劇場版AIRはAIRか?

劇場版AIR公式

 去る2月16日、札幌に行った際に札幌シネマフロンティアにて劇場版AIRを鑑賞して参りました。現在私が住んでいるところの映画館では上映されていないために、偶然とは言え札幌で上映されていたのは幸いでした。折りしも季節は冬真っ只中。コートを羽織り手袋を装着してマフラーを巻いた姿はこれから見る映画の舞台とはまるで正反対。外は吹雪いており、如何に私が札幌生まれの札幌育ちと言えども、東京の劇場の様に長時間外で並ぶのは厳しそう。もし外で待たされたらどうしよう……などと考えましたが、まったくの杞憂に終わりました。まあそもそも札幌シネマフロンティアは最近出来た映画館で、札幌駅と合体しているJRタワーの7階にあり、外とは隔絶された状況下にあるので心配する必要すら無いのですが。JRタワーとサッポロステラプレイスは元札幌住民の私が言うのも何ですが中々巨大な施設でして京都駅を凌ぐ規模ではないかと思います。
 本題に戻りましょう(^^; 感想に移る前に上映前の風景を少々。まず、カウンターにて前売り券を交換。颯爽とAIRの上映される部屋へ。すると、異様な光景が私を迎えました。まず、室内は平日の朝のせいかがら空き。好きなところに座れました。そして、驚くことにそこに居た観客のほとんどが一般人風。若いカップルからお爺ちゃんお婆ちゃんまで、おいおいあんたらAIRって何か分かってるのか!?と問いたくなる客層。と言うかアニメですよこれ? お爺ちゃんお婆ちゃんが見るような映画じゃあ無い気がするんだけどなあ(汗) ですがそんな中、私をある意味安心させる人物の姿を発見しました。彼はリュックを背負って入室してきました。背中にはガンキャノンも顔負けのポスターの筒が見えております。間違いありません。仲魔です。まず彼は、空いていた最前列すべての席に荷物を置いて席を確保しました。続いてスクリーン前に立ったかと思うと突如左端から右端へうろうろと不審な動きを見せ、耳に手を当て始めました。やがて何かに納得した様子で腰に手をあて中央の席へ移動。そのまま立って上映前のスクリーンを眺めています。どうやら音が一番聴こえやすいところを探っていた様子です。端から見て非常に恥ずかしく思いました。いくら空いてるからって荷物を最前列すべての席に置いて自分の席にすること無いだろうに(苦) まあそんなスクリーンの目の前じゃ見難いから誰も座りませんが、もう少しモラルのある行動とろうよ……。
 そんなこんなで上映開始。観鈴に主眼を置いた夏の物語が展開されました。

  感想。
 AIRはアドベンチャーゲームです。アドベンチャーゲームと言えば、選択肢を選びストーリーを決定するものであります。つまり、ストーリーを展開するのはプレイヤーなのです。AIRも例に漏れず、観鈴、美凪、佳乃の誰と共に歩むかを決めるのはプレイヤーでした。そしてヒロインの誰かを選ぶと言うことは、選ばれなかったヒロインのストーリーが展開されないことを意味します。これは当たり前ですが重要なアドベンチャーゲームの特性です。また、この特性は同時にアドベンチャーゲームの他メディアへの展開の最大の難点と言えるかもしれません。アニメ、映画など、一本のストーリーが求められるメディアでは、ストーリーが変化して且つすべてが意味のあるエンディングである場合、どのストーリーを描いていくかを選択する必要があるのです。今回、AIRを映画と言うメディアに展開させるにあたって、制作スタッフは観鈴ルートを選びました。観鈴はゲーム本編でも正ヒロイン(敢えて正とします)であり、最も重要な役割を果たしていることは間違いありません。一つのストーリーとしての筋道が求められる映画において、この選択は正しかったと言えるでしょう。美凪が好きな私ですが、この選択は間違っていないと思います。
 問題はAIRが三編に分かれて語られるゲームということです。DREAM編は上記の様に3人のヒロインから誰かを選ぶ必要があったのですが、続くSUMMER編では一切選択肢が無く、DREAM編とは時代も異なるストーリーが繰り広げられました。主人公も変わります。さらに第三編のAIR編では、プレイヤーは「そら」というカラスに姿が変えることとなり、観鈴と往人たちの様子をただ傍観することしか出来ませんでした。AIRというゲームは、時代が異なる三編構成の上に、編ごとにプレイヤーの操る主人公がまったく変わってしまうという異質なストーリーが展開され、これを一つにまとめると言うことはかなり難しいと言うことです。

