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『武、じゃあ行ってくらぁ!』
『おう、朝ごはん作っておくな。いってらっしゃい!』
自宅の庭で自主練を行う山本は、玄関に向かうと父を見送った。
この後、仕入れから戻る父のために朝食を作るのが山本の日課だった。
早朝に行われる、山本家のいつものやり取り。
まさか、それが最後になるなんて。
山本はもちろん思っていなかった。
雨のち晴れ 3
「じゃ、先帰るなー。お疲れ!!」
「あれ、もう帰るのか山本?みんなでCD借りに行くんだけどお前も行こうぜ」
「あはは、悪い。スーパー行きたいから急ぐんだ」
「そっかー。お前も大変だな。今度ゆっくり行こうぜ」
「おう、サンキュー。じゃあまた明日!」
「お疲れ!」
夏の大会を控え、練習は厳しくなるものの週に一度のミーティングの日は早く帰れる。
みんな適度に自主練を終え、部室で着替えていた。
山本はスーパーに行くため素早く着替え、仲間の誘いに苦笑しながら部室を飛び出した。
彼らは何もせずとも、温かいご飯もお風呂も、家族の団欒だって当たり前のようにある環境だ。
「っと、ダメだ。みんなだって頑張ってんだから」
卑屈になりそうな自分が嫌で、思考を停止する。
山本は自転車に跨ると急いで近所のスーパーへ向かった。
野球に支障がないよう、買い物に行った時はなるべく1週間分の食材を買い込むようにしている。
こんな生活が約2ヶ月。
本当にあっという間だった。
父の葬儀を終えて、リボーンのマンションに行った時は驚いた。
邪魔にならないよう家財道具も全て置き去りにし、スポーツバッグ一個でやって来たのだが。
高級なデザイナーズマンションは1人暮らしには大き過ぎるように思った。
山本の新しい部屋として宛がわれた部屋も今までは倉庫にしていたらしいが。
昔から使っていた自宅の部屋よりも数倍広かった。
テレビやクーラー、コンポなど何不自由なく暮らせるように用意された部屋に感謝してもしきれない。
そのお礼に腕によりをかけてご飯を作ろうと思い。
冷蔵庫を開けるとワインやシャンパンなどアルコールの他、簡単なツマミしか入っていなくて。
山本は家事を引き受けようと決意した。
それから、共同生活が始まった。
山本が直感したように、リボーンとの生活は楽だった。
彼の仕事は忙しいようでほとんど顔を合わす機会がないという事もあるが。
何よりも朝晩にする少しの会話だけでも、楽しいと思った。
大人の彼はいつも落ち着き、山本のどんな話も優しく聞いてくれる。
山本が作ったご飯の感想もきちんと言ってくれるし、アドバイスもくれる。
何気ない気配りや優しさを感じ、山本の心は安心感で一杯になった。
彼なら信じられる。
本心など分からないけれど、彼とは波長が合うようだ。
いつか、父との出会いや父との会話についてゆっくり話を聞きたい。
山本は父が事故に遭ってから、家でも学校でも気を張っていた。
無理して自分を動かしていたモノを、ようやく緩めることができた気がした。
それなのに。
まさか、自分にあんな症状が出るなんて、思いもしなかった。
それが起こったのは、引っ越してから2週間が過ぎた頃。
その日は野球部の練習が長引いていつもより帰宅が遅くなった。
もうリボーンは帰って来ているだろうと思って、練習後にも関わらず全速力で自転車を漕いだ。
しかし、部屋は暗いままで、ゆっくりと鍵を回すとやはり部屋は無人だった。
いつもなら帰って来ている時間。
でも、彼はいない。
「・・・あっ!・・・・っ・・・な!?」
喉が焼けるように熱い。
それと同時に肺が締め付けられて、呼吸がままならない。
「苦し・・っ・・何で・・っ」
頭が痛い。意識が白くなって今にも沈みそうだ。
なんとか玄関から自分の部屋に駆け込み、ベッドの上に横になる。
「うわっ・・あっ・・誰かっ・・」
真っ暗な部屋の中、自分の荒い呼吸だけが響いた。
助けを求めても誰もいない。
自分は独りなのだ、と改めて実感した。
胸が痛い。息が出来ない。
誰か。
誰か・・・!!
