肌に刺す夜気を感じ、
知盛はふと目を覚ました。
「・・・?」
ーーーこの世界に似つかわしくない、
漆黒の闇。
生まれた世界なら、当たり前だった闇。
深く消え入りそうなその不確かさに、
酔いそうに、なる。
知盛は小さく溜め息をついて身を起こした。
柔らかなシーツは緩く弧を書いて手元に至る。
微かにベッドが揺れ、
隣で小さな寝息を立てている少女が寝返りを打った。
音もなく漏らされた吐息には、
先程の情事の艶やかさは微塵も無く。
知盛は苦笑して、
長い髪に埋もれるその横顔に触れた。
少女ーーーは、
僅かに顔を顰め、
それでも目覚めずに深い眠りに捕われたままだった。
月光は、遠慮なくカーテンの端から忍び寄る。
知盛はその僅かな光に目を細め、
カーテンを少し、引いた。
欠け始めの月光は招かれ、
優しく忍び寄る月影は、ベッドに降りた。
まだ幼さの残る顔に無遠慮に映し出すと、
その白い肌が、露になった。
ふと、神域に触れたような奇妙な感覚に囚われ、
知盛は細く長い指先を頚筋へと、ゆっくり伸ばした。
確かに息づく頸動脈の拍動を感じ、
その上に、点々を残る紅い痕が見え、
夢の確かさに、小さく満足して笑った。
指先で一つ一つ、
なぞれば、付けた時の抗いの吐息が蘇る。
一息ごとを楽しむように、
嘲るようにゆっくりと舌を這わせれば、
面白い様に反応した少女の、
色香に惑う己の猛りを嘲笑った。
限りなく闇に近い深淵を、
二人、堕ちたことを思い出しながら。
「悪くは・・・無いが」
闇に吐き出された言葉は、
受け止めるものもなく、消えゆく。
しんと冴え渡る冷気を切り裂き、
構わぬ、と、知盛は誰も聞かぬ言葉を紡いだ。
「共に逝けるなら、
俺は、構わぬが・・・な」
紫色を灯した瞳が、
傍らで眠るの寝顔を見つめ続けた。
視線の強さに導かれたか、小さく彼女が呟く。
「とも・・・もり、
うぅん・・・」
一瞬にして幼さを消す吐息に、
知盛は満足げに目を細め、届かぬ声を放った。
(ーーー。
愛して、いる・・・)
形にしてしまえば安易だと、
かの地で惟盛が言ってことを思い出す。
それでも止められぬ程、、
を求める心は止められぬと知盛は己を嘲った。
『知盛に見つめられると、
動けなく、なる』
そう、夜伽の夢に呟いたの言葉を思い出したが、
違う、と知盛は思い直した。
(囚われたのは、俺・・・だろう?
その無邪気な欲望で、俺を・・・)
流石に寒さを感じ、
脱ぎ散らかしたシャツを羽織ると、
知盛は月明の下、の脇に潜り込んだ。
は小さく身を動かし、
はだけた知盛の胸に頬を寄せた。
(起きた・・・か?)
わずかに身体をずらし、
が目覚めていないことを確認して知盛は優しく彼女に腕を回した。
そして、ふと己自身の姿に嗤う。
かの世界で、
此の様に女に気遣ったことが、無かった己に。
女?
いや、単なる動物の行為でしかなかった、
愛撫の実の無さに、今ながら気付かされ。
ーーー愛する事を知れば、
失う怖さを知る。
そう、いつだったかの宴で呟いていた重衡の悲しげな瞳を思い出す。
いつか天女に邂逅したのだと。
一時にして恋をし、
一時にして失い、
そして、怖れと悲しみを知ったのだと。
そんな弟は、今、何を思っているのだろう。
遠い世界の果たてにて。
「『十六夜の君』、か」
一度だけ弟から聞いたその名を口にすれば、
の眦がゆっくりと、開いた。
「とも、もり・・・?
なぜ、その名を・・・?」
朧な瞳ではあったが、
は眉を顰めた。
「・・・なんで、その名をーーー?」
「ーーー重衡が、一度話していた。
だが、なぜお前がこの名に反応する?」
は何かを言いたげな顔を一瞬した後、
何でもない、と知盛の腕の中で頭を振った。
「その顔で、何でもないと・・・言うか」
「聞いたような、気がしただけなの。
気のせいだった」
背けるようにが体を起こすと、
脇に散らばった自身の服を身にまとった。
知盛は片手で頭をもたげ、
の後ろ姿を眺めた。
視線の強さに、小さくが肩をすくめて反応する。
いつまでもが振り返らずにいると、
知盛は手を伸ばし、の背筋を指先でなぞった。
「ひっ」
「クッ・・・色気のない、声だ・・・」
「そんなのに色気は求めないでよ」
「無理を、申しました・・・神子殿?」
小さく肩を揺らし続けながら知盛が笑っていると、
は振り返って頬を膨らませた。
知盛は延ばした腕をそのままの肩にかけ、
ぐっと彼女を引き寄せて己の胸の上に頭を落とした。
「ーーーなぜ、嘘をつく?」
「ついて、ません」
また小さく頭を降るの姿に、
知盛は眉を顰めた。
僅かな抗いで知盛の腕の中から抜け出そうとするは、
まるで月の世界に帰った姫君のような、
たよりない天女のようだ、と知盛は思う。
ーーーふと、我に返ってその思いこそ己らしくない、と
嘲るように、笑う。
「知盛?」
「照りもせず曇りもはてぬ・・・
春の夜の朧月夜に似るものぞ無き・・・
お前に、似ている・・・か?」
「え?」
「クッ、独り言、だ。
・・・消えられても、かなわぬ・・・」
有無をいわさず知盛はをじっと見つめた。
紫の光の強さに、が捕らえられていると、
知盛は再度、呟いた。
「十六夜の、君・・・?」
(もしや、お前はーーー重衡の)
「・・・お願い」
強く絡んだ視線を、
一雫の涙で振り払うと、は呟いた。
「・・・お願いだから、聞かないで」
しばらく知盛は、が絡み解いた視線を手繰っていたが、
諦めたように瞼を落とした。
雰囲気に安堵の吐息を漏らしたを、
力強くかき抱き直して、吐息を奪う。
絡み付くような、
一息で堕ちていく深い接吻けにの芯はクラクラと回るようだった。
「とも・・・もり・・・」
「いいたく、ないか。
まぁいい、たとえお前の過去が、誰かの十六夜の君であったとしても、
今、お前は俺の腕にいる。
俺が、お前に捕われる。
俺の、十六夜のーーー君?」