モスクワにあるシューネンチェヴォ国際空港。
日本から直行便があり、イタリアに行く際にもこの空港を経由する機会があった。
すでに何度も利用しているので慣れてしまった山本だが、初めて訪れた感想は薄暗くて埃っぽいところ、だった。
比べてしまうと日本の空港とは大違い。



「もう少し笑ってもいいのになー」

山本は先程まで利用していた飛行機の客室乗務員の顔を思い浮かべた。
一昔前まで、モスクワの乗務員は笑わない。
機内食は不味い。機内にはガムテープで修繕した跡があるなど。
日本人の山本には信じられない状況だったらしいが、それはだいぶ修繕され、接客も上品になったと聞いていた。

接客などは各国で違うものだが、それでもこのモスクワの地はどこか冷たい印象を受ける。
何となく居心地の悪さを感じながら、市内に向かうためタクシー乗り場へ。
深夜に近いこの時間、お世辞にも治安がいいとは呼べないこの街はさらに危険を増していく。
貧富差が激しくてテロ活動も激化しており、それに加え、新興財閥という名のマフィアがごろごろと暗躍する街だ。
ボンゴレファミリーである山本でも、一瞬たりとも油断できない。



今回、山本はボスである綱吉から大事な仕事を任されてこのモスクワの地に来たのだった。






我愛す、故に我在り







『えっ、これをリボーンに?』


早朝に任務を終えてボンゴレ本部に戻り、これから2日間休みなので家に帰ろうとしていた矢先のこと。
綱吉の執務室に呼ばれ、早急の仕事を仰せつかったのは今日の午前中だった。


『うん、帰ったばかりなのにごめんね。秘密裏に集めていたデータが揃ったんだ。
 重要事項だから守護者の誰かに運んでもらいたいんだけど』


手が空いている守護者は山本だけなんだ、と綱吉は申し訳なさそうに言った。


『はは、別の日に休み貰えばいいんだし気にすんなって。このデータがあればリボーンの任務に役立つってことだろ?』


リボーンは今、任務でロシアのモスクワに赴いている。
笹川の部隊がイタリア北部に本拠地を置くある敵対マフィアを殲滅させたのは数日前。
本部は壊滅状態でファミリーを解体させたまでは良かったが、肝心のボスの行方が分からなかった。
そこでリボーンが調査を行い、ロシアンマフィアを頼ってモスクワに逃亡していることを突き止めた。
暗殺のためボスの男を追ってモスクワに向かったリボーンだったが、所在地までは分からないらしい。

引き続き獄寺が情報を集め、友好があったあるマフィアの名前が挙がった。
街では有権者であり政府にも顔が利くそのマフィアを敵に回すのは厄介で、暗殺は素早く確実に行わなければならない。
山本が手渡されたディスクにはそのマフィアの情報と知られざる隠れ家の場所が記録されているらしい。
あまり時間をかけられず、急ぎの殺しなので何かあった時のためにも守護者が渡しに行くのがいいだろうという判断だ。



『そのボスもロシアまで逃げた割に詰めが甘いな。まぁ、オレはリボーンとピロシキとボルシチ食べてくるのな』

お土産買ってくるなー、と綱吉に言うとすっかり観光気分の姿に苦笑された。
もちろん仕事なのだがこれまでの経験で、リボーンの任務を手伝う時は気が楽だ。
世界最強のヒットマンは仕事が早く、なんだかんだ山本の我が儘を聞き入れてくれる。
今回も任務さえ終われば、飛行機の時間まであちこちの店を見て回るぐらいできるだろう。

せっかくよその国に来られたのだから楽しまなきゃ損だ、と思う。
色々な経験を積み、常に警戒する姿勢を忘れずに余裕を持てるようになって来た。
すっかり夜中になってしまったが、リボーンが宿泊しているホテルに到着。
ホテル側には綱吉が話を通してくれているらしく、フロントに行くとリボーンの部屋のキーを受け取る。
呼び鈴を鳴らせばいいのだが、すでに寝ているかもしれない男の事を考えて山本は自ら鍵を開けた。





