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新しい世界 -1 ある休日の昼下がり。 私の欲望は、そこから育ち始めた。 「清麿」 「ん? っ!」 机に向かい宿題をしている清麿の頬に、私は背後からそっとキスをあげる。 清麿の顔は途端に赤く染まり、手からシャーペンが落ちる。 シャーペンは数字と漢字が詰み込められたノートの上で、静かに転がった。 「な、なな、シェ…っ」 「清麿が構ってくれないからよ」 せっかく遊びに来たのに。 私は唇に人差し指を当て、不敵な笑みを浮かべてみせた。 頬を隠して、私を動揺しながら見上げる清麿の顔は、やっぱり私より幼い。 ああもう可愛いったら。愛しくて堪らないから。 私だけの、年下のあなた。 「早く終わらしてね。宿題」 「え、あ、うん」 ベッドに腰掛けてそう告知すると、清麿はまた一度机に向かい、 シャーペンを走らせた。 「………」 ああ、この後ろ姿、好き。 戦う姿も好きだけれど。静かで凛々しいこの姿も、私は大好きよ。 さっき背後からキスしてしまったのも、 この後ろ姿に引きつけられたからじゃないかな。 って、思う。 (清麿の ベッド) 座った体勢からそのまま、清麿のベッドに雪崩れのように転がる。 部屋に入った瞬間よりも強く、清麿の匂いが私の鼻をつついた。 好きなおとこのひとの、匂いだ。 (気持ちいい…ー) 瞳を閉じて、布団に顔を埋め、その温もりを堪能する。 清麿が毎晩、夢を見る場所。 気持ち良すぎて…何だか、ほう、と息が零れた。 酸素を求めれば、清麿の匂いが同時に吸い込まれる。 (サラサラの黒髪) (大きな背中) (温かい肩) 寝そべりながらもう一度、清麿の後ろ姿を見やる。 「清麿」 口が無意識に清麿を呼んだ。 「キスが、したい」 口が無意識に清麿を催促した。 「…え…」 静かに驚く清麿は振り返り、私を。 上半身を起き上がらせ私は上目遣いで、清麿を。 見つめる。視線がバシッとぶつかった。 「そしたら… 今度こそ おとなしくしてるから…」 ああ何だか子供みたいで、笑える。 私って、自分が思ってる以上に、我が儘な女なのね。 「………」 清麿は立上がり、私の方に歩み寄ってきた。 「宿題は…」 「?」 「終わった」 私の両肩が清麿の両手に包まれて。 唇がそっと…近寄ってきた。 小さくぶつかり合い、弾み、そのまま重ねる。 「…ん」 息は鼻から吸って。 重なる唇の隙間から少しだけ、零れる。 すぐ目の前には清麿の顔が。 目をつぶってる。 とんでもなく、綺麗だ。 「ふ、」 目を細めて清麿の表情を盗み見る。 は、は と、息をつく清麿が愛しい。 顔は赤くなっちゃってて。 眉間に皺がちょっと寄ってるのは、キスにまだ慣れていない証拠。 一生懸命私にキスを送ってくれてる、なんとも健気な証。 見てくれだけじゃない。この人は心も綺麗なんだ。 そして私はそんな人にこんなにも愛されている。 自惚れすぎかもしれないが、そう感じたら身体中が更に熱くなった。 「…っ んん」 胸が、ギュウっとなった。でも、全然苦しいものではなくて。 むしろ、心地良くて。 「ふ、ぅ…」 吐息が、漏れる。 「シェ リ…」 触れ合ってるだけのキスを角度を変えて何度も行う。 とにかく没頭する。 首に腕を回し、私は清麿を離さなかった。 「っは…」 「ん…」 幸せ。 ものすごく幸せ。 もういっそ、このまま (身体までも 重ね合っちゃいたい…) 清麿の匂いが充満したこの場所で 私を思いのままに押し倒して 身体中に、その唇で沢山の華を咲かせて欲しい 私を独り占めにしてやる、っていう印を。 (…欲しい) 清麿が──── 「…っ! シェリー、どうした…?」 「え?」 清麿は急に身体を放した。両肩は掴まれたままに。 何?と問うと、手…と清麿は呟いた。 私の、手?私は視線をそれに移した。 …そうしたら、 「…っあ…」 私の 右手は。 トレーナーを着ている清麿の、うなじよりも下の位置を つまり、服の中を 少しだけ、弄っていた。 左手はいつの間にか、清麿の腰に回されていた。 「…っ ご、ごめんなさ…っ!」 「え、あ、いや…」 慌てる私に、清麿は、オレも急に驚いてごめん…と小さく謝罪した。 本当に驚いただけのようだ、と表情から読み取れる。 けれど私の中には未だ罪悪感と羞恥心が漂う。 その上、モヤモヤした想いが頭の中を駆け巡る。 清麿の、何も無かったかのような表情。 すごくホッとしたような。 意識して貰えず、少し哀しいような。 そんな想いが、駆け巡る。 「清麿ー」 下の階から清麿のお母様の声。 清麿もそれに気付き、ベッドに座っていた足を起こして、ドアノブに手をかけた。 