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普段から冷静沈着と評されるリボーンだが、今晩ばかりは久しぶりに焦った。
接待のためのアルコールなど一瞬で吹き飛んでしまうほど。
部屋の前で倒れた山本を見て、リボーンは予想以上に取り乱してしまった。
ベッドに寝かした彼の息がようやく整ってきた。
水を飲むよりもゆっくりと深く呼吸する方がいいらしい。
リボーンは逸る気持ちを抑え、ベッドサイドに腰かけて山本が落ち着くまでずっとその背中を撫で続けた。
雨のち晴れ 4
「・・・もう、大丈夫」
幾分顔色が良くなった山本がそう言った。
異常に荒かった呼吸は落ち着き、体温も平常に戻っている。
身体はまだ思うように動かないらしく、ベッドに沈みきっていた。
山本は小さな頃から野球をしていたということで良い体つきをしている。
身長ももうすぐ180センチに届くと嬉しそうに言っていた。
リボーンとほとんど変わらない。
ただ、もっと筋肉が付いていると思いきや、山本の体は細かった。
今回、ベッドに寝かせるために抱き上げた身体は予想よりだいぶ軽かった。
リボーンが知る限り、山本は普通に食事をしていたと思う。
だが、昔から彼がどれだけの量を食べていたのか分からない。
今思えば日々運動をしている成長期の人間があの量で済むものだろうか。
父親を亡くしてこの家に来てから、リボーンが気付かぬうちに痩せてしまったのかもしれない。
やはり無理をさせていたのだろう。
リボーンは、彼ともっと話をしなかったことを悔やんだ。
「あの、心配させてごめんな」
潔すぎる謝罪。
どうやら誤魔化せないと覚悟したらしい。
「俺の聞きたい事は、分かるな?全部話せ」
誤魔化されてやらない、という気持ちを込めて視線を合わせる。
昔、『竹寿司』に寿司を食べに行っていた時。
比較的客入りが少ない時、カウンターを挟んで剛と会話を楽しんだ。
その話の中心はほとんど愛息子である武の事だった。
彼は誤魔化すのが上手いと、剛は嘆いていた。
小さい頃から仕事で構ってやれず、寂しい思いをしていたことも。
腹痛だった時も素直に言わず、後日盲腸だと分かったこともあったらしい。
息子を我慢強く、誤魔化すのが上手くなるまでにさせてしまったことに対して。
剛はずっと自分を責めていた。
山本の瞳はそんな痛そうな剛と同じ目をしていた。
ひたすら自分を許せないと、語っている。
山本は自分を責めているようだ。
「・・・オレ、ここに越して来てから、急にあんな風になるんだ」
ポツリと呟かれた声が真っ暗な部屋に響く。
動揺していたせいで、夜にも関わらず部屋の電気をつけ忘れていた。
それでも山本の表情を逃さないのはカーテンから差し込む光のお陰だろう。
そして夜目に強い自分の視力が活きている。
「昔からじゃねぇんだな。じゃあやっぱり、無理してたのか?」
どんなに身体つきがしっかりしていても。
彼はまだ高校生だ。
風呂も洗濯も、食事の用意にも気を遣わず、親の庇護を受けて当たり前だというのに。
山本は部活をやりながら、リボーンに気を遣いながら生活していた。
大切にしたいのに。
甘えてほしいのに。
リボーンは己の不甲斐無さを痛感した。
「俺が無理させちまった。悪かった、山本」
少年から青年に変わろうとしている体。
それでも今の表情はひどく無防備で、幼い。
「もっと楽にしていいんだ。家事なんて気にせず野球をすればいい。もっと、もっと俺に甘えろ」
本当はもっと早く伝えなければならなかった言葉。
「お前の、家族になりてぇんだ」
自分の見栄やプライドを捨てる。
今まで関係を持ったどの女にも伝えた経験がなかった。
そんな言葉を同性の、年下の男に言うことになるとは。
綱吉を含め、どの知り合いにも見せられないほど今のリボーンは滑稽だろう。
それでも、少しでも山本の負担が減るのなら何でもしてやりたいと思うのだ。
そんな気持ちを込めて、リボーンは山本に視線を移した。
「・・・な、何故泣いてるんだ?」
山本の瞳から雫がいくつも流れていた。
嗚咽はなく、ただ真っ直ぐにリボーンの顔を凝視している。
「えっ・・・?なんだ、これ・・?」
リボーンの指摘で初めて気付いたらしい。
震える手を持ち上げて山本は自分の濡れた頬に触れた。
その間も涙はボロボロと流れ続けている。
「どうした?」
自覚したことで山本の動揺は更に広がった。
慌てて眼を擦る姿を見てリボーンはその頭をゆっくりと撫ぜた。
「うっ・・ち、違うんだ」
「落ち着け、ゆっくりでいいから」
止まない嗚咽にまた呼吸が荒くなった。
苦しそうな表情にゆっくりと笑いかけると、山本の呼吸が少し落ち着いてきた。
「リボーン、勘違いしてる。オレは、無理なんてしてない」
「・・・だが、あんな風になるなんて普通じゃねぇだろ?」
似たような症状をリボーンは知っていた。
それはパニックに陥った時だ。
体温の低下も、呼吸困難も精神的な要因で起こる可能性が高い。
「リボーンの所為じゃない。オ、オレが・・・弱いから」
山本はどうやら原因を自覚しているらしい。
「お前が弱いなんて、俺は思ったことねぇぞ」
