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外は、雨が降っていた。
まだ梅雨には早いこの時期。
珍しいほど、連日、雨が降り止まなかった。
まるで山本武の心を反映したように。
外には、冷たい雨が降っていた。
雨のち晴れ 1
普段は寿司屋が開店し、活気に溢れる山本家。
しかし今夜は通夜のため、普段の明るさは一切ない。
雨の音が小さく山本の耳に届く。
先程までひっきりなしだった弔問客がようやく一段落した。
皆、喪服に傘をさして駆けつけてくれた。
父がどれだけ周囲の人に愛されていたか、改めて実感する。
山本はこの春に高校3年生になったばかりだ。
母親は幼い時に亡くなっており、父一人子一人で育ってきた。
小学生から始めた野球に魅せられて高校は野球強豪校に進学した。
高校一年生の時に野球部は甲子園に出場したのだが、山本はその時ベンチにも入れずスタンドから応援していた。
昨年はレギュラーとして先輩たちに交じって戦ったが、惜しくも甲子園出場を逃した。
こうして自分たちの代になり、山本は4番打者のエースとしてチームを引っ張っていた。
寿司屋を営む父もずっと山本の野球を応援し、支え続けてくれていたのに。
つい2日前。
雨の中仕入れに出かけた帰り道。
スピードを出しすぎた車と接触し、山本の父は帰らぬ人となった。
2人で朝食をとるため帰りを待っていた山本は父の事故の知らせを受けてすぐ病院に向かったのだが。
物言えぬ身体になった父と対面することになった。
それから警察と病院側から説明を受け、遺体を引き取った。
山本の両親は若くして駆け落ちしたため親戚と呼べる人を知らずに育った。
何も分からない山本に対し、近所の商店街の人たちが何から何まで世話してくれた。
ただ残酷に時は過ぎ、こうして通夜を行うことになった。
「本日はお忙しい中のお運びに加え、故人の生存中はひとかたならぬご厚情を賜り有難うございました。亡くなった父もさぞ喜んでいる事と存じます」
うまく喋れているだろうか。
頭を下げながら、なんとか暗記した口上を弔問客の人々に伝える。
何度同じ言葉を口にしたか覚えていない。
すでに22時を回っていた。
「武くん、今夜はおばさんの家に来る?ご飯も食べてないでしょう?」
「おう、武坊!俺ん家でもいいんだぜ?なんか食べなきゃお前さんがまいっちまう」
手伝いを申し出てくれた近所の人たちが心配そうにそう言った。
「はは、ありがとうございます!でもオレなら大丈夫っスよ。飯食って戸締りしたら寝るだけですから!」
疲れた顔を見せず、できるだけ笑顔でそう伝える。
すると納得した顔はしないものの、おばさん達は帰って行った。
本当に自分はラッキーだと思う。
こんなにも身近に心配してくれる人たちがこんなにもいるのだから。
ひとりになって父の位牌に目をやった。
まだ、実感できない。
こうしていても涙は出ない。
初めて病院で遺体と対面した時、突然いなくなった父親に対する悲しみと怒りが身の内を駆け巡った。
それでもどうしてだろう、涙は流れなかった。
父親が死んだというのに、本当は冷酷な人間なのだろうか。
あんなに敬愛していたのに。その背中に憧れたのに。
(あぁ・・・ダメだ・・・)
誰かが近くにいれば何も考えないが、こうしてひとりになると思考が沈む。
無性にバッドを振りたくなった。
悲しんでいられない。
山本はこれからひとりで生きなければならないのだから。
親戚とは縁がないが、近所の人たちが成人するまで援助すると申し出てくれた。
もちろん、それは丁重に断った。
山本は何も出来ない小さな子どもではない。
先月には18歳になったのだから。
もう充分ひとりで生きていける年齢だ。
ただ、いくつか障害があった。
それは父が自分の寿司屋を持つために借りた借金の返済に遺産のほとんどが無くなった。
その店ももちろん手放さなければならない。
住宅と一体化しているために、山本は住むところがなくなるのだ。
アパートを借りてさらに生活費が必要となる。
アルバイトをすればいいのだが、山本には野球があった。
野球特待生の山本は野球部を辞めるなら学校も辞めねばならない。
まして今年は最後の年。
ずっと一緒に戦ってきた仲間との夢。
甲子園が待っている。
野球はなによりも大切なのだ。
父親が応援してくれた、野球が・・・。
生きるためには働かなければならない。
それでも十分よくしてもらっている近所の人たちにこれ以上甘えられない。
どうしていいのか、答えは出なかった。
「あの、夜分にすみません」
ふいに玄関から声が聞こえてきた。
部屋から立ち上がって向かうと、真っ黒いスーツを着た男がポツンと立っていた。
喪服かと思いきやスタイリッシュなスーツは自前の服なのだろう。
漆黒の髪と瞳を持ちながら白くはっきりした目鼻立ちは日本人離れしているように思う。
働かない頭で山本はそんなことを考えた。
そして、よく見ると父の寿司屋で何度か見たことがあるお客さんであることが分かった。
とりあえず何度目になるか分からない挨拶を述べ、部屋に上がってもらう。
「どうぞ、粗茶ですが・・・」
「こんな夜遅くにすまないな。もっと早く来たかったんだが、仕事が長引いた」
流暢な日本語。
それに安心して山本は位牌の傍に腰かけた。
続いて男が線香をあげ、随分長いこと手を合わせてくれていた。
「確か何度か寿司食べに来てくれてた人ですよね。わざわざ有難うございます」
お悔やみの言葉を述べ、お茶を飲んだ姿に山本は話しかけた。
「山本武だな?いつも剛から話を聞いていた」
ほぼ無表情の姿から感情が読めず、山本は戸惑った。
見かけはまだ20代か30代の青年。
礼儀にうるさい父が名前で呼ぶことを許したのだろうか?
