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すっかり日が暮れ、グラウンドには照明が煌煌と当たっていた。
これから夏を迎える今、無駄な時間などなく甲子園に向けて練習は過熱する一方だ。
1年生が練習に根を上げそうになる中、最上級生となった山本は特別メニューで誰よりも過酷な練習をこなす日々。
山本が所属する野球部にとって甲子園の出場は通過点であり、狙うは全国制覇である。
名門ゆえにおこる慢心を無くし、どの学校にも負けない練習量をこなしているという自信。
負けるわけにはいかない。
山本にとって最後の夏が始まろうとしていた。
夏のカケラ
「ちゃおッス、山本」
「よっ、小僧。また来てくれたのか?」
並盛駅から山本の家まで歩いて15分ほど。改札を出てすぐ横に小さな児童公園がある。
その入口にあるポールの上に座り、リボーンはいつも山本の帰りを待っていてくれた。
野球を優先して高校を選んだ結果、綱吉達と過ごす時間は激減していた。
シーズンオフである冬はそうでもないが、春から秋にかけて土日にはほとんど練習試合や練習が組まれた。
分かっていたとはいえ暇な時間ができれば綱吉の家に行き、マフィア『ごっこ』をしていた時間が懐かしい。
あの頃は不思議に思いながら、面白いからと深く考えることなく綱吉や獄寺と一緒にいた。
何かしら騒動が起こる中、リボーンだけは落ち着いて思い描く展開に持っていったような気がする。
家庭教師として綱吉やファミリーのことを第一に考えるリボーン。
綱吉に言わせると「自分が楽しんでただけだろ!?」とのことらしいが。
山本は彼が企画し、様々な変装をしては面白い事を引き起こしてくれる出来事が面白かった。
そして、黒曜との戦いやリング争奪戦、未来でのミルフィオーレとの戦いなど。
壮絶な争いを経験し、そのたびにレベルアップしながら皆は生き残った。
山本も野球だけではなく、時雨蒼燕流を操り、自分の技を会得した。
今や父から受け継いだ時雨金時は大切な相棒だ。
高校に入ってから実践回数は減ったが、毎日の素振りは日課となっている。
そして、未来から戻って一番変わったのは山本とリボーンとの距離だった。
2人は今、付き合っている。
「小僧、ツナや獄寺は元気か?」
「あぁ、相変わらずだ。ツナは明日数学の追試で今日は獄寺に付きっきりで教えてもらってたぞ」
「はは、そっかー。オレも獄寺に教えてもらいたいけど無理だよなぁ」
「お前も赤点か?文武両道じゃなかったのか、お前の高校」
「赤点じゃないけどギリギリでさ。いい加減、先生に怒られちゃったのな」
「ツナよりはマシだが、勉強も必要だぞ。数学なら俺が見てやる」
「おっ、マジで?お手柔らかに頼むぜ」
時刻はすでに22時になろうとしている。
真っ暗な夜道を商店街に向かって歩いていた。
山本はリボーンの小さな体を肩に乗せ、できるだけゆっくりとその時間を楽しんだ。
「小僧、あの、悪ぃんだけど今度の土日、学校に泊まり込みで合宿なんだ」
「フッ、気にすんな。大事な夏前だ、仕方ねぇ。だが、引退した後は覚悟しとけよ」
ニヤリ、とリボーンは不敵な笑みを浮かべた。
その表情を横目で見てしまった山本は思いがけず動揺し、返答に窮した。
リボーンとの逢瀬は彼の呪いが解ける満月の日と決まっていた。
それは付き合い始めた頃と変わらない。
だが、小さな姿でほぼ毎日会っていた中学の時とは違い、リボーンとの接点は皆無だった。
毎日早朝から夜遅くまで野球に拘束され、電車で通う毎日。
疲れて帰宅した後は何かをする余裕などなく、食事と風呂を済ませて寝るだけだった。
高校に入り、そんな生活が1ヶ月ほど続いた後。
リボーンが週に数回山本の帰宅に合わせて駅まで迎えに来てくれるようになった。
駅から家までの15分を一緒に過ごす。
泊まるか?と何度か勧めたが、朝早い山本を気遣って彼はいつも綱吉の家に帰って行く。