それはリボーンの本心だった。
「オレ、怖いんだ。リ、リボーンが帰ってこないんじゃないかって!」
自分の家に帰ってくるなど当たり前なのに。
それでも山本は怖いという。
リボーンにはうまく理解できず、山本の言葉を静かに聞いた。
「親父みたいに、か、帰って来ないんじゃねぇかって思うと怖い。もう、待つのも、送り出すのも嫌なんだ!」
言われてやっと気付いた。
そう言えばリボーンはここ最近、山本に「いってらっしゃい」と送り出された記憶がない。
初めの頃は何回か聞いた気がするが・・・。
いつの間にか山本はリボーンよりも早く家を出て、いつもリボーンの帰りを迎えてくれた。
仕事が遅くなっても、必ず起きて「おかえり」と言ってくれた言葉の意味がようやく分かった。
彼はリボーンの世話を焼くために夜起きていた訳ではなかったのだ。
帰ってきた自分の姿を見て、山本は安堵していたのだろう。
出かけたまま帰って来なかった父親の死が、そんなにも山本の心に深い傷を残していたなんて。
あんなにも明るく笑って過ごす姿に、勝手に安心していた自分を殺してしまいたい。
「で、でもリボーンは仕事もある。急に彼女に呼び出されることもあるだろ?必ず、ここに戻ってくるか分からない・・・!」
まして、事故に遭ったなんて考えたくないのに!!と。
山本の悲痛な声がリボーンの耳に届いた。
「今日だって早く帰るって言ったのに・・・!仕事とか付き合いとか、頭じゃ分かってるのに。怖いんだ!何かあったらと思うと・・・」
息が、できなくなる・・・!!
ようやく吐き出された山本の本心。
リボーンは止まらぬ涙を拭うことすらできず、ずっと隠していた想いを聞かせてくれた山本が。
愛しかった。
「バカヤロウ」
どうしてもっと早く言ってくれなかったのか、それが不満だった。
「全部、言ってくれればよかったんだ」
「オ、オレは居候だ。迷惑いっぱいかけてるのに、そんな、言えるわけない・・・!」
山本はどこまでも山本だ。
子供のくせに、気を遣いすぎる。
「甘えろ、って言ったばっかだろ。お前の、家族になりてぇんだ」
我慢ばかりして、甘えることを知らない彼が可愛くて。
リボーンは心に決めた。
「山本はどうだ?・・・・俺と家族になるのは嫌か?」
こんな聞き方は卑怯かもしれない。
「・・? い、嫌なわけない。オレだって・・・なりたい、のなっ」
山本の瞳は澄んで真っ直ぐだ。
リボーンを魅了して離さない。
こんなにも綺麗な生き物が存在するなんて。
まして、触れられる距離にいることが信じられない。
もう、いつでも手に入る。
「お前は、俺が帰ってこないと思うと苦しくなってあんな症状になるってことだな?」
留守番恐怖症というヤツだろうか。
最終確認をするつもりで問うと、山本はその小さな頭を縦に振った。
ベッドから立ち上がり、リボーンは寝たままの山本に覆いかぶさった。
「山本」
「・・ふ?・・・んぅっ」
涙も鼻水も気にせず、赤く染まったその唇にそっと己の物を重ねた。
山本は一瞬何をされたか理解できない顔で、リボーンをボゥっと見つめたままだ。
「嫌だったか?」
瞳を逸らせないように、顎を固定したままそう問うと。
山本は小さく否定した。
「・・・や、じゃないけど・・今の、どうして?」
山本もキスされたということは分かったらしい。
拒絶されなかったことに、リボーンは自分がどんどん暴走していくのを感じていた。
「好きだ、山本。俺はお前が欲しい」
はっきりと言葉に出すと、山本は眼を見開いた。
いつの間にか涙も止まっている。
「・・・な、何、言ってんだよ・・・なんでオレなんか・・・」
「俺に必ず帰ってきてほしいなら、お前が俺の帰る場所になればいい」
縛られることが何よりも嫌いだった。
自分のしたいように、何でも意のまま生きてきた。
父も母も、兄弟も、何も知らずに育った自分が家族を持つなど。
考えた事がなかったのに。
「絶対に帰るという誓いだ。籍を入れて、本物の家族になればいい」
今度こそ山本は驚愕し、言葉を失った。
「結婚するぞ」
山本が怯え、恐れる生活をするぐらいなら、いくらでもこの身を捧げよう。
「山本、愛してる」
そう囁くと、止まっていたはずの山本の瞳からまた涙が流れだした。
顔はもう涙など色々なものでグチャグチャなのに。
可愛く見えてしまうから不思議だ。
「 」
「? なんて言ったんだ、山本」
嗚咽に交じる彼の言葉を聞き逃し、再度促すと。
「・・・・ありがと、リボーン」
山本が両腕を伸ばし、それはリボーンの首に絡まった。
そこに籠もる力の全てが返事であると気付いたのは、数分後。
なぜなら。
昔訪れた『竹寿司』の中で父を手伝っていた時のような。
本当に嬉しそうな、心からの笑み。
剛が死んでから全く見ることがなくなった顔。
男だというのに、それはまるで花が咲いたような、明るい微笑み。
それに目を奪われたリボーンは、しばらく動く事ができなかったのだった。
5へ
2009/01/10
改 2009/09/12
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