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遠くで白鳩と戯れているシェリーを見つめる。 噴水近くのベンチに座って見つめる。 オレは何故か、昨晩読んだ『恋愛論』の内容を思い出す。 『恋が与えうる最大の幸福は、 愛する女の子の手を初めて握ることである』 オレの手が汗ばんだ。 文学者・スタンダールが讃えた『恋愛論』。 この言葉を知った時、オレは自分の根性の無さを再確認した。 いや別に、関係なんて焦って進めるモンじゃないけれど。 …ああ。 でも、やっぱ。 オレは“オトコ”じゃねえかも。 だってシェリーと付き合って、もう半月は経つのに。 一度も手を… 繋いだ事がないから… 「あ〜、くそ!!」 自分自身に呆れる。 シェリーに想いを告げただけで、オレはずっと自己満足してたみたいだ。 しかもそれを本によって思い知らされた。 …これでは付き合う前と変わらないではないか。 マジでこんな無知な自分が苛付く。 だからオレは馬鹿みたいに考え続けた。 情けない計画を。 (さりげなく… で、イイんだ。大丈夫、簡単だ) “手を繋ぐ方法” どんな参考書にも載っている筈ないから、自分自身で練ってみる。 案外難しいんだな、とドギマギして。 …純情なのか。根性がねえのか。 そうして拳を握り締めて俯いていたら、シェリーが駆け寄って来た。 「清麿〜? 清麿も一緒に、鳩に餌をあげましょうよ」 小さく砕いたポップコーンの袋を片手に、シェリーは催促した。 そして手招き。 普段は端麗な彼女もこういう時はすごく可愛いと思う、色惚けてるオレ。 (…綺麗な、手だな…) オレの視線の先には、シェリーの繊細な手。 細くて白い指。 ピンクの艶がある爪。 握ったら… 永久に放したくないと思う程の、可憐さ。 「ああ… 今行く」 ベンチから立ち上がってシェリーの元へ。 シェリーは噴水前に座って、鳩に餌を投げ渡していた。 オレがその傍に段々近づけば、 逃げていく、そして飛んでいく鳩たち。 「そんなに沢山の鳩に囲まれて、病気にならないのか?」 シェリーの周りに集結する鳩を見つめ、オレは問いた。 「大丈夫よ、私はアレルギーとか持ってないし。 それに白い鳩って、なんか気品が漂う感じがする」 シェリーはそう言って、構わず餌やりを続ける。 オレはそんなシェリーの隣に腰掛けた。 オレの右手と、シェリーの左手が、数センチの距離。 (もう少し…) ぎこちない動きで、その無垢な手に近寄る。 その目的はもちろん、ただ一つ。 オレの手の影がシェリーの左手に覆った。 …だが、その時。 「きゃあぁあ!!」 「ッ!!?」 シェリーの手が突然視界から消え、オレの手も反射的に引っ込んだ。 「シェ…っ?」 悲鳴をあげるシェリーを慌てて見つめる。 シェリーは顔の真ん前まで飛んできた鳩から 身を守ろうとして、顔を両腕で覆っていた。 「きゃ…」 「…あ!!」 シェリーの身体がグラ…と崩れた。 このままでは後ろに倒れる。 シェリーの背後には、───噴水の水。 「危ない……っ」 そう叫んで、気付いたら。 オレはシェリーの左手を握り、引っ張り。 シェリーを庇って、冷たい水の中─── 「…ッ、ゴホッ! かはっ!!」 水の底に手を置き、咳き込むオレ。 噴水の周りで遊んでいた、数名の子供の視線を感じた。 …カッコ悪ィ… 呼吸がだいぶ整うと、オレはうっすらと眼を開けた。 そうしたら、眼の前には… 綺麗に差し出された、綺麗な手。 「ごめんね… 清麿」 庇った事を謝罪する、シェリーの申し訳なさそうな顔がそこにあった。 だがそれは、すぐに笑みへと変わり… オレは次に出された言葉に、唖然とした。 「清麿… やっと私の手を握ってくれたのね」 オレは言われた事がちゃんと頭に入らなかった。 「…え?」 「私達… やっと、恋人らしくなれた気がする」 シェリーはオレの手を引く。 水浸しで立ち尽くすオレに、そっと抱き寄った。 「庇ってくれて、ありがとう清麿」 冷たくなったオレの体温が、一気に上昇した気がした。 足元の水の冷たさなど、忘れてしまった。 その時になってオレは、シェリーの手を無意識に握った事を思い出した。 「シェリー…」 シェリーはずっと、オレが手を握るのを持ち望んでいたのだろうか。 オレはそう思うと愛しさが込み上がった。 胸元に置いてったシェリーの両手を、そっと握る。 その手から伝わるシェリーの温もりを、全身で感じた。 そうしたら、シェリーも握り返して微笑んでくれた。 …すると、 「おにーちゃんとおねーちゃん、キッレーイ!!」 「コイビトっていいなあ!!」 「「!?」」 周囲からは、無邪気な子供たちの声。 ピーピーと口を鳴らしてる男の子と。 拍手したりウットリしてる女の子と。 もはや忘れかけていた小さな存在達。 「はは…」 それだけシェリーに必死だったのかと、オレは心の片隅で照れ、苦笑した。 シェリーも可笑しそうに笑っている。 もちろんそんな二人の顔は、深紅。 「「「では、ごっゆくりいー!」」」 暫くして、子供達はそう言い放つと、バラバラとオレ達から姿を消した。 一人、二人、…五人…と。 気が付けば、白鳩の姿もなかった。 先程、オレが水に落ちた時にでも飛んでいったのだろう。 オレ達は本当に二人きりとなった。 眼と眼を二人は合わせる。 同時に、ぷって吹き出した。 「濡れちまったし… 帰るか、シェリー」 「ええ、そうね」 オレは噴水から出た。 繋がれた手はそのままに。 静かな公園をオレ達は並んで歩く。 「最大の… 幸福、か」 「え?何?清麿」 「いや、何でもないよ」 オレは今日、また一つ幸福を手に入れた。 でもきっと、『恋愛論』とオレの考えは違うと思った。 だって、シェリーがオレの隣に居れば… “手を繋ぐ”、それ以外にも。 『最大の幸福』は、もっと存在すると思うから。 |