車中には、気まずい空気が惜しげもなく流れていた。
がこっそりと運転席の方を覗き見ると、氷室の眉がぴくりと上がり、慌てては目を逸らす。
この繰り返しが、の家を出てから既に5回ほど続けられていた。
仕方なく窓の外を流れる景色をぼんやり眺めてみるものの、やはりこのままでは嫌だと思う気持ちが、
の視線を再度氷室へと向けさせた。
かれこれ6ターン目突入である。さすがに氷室が痺れを切らしたように声を発した。
「言いたいことがあるなら、はっきり言いなさい。」
―私の事、嫌いなんじゃないんですか?
―どうして私を誘って下さったんですか?
他にも聞きたい事は、山ほどある。
しかしどれも言い出せるはずもなく、喉の奥にしまっておくしか出来ない。
「いえ・・・何でもないです。」
言う言葉が見つからずはそう言うと、また目線を窓の外の風景へと戻した。
スピードに乗って流れる景色に、はある事に気づく。
昼と夜の差はあれど、はこの景色に以前に見覚えがあった。
「先生!まさか・・・」
何処へ向っているのか気づいたは、思わず声を上げる。
「“満点のご褒美”だろう?」
氷室は目線を前方へと向けたまま、口端だけで笑うと静かにそう言い捨てると、
アクセルを軽く踏み込んだ。
行く先に気づいた時に声を上げて以来、初めて“満点のご褒美”を与えられたこの部屋に着くまで
はずっと黙り込んでいた。
抵抗らしい抵抗もせず、かと言って以前のように嬉しげでもない態度に氷室は少々困惑したが、
すぐに己に生まれた小さな迷いを振り切るかのように、の体を折らんばかりにきつく抱きしめた。
「やはり情欲を満たしたいが為の努力か?」
の耳元で、氷室が冷ややかに囁く。
その言葉にの体が強ばり、力なく首が横に振られた。
抱きしめる腕を緩め、顎に手をやり上向かせると今にも泣き出しそうな瞳に出会った。
無理強いをした覚えはない。
逃れようとすればいつでも出来たはずなのにも関わらず、抗うことなくここまで来ておきながら、
まるで被害者のような態度のに、氷室は苛立ちを覚えた。
化けの皮を剥ごうと言わんばかりに、氷室の指がブラウス越しにの腰を撫でる。
くすぐったさに似た刺激が、の体にやんわりと火を灯しはじめていた。
自分が被害者だという思いは、の中に微塵もない。
心が求めて止まない存在は、目の前に居て自分を抱きしめている。
それが嬉しい。
けれどそれは、決して愛情から来る行為ではないだろう。
だから・・・悲しい。
のそんな葛藤など知るはずもなく、氷室の唇がの首筋を這う。
漏れそうになる甘い吐息を、は喉の奥へと必死でしまいこんだ。
氷室にとっては感情のこもらないただの行為なのであろうと解っているにも関わらず、
自分の体が確実に快感を得ているのを思い知らされ、の頬を涙が一筋つたい落ちた。
『・・・開けて下さい。帰ります!』
首筋から徐々に唇を落としブラウスのボタンに手をかけた時、ふと氷室の脳裏に以前のの言葉が蘇る。
誘う眼差しから一変して、不愉快さを隠すことなく前面に出し始めた彼女は醜く歪んで見えた。
『・・・ある人のお陰で、自分の弱さに気付きました。
私はその人を傷つけるまで、自分の愚かさに気付けませんでした。
縋りついて甘えるだけでは欲しい物を得られない事を、その人は教えてくれました。』
何度も頭の中をめぐっていたの言葉が、つられるように思い起こされる。
“欲しい物”が彼女を変えた。
それは何だ。
それは・・・。
込み上げる乱暴な衝動を抑える事無く、の首筋をきつく吸い上げブラウスを無理矢理押し開く。
「や・・・っ・・・!」
氷室の強引な仕打ちに、は小さく悲鳴をあげるとその場にへたりこんでしまった。
はだけたブラウスを慌てて掻き合わせ、体を小さく固めるの姿を一瞥すると、
氷室は黙っての手を引き、力ずくで立ち上がらせる。
「嫌なら逃げたまえ。ドアの鍵は開いている。」
空いた手で胸元を押さえ俯くにそう言うと、掴んだ腕を放す。
心は葛藤を続け、体は徐々に解かれていたは立っている力すら失っていて、再びその場に座り込んでしまった。
嫌なら逃げれば、いいのに。
嫌じゃないなら、泣かなければいいのに。
答えが簡単に見つかればいいのに、とぼんやり床に敷き詰められた絨毯の模様を眺めながらは途方に暮れていた。