 ですから、劇場版ではやはり幾つか納得出来ない点があったことは確かです。
 一点目は、美凪と佳乃の扱い。往人視点で描いているにもかかわらず、二人の出番が皆無であり、祭りのシーンで客として絵だけで表されているに留まっていたのが悲しい。
 二点目は、ゲーム本編でも詳しく語られぬまま終わった観鈴と翼人との関連性の答えがやはり表されていなかったこと。美凪と佳乃を登場させないくらいに観鈴に主眼を置いたにもかかわらず、答えが出ないまま終わってしまったのは残念でした。
 三点目は、「そら」のありかた。扱いが軽すぎる気がします。
 四点目は、往人の力について。最後まで往人がいたことによって、人形を動かす力が活かされていないのがきつい。

 以上の点についてやや不満がありましたが、私は劇場版を評価したいと思います。
 どこが良かったのか。
 一本化が難しいAIRを、劇場版では上手く纏めていたと思います。基本路線を観鈴ルートに絞り、主人公を往人に決定。ストーリー中にドラマの回想シーンの様にSUMMER編を所々で挿入。そして同時間軸上で「そら」も劇中に登場させました。翼人伝承と観鈴との関わりについて語られなかった点は残念でしたし、往人が最後までいるなど原作と異なる面がかなりありましたが、 構成面で成功していたと言えます。ラストシーンは舞台を海にしたところが個人的に嬉しいですね。幾分謎めいた感はありましたが、ゲームをプレイしていない人にも優しいストーリーが展開されていました。
 しかし、何よりも良かったのは、観鈴の等身大のひと夏がスクリーン一杯に描かれたことではないでしょうか。観鈴が生き生きと動き回っているのです。確かに観鈴は不幸な子です。原作では観鈴の明るい面があまりピックアップされなかったからか中盤以降の展開は元より、本当に不幸なことばかりが思い起こされます。 それが劇場版では違いました。自転車に乗ってはしゃぎまわる観鈴。学校に忍び込む観鈴。往人にしがみついて写真を撮る観鈴。元気良く動き回る明るい観鈴の姿がここにあったのです。 それは原作に無かった積極さでした。不幸なだけではなく、幸せな観鈴の姿も同じくらいあったんです。だからこそ大切なシーンが生きるんです。最後の「…もうゴール、していいよね」で私は思えました。「ああ、本当に観鈴は精一杯頑張ったんだな」と。「この夏を全力で駆け巡ったんだな」と。悲しいだけでは終わらないストーリー。嬉しいこと楽しいこと悲しいこと苦しいこと、すべてが詰まっていたひと夏がここにはあった、と思えるんです。まさに「この夏に一生ぶんの楽しさがつまってた」と言えるのです。「ゴールは幸せといっしょだった」と。そして忘れてはいけないのが晴子。観鈴に焦点を当てたなら当然晴子の果たす役割も大きいわけですが、とにかく晴子が良い仕事してた。観鈴に対する必死さがビシバシ伝わった。感動出来た。流石に美凪や佳乃を削っただけあって、神尾家に関してやることはやりきっていました。
 出崎監督の演出は色々と言われておりますが(時々線画のみになる効果は私は少々受け付けませんでしたが)、演出はストーリーの大筋を手助けしたに過ぎません。むしろ私は演出は良かったとおもう。いや、あまり演出関係に詳しいわけではないですが、これでもかというくらいに使われる入射光はSUMMER編の神々しさを出すことに成功したと思うし、AIRという題材の空気を表すのに一役も二役も買っていたと思います。
 また、クオリティー的にはまずまず。元々のいたる絵がすごく丁寧に髪の毛を描いたりとにかく細かいから感じたからかもしれないけれど、もう少しだけ線を増やしてくれると満足したかも。まあ、十分綺麗だと思いましたけどね(^^;
 音楽はもう少し原作のものを使ってほしかったというのが本心ですが、まずまず良かったと思います。ただ、鳥の詩はフルサイズで聞きたかったなあ。

 以上が私の感想です。可愛らしい観鈴を見ることが出来て私は満足です。「もっと彼氏らしくしてもいいのだよ」にはやられた。可愛いじゃないかぅらあああっ!?

 総括。
 劇場版AIRは飽くまで「劇場版」のAIRでした。これは原作とはまた異なる「もう一つのAIR」であり、観鈴の等身大のひと夏の生き様です。答えの示されなかったAIRの一つの見解なのであり、もっと言ってしまえば「パラレルワールド」なのです。正しいか間違っているか。そういうことは関係ありません。

肌で感じた劇場の空気。それが「劇場版AIR」なのだから。

the 1000th Summer―――

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