「あぁ、すまない。俺は日本在住だが生粋のイタリア人でな。下の名前で呼ぶのが親愛の気持ちなんだ」
どうやら疑問が顔に出ていたようだ。そして言われた言葉に納得した。
「日本語上手いんスね!お名前聞いてもいいですか?」
「あぁ、俺の名はリボーン。呼び捨てで構わないぞ。敬語もいらねぇ」
体育会系の山本にとって年上に敬語を話さないなんて慣れないけれど。
彼が好意で言ってくれていることが分かるので、それを受け入れて笑顔で答えた。
「俺は山本武。よろしく、リボーン」
「・・・あぁ、よろしく。さすが剛の息子だな、順応が早い」
目の前の青年がゆっくりと目を細めた。
何かを懐かしむような視線に首を傾げる。
「あの!リボーンは親父と長い付き合いなのか?」
彼の視線がなぜか居心地悪くて、思わず質問する。
すると、少し微笑んでいたリボーンが真剣な目を向けた。
「あぁ、そうだ。俺は昔、日本に来た頃から剛に世話になった。俺の恩人といっていい」
言われた言葉に苦笑する。
父は本当にお人好しで、世話好きだったからその光景が目に浮かぶようだ。
損得を考えず人に接する父が誇らしかった。
「そう思ってくれる人がいるなら、親父はきっと極楽にいけるのな」
突然命を奪われることになった父親。
特に信仰する宗教があるわけではないが、安らかな死を信じたくなった。
「・・・剛なら向こうでも寿司を握ってそうだな」
リボーンの軽口に釣られ、山本の顔が自然に緩んだ。
ここ数日意識しながら無理に笑顔を作っていたから、久しぶりにちゃんと笑った気がした。
「ちゃんと笑えるじゃねぇか。さっきまで酷い顔してたぞ」
言われた言葉に驚いた。
自分では上手くできていたつもりが、どうやらバレバレだったらしい。
「なぁ、山本。俺はまだ剛に恩返しができていない。俺の気が済まねぇんだ」
リボーンはそう言うと山本の手を握った。
「俺の家に来い、山本武。俺にお前の面倒を見させろ」
言われた言葉に目を見開く。
真摯な顔と言葉とのギャップが無性に可笑しくて。
ひとしきり笑うと憮然とした顔のリボーンがいた。それがまた面白い。
「はは、リボーンって本当に面白いな!」
「何がそんなに可笑しい?返答次第でタダじゃおかないぞ」
「んー、だってさ。オレが頭下げて言うならまだしも、リボーンが言うことじゃないから」
偉そうな言葉遣いも彼にはピッタリ似合っていて。
不思議な人だと思った。
「俺は独身の一人暮らしだ。お前ひとり養うくらい簡単だぞ」
だから来い、とリボーンは言った。
こんな全く知らない人にそんな事を言われても断るのが普通だろう。
近所の人の援助は簡単に断れた。
しかし、リボーンは断ることを許さないという顔で山本を見ている。
「・・・でも、本当にいいのか?こんな見ず知らずのガキの面倒見るなんて」
なんとなく彼なら遠慮しなくてもいい気がした。
それこそ父に似た深い包容力を感じ、彼の傍は安心する。
「ガキが気を遣うんじゃねぇ。来ないって言ったらこのまま誘拐しちまうぞ」
なんて自分勝手な言い分。
しかし、その瞳は優しく山本を見ていたから彼のこの掌を信じてもいいような気がした。
「・・・ありがとうございます。あの、出て行けって言われたら出て行くんで、よろしくお願いします」
ここは礼儀として、敬語に戻した。
まだリボーンのことを何も知らないが、悪い人ではないと思う。
山本は自分の直感を信じた。
何より、野球を続けられることに胸を撫で下ろした。
リボーンが自分の言葉に満足したように微笑む。
そのはっきりとした笑みに、山本の胸がどきりとした。
(・・・・?なんだ?)
感じたことがない胸の痛み。
しかしそれはほんの一瞬だったため、すぐに忘れた。
詳しくは父の葬儀が終わってからと決めてリボーンは帰って行った。
名刺を一枚貰うと、そこには高級イタリアレストランを展開する大企業の名が書かれていた。
その名は高校生の山本でも知っている。
そして、代表取締役補佐の肩書。
どうやら山本が思っている以上に優秀な人らしい。
「・・・・まだ30歳くらいだよなぁ?」
本当に何も知らない人だ。
ただ別にこれが夢でも、騙されているとしても構わない。
突然の父の死以上に辛いことなんてこの世にはないのだから。
「親父・・・おかえりってもう言ってやれねぇのな。この家、出て行くよ」
生きていく。
それがどんなに辛いことでも。
もう何も出来なくなった父親の分も。
位牌の前で山本は眠る。
雨は、まだ止むことなく降り続いていた。
2へ
2008/12/26
改 2009/09/12
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