「リボーン?」


部屋の明かりはついていた。
セミスイートだという部屋はリビングと寝室に別れており、無人のリビングを通り過ぎて寝室に向かう。



「寝てるのか?」


ある程度小声のまま、そのドアを開けた。





「? あっ!」



山本は、無意識に声を上げるとその場で固まった。
戦場を駆け抜けあらゆる状況を経験した山本もこの状況は初めてで。
どうしていいのか分からなかった。



裸の男女がベッドに寝ている。
服は床にちらばり、換気をされていない寝室には情事の後が色濃く残っていた。



「・・・・・・・#+"&◎?」




動けずにいると、ベッドの中で寝ていたロシアン女性が身を起こし、山本には聞き取れない言葉で話しだした。
おそらくロシア語だと思うが、あなたは誰?ということを言っているのだと思う。
すると目を覚ましたらしいリボーンが自分に気付くことなく女性の唇を塞いだ。
気配を隠しているつもりはないが、どうやら寝ぼけているようだ。

リボーンはまだ気付かない。
女性は山本を指さしながら自由になった口でまた何かを捲し立てた。



「ん? 山本、なぜお前がここにいる?」


こちらを向いたリボーンと目が合い、そう問われる。
綱吉から連絡が行っているはずなのに不思議そうにする彼は腹が立つほど落ち着いていて。
山本はまだ動けなかった。

すると何かを悟ったリボーンが女性に服を渡しながら何かを喋り、彼女は素早く支度をすると部屋を出て行った。


(リボーンって何ヵ国語でも喋れるんだな)


働かない頭で思ったのはそんな事。



「おい、山本。いつまで呆けたままでいるんだ?」



バスローブに身を包んだリボーンがベッドから出てこちらに向かって来た。


「悪ぃ。ツナから連絡いってると思って勝手に入って来ちまった」


なんとか動揺を押し隠して喋る。
なぜ、こんなに焦っているのだろう。
リボーンには愛人がいっぱい居て、こうして任務先で出会った女と寝ている話を聞いていたはずなのに。
それを微笑ましくさえ思っていたはずなのに。


今、あまりにも心臓が痛かった。


思えばリボーンと身体を繋いだのは中学生の時で、間違っていると思いつつも行為を受け入れていた。
呪いを受けた身体で戦い続ける姿に、その秘密を打ち明けてくれた姿に胸が騒いだ。
好きという感情を理解していなかった自分に、心も体も触れ合う喜びを教えてくれた。

その後は山本も任務で女を抱いていたが、リボーンとの行為は互いに求めあった結果だと変に思ったことがなかった。
それでも、こうして目の前にすると改めて気付く。

女性が持つ肉体的な柔らかさや美しさ、雄としてそれらを貪りたくなる本能。
それがあって当たり前なのだろう。
リボーンは何も言わずに同じ男であるこの体を抱くから、山本は無意識に考えないようにしていたのだ。




(オレみたいな男を抱いてリボーンは満足なのか?)



気持ち悪いと思わないのだろうか?

面倒くさいと思ったりしないのだろうか?


いつか、いらないと言われてしまうのだろうか?



考えずにいた不安が一気に押し寄せ、山本はこの場から逃げ出したくて。





「山本、どこに行く?」

「あっ、邪魔してごめんな?持って来たデータ置いとくから確認してくれ。オレは別のホテルに部屋取ってもらってるから」


もう行くのな、と続けようと思った。
とりあえず落ち着くためにこの場にいたくなかった。
出て行こうと身を翻す前に、傍までやって来た男の腕に拘束される。



「お前を目の前にして、この俺が行かせると思うのか?」


さっきまで寝ていた気配はもう感じない。
滅多に取り乱すことのないリボーンは状況を理解し、おそらく山本の動揺まで分かっているだろうに。
いつもは山本の方から抱きつくのに、その腕から逃げ出そうと身体をねじる。