短い時間でも、自分に合わせて時間を作ってくれる彼の優しさが嬉しかった。
そして、彼と過ごしていた満月の日も山本の野球を考え、会わない日が増えていった。
次の日に朝練や練習試合が立て込んでいるので、「気にせず家で休め」と山本の体を優先してくれたから。
申し訳ないと思いながら、山本はそれを受け入れた。
ちょうど3年前。
初めて進路というものに悩み、自分で考えて決断した道。
野球をきっぱり辞めて綱吉達と高校生活を過ごす道もあったはず。
それでも幼い頃から野球しかなかった自分には、そう決心する事が出来なかった。
ボールがミットに収まり、砂埃のグラウンドを駆け抜け、バッドで思い切り打つ。
仲間と勝利を喜び、時には悔し涙を流す瞬間が好きだった。
野球をやっている瞬間が山本にとって何ものにも囚われず、自由に過ごせる時間だったから。
野球だけじゃないと知ったのは、綱吉達と出会った後だ。
綱吉と出会い、獄寺と出会い、リボーンと出会い。
ランボやイーピン、雲雀や了平と出会い、ファミリーと呼べる人たちと出会った。
その輪にいる時間が楽しくて、必要とされることが嬉しくて、みんなの笑顔を守りたいと思った。
生きるか死ぬかの状況でも山本は笑う。
リボーンが笑っていろと言った自分の笑顔。
それが特別だなんて山本は思っていない。
ただ、リボーンの言葉には意味があると思っているから。
山本は、これから自分のためではなく「彼ら」のために笑おうと思った。
過酷な運命を背負い、それでも逃げ出さない姿を傍で見続ける身として。
少しでも元気が出るように、楽な気分になるように。
祈りを込めて精一杯笑おうと誓った。
だから野球は高校まで。
その後はイタリアに渡ろうと決めたのだ。
こうして3年経った今もその思いは変わらない。
「じゃあ、山本。腹出して寝るんじゃねぇぞ」
「はは、大丈夫だって。小僧だって帰り気をつけてな」
「俺は最強のヒットマンだぞ。返り討ちだ」
「んー、知ってっけどさ。用心するに越したことないって」
「・・・・まあ、いい。じゃあな、山本」
「おう、またな!おやすみ、小僧」
「Buona notte」
流暢なイタリア語は就寝の挨拶だ。いつも竹寿司の入り口で別れる。
山本の肩から飛び降り、リボーンは暗い道へと溶けていった。
その姿を見送って山本は店の中へ。
今日も1日が終わろうとしている。
「ただいまー」
「おう、武!おけぇり!!」
すでに閉店を迎え、剛はひとり片づけを行っていた。
父の笑顔を見ると山本も疲れが吹っ飛ぶ気がする。
「親父もお疲れ様。風呂、入れてくっから」
早く汗を流したくて山本は部屋に向かおうとした。
「あっ、武よー。ちょっと待て」
「どうしたー?・・・親父?」
荷物を置き、振り返ると困ったように眉を下げる父の顔。
何かあったのだとすぐに分かった。
「実はよ、今日はお前の担任の先生から電話があってなぁ。父ちゃん初めて学校に呼び出し受けたぞ」
「・・・えっ、マジかよ!?」
これには驚いた。
確かに授業は寝てばかりだし成績もいい方ではないが、まさか親を呼び出して怒られるほどなのだろうか。
「なんかよぉ、進路のことで父ちゃんを含めてお前と話し合いたいって言ってたぞ」
初めてのことに戸惑っている様子が分かる。
ただ、担任が言おうとしている事が分かってしまい、山本は心の中で溜め息を吐きだした。
「武、お前なんか先生のこと困らせてんだろ?」
剛の言葉は間違っていない。
確かについ先週、進路希望書というものを提出させられた。
大真面目に書いた山本だったが、担任に呼び出されて書き直しを言い渡されたのだ。
何度も押し問答し、山本は答えを変えなかった。
まさか、親を呼び出させるとは思いもしなかったのだ。
「んー、困らせてるっていうか、オレも困ってるのなー」
確かに説明の仕様がないので担任との戦いは冷戦状態だ。
分かってもらえないからと野球で忙しい山本がのらりくらりとかわしてきた。
そのツケがこんな形で回って来るなんて。