制服のシャツの上から心臓をわし掴むように抑えつけた。
苦しい。苦しい。苦しい。
どれだけ心の中で叫んでも、それは声にはならず。
山本はこのまま死んでしまう、と本気で思った。
野球で成果を出していないのに。
ただふと、脳裏に父の笑顔が浮かんだ。
彼に会えるなら・・・・なんて。
そんな感情に流されそうになった。
「・・・うっ・・は・・はぁ・・」
汗が浮かんで、呼吸が細くなる。
(・・・・・・・・・・・リ、)
最後だ、と覚悟した瞬間。
思い浮かんだのは野球の仲間でも、父親でもなく。
いまだ帰らぬ、この部屋の家主だった。
言葉少なくとも、山本の心を満たしてくれる、優しい人。
年は離れているが、この人と家族のようになりたいと。
居候にも関わらず、いつの間にかそんな思いをもってしまった。
だって彼は、大切な人を失い、1人になった自分を包み込んでくれたから。
近所や学校での知り合いは皆、家族を亡くした自分に同情した。
可哀そうに、頑張ってね、と何度も同じ言葉をかけられた。
そんな中、彼は分かりやすい言葉で、ありきたりの慰めをするでもなく。
静かに、そっと、山本の好きなようにさせてくれた。
まるで『何も気にするな。大丈夫』だと背中を押されているようで。
それが何より、山本には嬉しかった。
(・・・・・・リ、ボーン)
助けて、と声にならない声がもれる。
「ただいま」
玄関の方からリボーンの声が聞こえた。
(・・・あっ、帰って・・・来た、のか?)
ここは彼の家なのだから当たり前なのに。
それが無性に嬉しくて。
「はぁ・・は・・?・・・ん?」
ゆっくりと聞こえてくる足音。
隣にあるリボーンの部屋のドアが開いた。
ふいに呼吸が楽になった。
先程までの動悸は何だったのか。
ゆっくりと呼吸を整える。
無性に喉が渇いていた。
何とか身体を起こすと、いつの間にか体に力が入っていたようで筋肉が固まっている。
思うように動かない体。
それでも山本は無性にリボーンの顔が見たかった。
「・・・リボーン?」
「山本、起きてたのか。電気が付いていなかったから寝たと思ったぞ。まだ制服なのか?」
ジャケットを脱いでシャツだけになった姿。
仕事の疲れを見せない彼がいつも通り優しい目で山本を見ている。
彼には心配をかけたくないと思った。
「・・・オレも今帰ってきたところなんだ。今日の練習メニュー厳しくてさ」
少し喉が引きつった。いつも通りの顔で話せているだろうか。
「なんか顔色悪くないか?部活っていってもほどほどにしろよ?」
リボーンは練習のし過ぎだと思ってくれたようだ。
「今日はちょっと頑張りすぎちまった。ご飯、これからなんだけど待ってもらっていいか?」
「お前らしいな。でもな、疲れてるのに無理して作らなくてもいいんだぞ?ピザでもとるか?」
ぎこちない笑みを浮かべる自分に呆れたようにリボーンは笑った。
「オレは大丈夫。チャーハンとか簡単なものになるけどすぐ作るから!」
ようやく指先に感覚が戻って来た。
急いで部屋に戻り、部屋着の上にエプロンをつけると台所に立った。
「先にビールでも飲む?あっ、それともワイン?」
「そんなに気を遣うな。それぐらい自分でできるぞ。風呂は俺が沸かしておいてやる」
苦笑しながらリボーンはそう言うと風呂場に向かった。
きっと部活に疲れた自分のために、風呂を洗いに行ってくれたのだ。
山本としては気を遣っているつもりはないが、体を動かしている方が好きなので。
何でもやってしまいたくなるのだ。これは父親から受け継いだ性分だろう。
リボーンの姿が完全に消えたのを確認し、山本は急いで水を飲み干す。
冷たいものが喉を通り、胸も落ち着いてきた。
さっきのあれは何だったのだろう。
自分は何かの病気なのか?
昔から健康優良児で大きな病気は何もした事がない。
風邪ですらここ数年引いた記憶がない。
それなのに。
生まれて初めて呼吸困難に陥った。
(でも・・・、もう大丈夫、だよな?)
今夜は、たまたまだ。
たまたま調子が良くなかったのだと、山本は自分に言い聞かせた。
「俺は、大丈夫」
意識をして笑みを作った。
まだ大丈夫。
ちゃんと笑えている。
ちゃんと、リボーンもここにいる。
風呂場から聞こえてくる気配に山本は小さく息を吐きだした。
「よし、じゃあ作るか!!」
気分を変えるように冷蔵庫を開けて卵などの具材を取り出す。
慣れた手つきで山本は、遅い晩ご飯を作り始めた。
それから。
山本の希望とは空しく、そんな症状は何度か山本を襲った。
足の先から脳に向かって身体が冷え、胸が押しつぶされていく感覚。
喉が熱く、息ができなくなる恐怖に山本は大量の汗をかいた。
しかし、何度か経験する内に一定の時間をかけてゆっくり呼吸すれば治まることに気付いた。
そして、共通していたのはリボーンがいないひとりきりの時であること。
それも帰宅時間がずれて遅くなったときのみ、起こった。
山本はやがて理解した。
知らずしらず身の内に起こった異変について。
(かっこ悪ぃ・・・)
何度自己嫌悪しても、何度自分に言い聞かせても。
治まることはなかった。
そこから、山本の孤独な戦いが始まったのだ。
そしてついにリボーンに知られた。
もう隠せそうにない、と山本は心配げに自分を見守る彼に対して覚悟を決めたのだった。
4へ
2009/01/10
改 2009/09/12
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