「仕事の話は明日しようぜ?オレ、着いたばっかりだから疲れたんだ」


何を口走ってしまうか分からず、山本は恐れた。
今の気持ちを知られるわけにはいかない。
こんなにも、どす黒い感情を持ったのは生まれて初めてだった。



「山本、俺を見ろ」


抵抗しても無駄だと知りながら、素直になることができなくて。
俯いてしまった。顔は上げられない。
きっと醜い顔をしているはずだ。


すると頭上からため息が聞こえ、あっという間に顎を持ち上げられて。

荒々しいキスが始まった。





「・・・っ・・・ふっ・・ヤメ・・っ」



どれだけ顔を背けようとしても離れない唇。
リボーンの口付けは気持ち良くて好きなはずなのに。
薄くて形良い唇も、その奥に潜む熱い舌も大好きなのに。

先程の女性の顔が頭を過ぎった。





(痛い)





これは女には勝てないという劣等感か。
どんなことをしても目の前の傍若無人の男は手に入らないという悲愴か。
いつか捨てられてしまうという恐怖心か。
分からないけれど。



「・・・お前は何でも隠そうとする。俺にはバレバレなんだってことをいい加減自覚しろ」




目尻に浮かんだ涙は呼吸ができなかった苦しさか、悲鳴を上げる胸の痛みか。


「リボーン」

「まさかお前が嫉妬するなんて思わなかったぞ」


言われた言葉に自己嫌悪する。
やはり、リボーンには隠せない。
男だというのにリボーンとの関係を望みすぎていた自分が恥ずかしい。



「悪ぃ。オレ、今までは大丈夫だったんだ。でも今日はびっくりして・・・」



女々しい。
大人になりきれず、子供っぽい自分が嫌だ。
リボーンはもっと割り切った関係を望んでいたのかも知れない、と。
彼に依存し過ぎていた自分を実感する。



「山本、そんな笑顔で騙せると思うなよ」


どうやら無意識に笑っていたらしい。
リボーンは不機嫌な顔を隠さず、山本の腕を掴むとベッドに引き摺って行った。
そして乱暴にベッドの上に押し倒された。



「い、嫌だ。リボーン!!」

「お前は昔から1人で抱え込みすぎなんだ。なぜ俺に話さない?なぜ怒らねぇんだ?」

「・・・怒る、なんてできねぇよ。オ、オレは男で、ただの愛人ってだけなのに!」


リボーンに求められ、応えたのは自分。
能天気だとよく言われるが、人一倍不安になることだってある。
それでも変わらずいられたのはリボーンとの関係を違和感なく受け入れていたからだ。


リボーンからの愛を。

その言葉を。

その行動を。

その表情を。


信じていたから。



「リボーン、今日は1人にしてくれ。明日になればいつも通りできるから・・・・でも」

今は無理だと、恥も外聞もなく叫んでいた。



あぁ、ついに愛想を尽かされる、と山本は思った。





「山本、落ち着け」


「ぁ・・・んっ」




ベッドに押し倒され、抑えつけられた両腕は動かない。
遠慮のない深いキスからは逃れられなくて。


息が出来ない。


命すら奪われてしまうのではないかと思う激しさだった。




「はぁ・・はぁ・・は・・・」


ようやく離され、山本は取り戻すように大きく呼吸を繰り返す。


「山本、どうして俺が不機嫌か分かってんのか?」

「そ、りゃ、オレが邪魔して女の人帰っちゃったから」

「違うぞ。俺はあんな女なんてどうでもいい」


リボーンの漆黒の瞳に自分が映っている。
今のリボーンがどこか傷ついているような気がした。



「山本がいるのに他の奴なんて知るか。それなのにお前は何も分かっちゃいないし、しまいには出て行こうとした」


だから怒ってるんだぞ、と彼は言う。
怒っているというよりも、拗ねているような物言いに目を見張った。


「いつもあれだけ教えてやっていたのにまだ足りねぇか?俺が愛し、必要としているのはお前だけだぞ」



リボーンの声が耳に流れてくる。
心にどんどん沁み込んでいくのを感じた。




「お前はもっと自信を持て。そして自覚しろ。お前がいなきゃ、俺は生きていないも同然だ」

 身体が、指先が、魂がお前を求める。女を抱くのは一瞬でもお前がいないからだ。
 お前じゃなけりゃ、他の人間は代わりでしかねぇ。常に孤独に生きてきた俺に、安息を与えたのはお前だ。
 だからお前だけが俺を殺せる、と。





