この近くでもよく見かける。それは確か、少し遠くにある有名校のものだったはずだ。そのことに気付き、完二は呆れる。
男が現れたのは、完二とりせがそろそろ授業が始まる、と小走りに学校へと向かっている途中だったのだ。今からどれだけ慌てても、すぐ近くに学校がある完二やりせとは違い、男は遅刻だろう。
(進学率とか点数とかばっか気にしてるような奴が、よくもまあ、告白のためだけに……)
内心、完二は呟いた。
この男は、いきなりりせの前を通せんぼするかのように現れて、いきなり「僕と付き合ってくれ!」などと言い出したのだ。それに対する返答が冒頭であるが、それにしても、と完二は思う。
同学年であることから、図らずともりせと行動することが多くなっているのだが、それにしても彼女はよく告白される。アイドル、というそれだけでどこか敬遠がちになるかもしれない、と心配していた先輩方に、また別の心配をかけてしまいそうなほどに。
そして完二が思うに、彼女はきっと、そんな告白なんかを断るのが苦手なのだ。
今も「そんなこと言って、僕を断るための口実でしょ?」などとへらへらと笑いながら言う男に、困り果てたように眉尻を下げている。絡められた腕にぎゅ、と力が入った。ほとんど胸に押し付けられるようにしたそれに柔らかなものを感じて、完二は慌てる。
「ていうかさー、もしほんとに彼と君が付き合ってるんだとしても、それって絶対君のためにならないから。りせちーにはさ、僕みたいな、」
男が言い募る言葉を右から左に流しつつ、完二は絡めとられた腕を、どうやって彼女から引き剥がそうかと考えていた。りせはほんの少し後ろに下がり、唇を尖らせる。
「あ、あんたなんかよりもずーっと彼は凄いんだから!」
「へえ?何が?」
男は嘲るように小首をかしげて、完二を見上げた。そして、ため息を吐く。そのあからさまな侮蔑にりせは何かを言い返そうとしたのか、口を開いた。その時ふと腕の力が抜けたので、完二はそれを振り払う。
男が嘲笑う。
「ははっ!やっぱり君たちは付き合ってなんてないんじゃないか!……まあ、もし仮に付き合ってたとしても、そんな男に君を幸せに出来るなんて思えないけどね」
ショックを受けたように完二を見つめるりせに「ばかお前胸が当たってんだよ!」と小声で諌めると、完二は男をじっと見た。なぜか、彼の言葉が癇に障った。
完二ははぁ、と息を吐くと、ぐるりと周囲を見渡す。男が現れたときにはそれなりにいた生徒たちも、今はもうほとんどいない。いたとしても、一心不乱に校門を目指している者たちくらいだ。それを確認して、ならば良いかと思う。
完二は、おもむろに腕をりせの華奢な肩へと回した。急な出来事に目を白黒させているりせを自分の胸元へと抱き寄せると、呆けたように口を開く男にしゃあしゃあと言ってのける。
「すんません、もう授業始まるんスよ。そいじゃ。……行くぞ、りせ」
「え?え?あ、うん。分かった、完二」
ぱちぱちと瞬きを繰り返していたりせは、完二の言葉に頷いて、それから男をちらりと見た。男はちっ、と舌打ちをして、完二をじろりと睨む。
「何だよ、アイドルったって所詮はただの女か……」
男は吐き捨てる。完二はりせに鞄を持たせて、肩を抱く手はそのままに、空いた手を拳にして男の前へと突き出した。
ひ、と息を呑む男に出来るだけ低くした声で「これ以上こいつに近づくな」と言ってやると、男は恨めしそうな顔をして、だがそそくさと背を向ける。
腕の中で見上げてくるりせに「ほれ、行くぞ」と言って、半ば引きずるように歩く。時計を見て、授業開始までに間に合うだろうか、と冷静に考える完二とは裏腹に、りせは慌てていた。
「え、いや完二、あの、」
追っ払ってくれてありがとう、この体勢は何なわけ。とりあえずその二つを言おうとして、だがどちらも言えないままりせの言葉は完二の声によって封じられた。
「何か、あいつが俺がりせを幸せに出来ねーって言ったのがムカついただけだから、お前からの礼はいらねーよ」
「え?……うん」
「じゃーさっさと行くぞ。授業始まる。遅刻したら先輩に怒られんだよなあ……」
サボりてえ、と呻く完二は、りせを抱き寄せていることを忘れているのか、というくらいの自然さでそのまま歩いていく。りせは背が高いせいでほとんど目線の交わることのない完二の顔をがんばって首を上げてじっと見つめると、すぐに前を向いた。
(肩が重い)
思って、愉快そうに笑うと、りせは完二に体を寄せた。
恋人ごっこする二人が書きたかっただけ!1!