「ちょっと行ってくる。ついでにコーヒーでも煎れてくるな」 パタンと静かにドアの閉まる音。 それと同時に、私はベッドに自身の身体を押し付けた。 ばふん、ギシ、とベッドが鳴る。 その衝撃で、清麿の匂いがまたも私の鼻を刺激した。 身体がぶるりと震える。 右手で、唇を抑える。 身体を反転させ、天井と見つめ合った。 天井に映ったのは、清麿とキスし合った 先程の映像。 「…もし、」 清麿が、あの時。 私を拒まなかったなら。 私は そのまま清麿に抱かれようとしてた…? 私は眼を閉じ、瞑想した。 服が乱れ、段々と肌を晒し出す二人の、抱き合うシーン。 それと、海外映画によく出てくる 舌を絡ませる、キスシーンを。 「…っ」 バッと上半身を起こす。また、ブルリ、と身体が震えた。 今度の震えは脳までも刺激して、頭が、ガンガンと音を立ててる。 でもそれは決して、拒絶反応では無かった。 「…私は」 さっきから 何を考えていた? 「きよまろ…」 私は今、自分には勿体ないほどの、幸せの中に居る。 清麿と好き合っていて 付き合っていて 寄り添って、抱き合い、時折甘美なキスが出来る そんな幸せの中に。 それなのに 「私は、」 私は、キス以上の行為を これ以上の幸せを 今 願ってしまっている。 清麿への恋心に気付いた頃は、清麿を好きでいられるだけで、 それだけで、何もかも満足だったのに。 私は、それ以上を今、清麿に望んでいる。 欲望を満たしたいと思っている。 全てをぶつけたい ぶつけて貰いたい 清麿だけに。 「シェリー?」 コーヒーの熱気と匂いが私を目覚めさせた。 清麿は二つのマグカップを、机の上に置いた。 「大丈夫か? 今 ボーッとしてたけど」 私を本気で心配してくれている真っ直ぐな瞳の、その綺麗さ。 私には、眩しすぎた。 眼が潰れそう。壊れそうだ。 「あ… うん」 それに比べて私は今、どんな瞳をして、清麿を見ているのだろうか。 きっと汚いだろう。 汚過ぎて、清麿を恐がらせてしまいそうな。 嫌われて、しまいそうな。 それくらいの眼差しを、していると思った。 もう駄目だ。 そう感知した。これ以上見つめ合ってはいられない。 「清麿、ごめんね」 「え」 「私、帰るね」 「え、ちょ、シェリー? どうしたんだよ」 「大丈夫、何でもないの、大丈夫」 何が大丈夫なのか。何も大丈夫じゃない癖に。 私は清麿から眼を逸らし、コートを持って部屋を出、階段を下り、 靴をちゃんと履かないまま外に出た。 冷たい風が身体を刺激する。 この時期、いつもならココで身震いをする所なのだが、 今の私にはちょうどいい冷たさだった。 気持ちいい。 しかし私の中にある欲望というものは 未だ冷めずにいる。 心の中は 嘔吐しちゃいたいほど 気持ち悪い。 「ごめんね 清麿」 恋人なら、真剣に恋愛しているのなら こんな感情 持っていても、何も可笑しくは無い。 相手の精神、肉体、相手の持っている全部が欲しいと想うこと。 それが恋愛感情なんじゃないかと 清麿に恋するずっと前から、信じていた自分。 でも、私達は普通の恋人同士とは、ほんの少しだけ違くて。 私は十八だけど でも、清麿はまだ 「中学生 だから」 清麿も もしかしたら、ちょこっとだけでも。 私と、同じ事を考えてくれているかもしれない。 キスを越える先の事を、考えてくれているかもしれない。 でもそれは、まだ当分先の事だ とも考えているだろう。 清麿はそういう人なのだ。清純な人。私が一番、彼に惹かれた部分。 (ごめんね、清麿。 私もね、そう思う。 まだ先の事で、今するべき事じゃないと思う。それが常識。必要ない。 でもね) 清麿の全部が欲しいという貪欲さは、どんどん膨張していくの。 止まる事を知らずに、ただ、ただ成長していくの。 「ごめんね」 我慢しなくてはいけない。でも、それは利きそうにもない。 頭がごちゃごちゃして。 もうどうすれば良いのか判らなくなって。 気が付いたら、私は泣いていた。 懺悔の言葉を呟きながら、ただ泣いていた。 ああ 私の欲望を邪魔する全てを、何処かに葬ってしまいたい。 子供だとか、大人だとか、常識だとか、世間体とか、 そんなものが、何も無い世界へと、清麿と行きたい。 それかもういっそ、全部無視して 棄てて 忘れて そのまま清麿と 繋がってしまいたい。 二つから、たった一つのものになりたい。 「好き… もう 好き… 全部あげるから… 全部欲しい…」 全て渡して、受け止めて、楽になりたい もっと幸せになりたい。 ただの好奇心でも 性欲処理でも 自己満足の為でもないの。 私は清麿が好き過ぎている。溺れて、深い所まで堕ちている。どうしようも無く。 でも私は 何も出来ない。 涙は、とめどなく流れた。 |