リボーンの言葉は止まらない。

山本は眼を逸らすこともできず、目の前で動く唇をじっと見ていた。






「忘れんなよ?お前は俺の、ボンゴレ最強である殺し屋の、唯一の弱点なんだ。何も考えずに自惚れていればいいんだぞ」



山本が中学生だった頃から、リボーンは真っ直ぐ愛を紡いでくれていた。
当初、慣れない山本は恥ずかしくてどうすればいいのか分からなかった。
長い時間を一緒に居て、ようやく最近同じように愛を交わせるようになったと思っていたのに。
山本が思っている以上に、リボーンは深い愛を与えてくれていた。




「ありがとな、リボーン」


それしか声にならなかった。
中学生の頃、赤ん坊だった彼の小さな手を握ってよかった。
本来の姿に戻った彼の体を抱きしめてよかったと、心から思う。


男同士という背徳も。
命を奪うこの世界の闇も。
さっきまで感じていた嫉妬も、恐怖も、すべて。
洗い流してしまうリボーンはすごい。


「もっと我が儘になってもいいんだぞ。お前は欲が無さすぎる。嫉妬できるならもっとしてみろ」

もっと取り乱して俺に縋れ、とリボーンは言った。



「・・・リボーンの気持ちが変わらなきゃいいって思ってる。ハハ、オレほど欲があるヤツなんていないんじゃね?」


軽口のように聞こえるかもしれないが、山本にはこれが精いっぱい。
笑わなければ泣いてしまいそうだ。
自分が手にしているモノが、どれほど幸福なものなのか改めて分かった。


愛している人と愛し合えること。


それがなにより幸せだ。


血と死と、孤独と。
決して綺麗ではないこの世界で、戦いながら生きている。



大切な仲間を、親友を、誇りを。
護りたいモノを護って、生きていける。


「天然魔性は相変わらずだな。そんな可愛いことを言われて、このまま寝かせてやれるわけないだろ?」

「ぁ・・ちょ、ちょっ・・待・・っ」


首筋に落ちてきた唇。
それと同時に長くて細い指が山本のネクタイをはずし、器用にボタンを外していく。



「お前、さっきまでシてたんだろ?明日は実行日だし今夜は大人しく寝ようぜ」

「うるせぇぞ」


なんとか手で防御しつつ提案したのだが、覆い被さる男はそれを一蹴した。


「さっきの女が俺を満足させられるわけねぇだろ。山本だけだぞ、俺を満足させられるのは」


この体勢でそんな事を言われて、断れるわけがない。
さっきまでの不安はどこに行ったのだろう、と思うほど。
今は恥ずかしくて、顔は真っ赤になっているに違いない。



「抱くぞ」



それはまさに最終宣告で、あとはこの男に翻弄されていくだけだ。
それでもその強引さも、真摯に愛を囁く姿も。
好きなのだから仕方ない。



「・・・・ほんと、敵わないのな」




彼の愛は上限がない。
それを心地よく思う自分も、大概だと思う。
明日は任務に参加できるだろうか。
機嫌良く愛撫を繰り返す男の様子に、もはや諦めすら感じた。


明日はきっとベッドから出られず、リボーンの任務がうまくいくことを願うしかないに違いない。
仕事というよりも本当にただの旅行になってしまうことを親友であり、ボスである彼になんて報告しようか。


(ツナにお土産いっぱい買って帰ろう)


せめてものお詫びに、喜びそうなものを選ぼう。
笹川京子や獄寺達にもたくさん買って。
みんなで笑い合いたい。

もちろん、その隣には最強のヒットマンを連れて。


手をつないだまま、みんなに会いに行こう。
共にいられる幸せを抱きしめて。

リボーンと山本がイタリアに戻ったのは、それから2日後のこと。




綱吉は無事に任務を終えて帰ったリボーンに、山本がモスクワに行くと教えなかったことを怒られて。
あやうくハチの巣になりかけたのは、山本が知らない場所でのことだった。



『知らずに会ったほうが嬉しいだろうと思っただけなんだよ!!』(綱吉談)


Fin.

2009/01/23

改 2009/09/12

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