「おめぇ、ツナ君たちと行くんだろう?」
聞こえた声に、思わず顔を上げた。
まだ父には話していなかったのに、なぜ知っているのだろう。
山本は返答に困り、変な笑い方になった。
「・・・親父、ずっと分かってたのか?」
「そりゃ可愛い息子のことだからな。分からぁよ」
照れくさそうに鼻の頭をかく姿は見慣れたものだ。
「お前は昔から我が儘も言わねぇいい子だった。父ちゃんの邪魔しないよういつも我慢してただろ」
「なっ、何言ってんだよ。オレは親父が居て、野球だってできてそんなこと思ったことねぇし」
「あぁ、お前は優しい子だ。俺の自慢の息子だ」
「お、親父・・・」
「俺は念願だった寿司屋持って、武ともいられてたくさん幸せ貰った。だからよ、お前にも好きな事やってもらいてぇんだ」
父の瞳が真っ直ぐ自分を見ていた。初めて聞かされた父の本心。
高校に行く時、野球をするために推薦を受けると言っても笑うだけだった。
彼は何時からそんなことを考えていたのだろうか。
「親父、オレは今でも満足してる。親父がそんなこと思うなんてらしくねぇって」
「おうっ、俺もそう思うが・・・。なぁ、武、ここは父ちゃんにお前の考え聞かせてくれよ」
店内には2人きり。
山本は意を決して口を開いた。
「オレ、イタリアに行く。親父から受け継いだ時雨蒼燕流でツナ達の力になりてぇんだ」
出会いは中学1年生の時。
それから、自分の人生は変わったと思う。
胸を張って大切だと言える人が、たくさんできた。
「野球辞めて後悔しねぇんだな?」
まるで山本の心を試すように、見極めるように。
剛はじっとこちらを見ていた。
「あぁ。しないために、今全力でやってるんだ。応援してくれる親父やツナ達に日本一になったオレを見せるために」
さっきまで一緒にいた黒衣の赤ん坊の事を思い出す。
彼が与えてくれた優しい感情。温かい仲間。どれも手離せないと誓ったばかりだ。
「そうか。なら、父ちゃんは反対しねぇよ」
静かに、父が言葉を紡いだ。
手を洗い、厨房から出ると山本の目の前にやって来た。
反対しないと言ってくれた言葉に迷いがないことを悟る。
それでも。
その時ふいに、垣間見た未来の話が頭に浮かんだ。
「いいのか?すげぇ危険みたいだし、いつか親父も巻き込んじまうかもしれねぇ」
訪れた未来で聞かされた父の死。
ボンゴレ狩りの標的にされ、命を落とした彼の死を。
未来の自分はどう受け止めたのだろうか。
山本の心が不安に侵食されていった。
その時。
「俺を見くびんじゃねぇ!自分の身くれぇ自分で守れらぁ!」
そして聞こえてきた、力強い声。
あぁ、これでこそ負けず嫌いな自分の父親だと。
なぜか可笑しくて、可笑しくて、仕方ない。
「はは、そーだな。オレも絶対腕上げて、誰にも負けない剣士になるぜ」
誰も失わないように。
誰も傷つかないように、強くなればいい。
「なぁ、武。俺は正直安心したよ。お前にそんな大事な仲間ができたなんてな」
「えっ?どういうことだ?」
「野球は団体競技って言っても、プロになったら求められるのは高い野球の能力だろ?」
そんなことまで考え、心配されていたのかと山本は眼を見開いた。
「お前は人付き合い上手ぇくせに、どこか一線引いて人と付き合ってるのが気になってたんだ。
このままじゃ独りで野球やって満足しちまうんじゃねぇかって柄にもなく心配しちまってよ。
でもな、ツナ君たちと出会って楽しそうにしてるお前見たら、大丈夫だって父ちゃんは思った。
大事な仲間なんだろ?お前が誰かのために生きるって言ってんだ。こんな嬉しいこたぁねぇよ」
脳が、声が、思うように動かず、山本はしばらくその場で固まっていた。
やはり父にはまだ敵いそうにない。
知っていたはずだ。
いつも優しく見守り、時に厳しく礼儀を教え、成長を誰よりも喜んでいてくれた。
誰よりも深い親愛の情で包んでくれていた。
彼こそ、自慢の父親だ。
「親父の気持ち、一生忘れねぇ。オレ、親父の子供でよかった」
熱い雫がぽろぽろと流れた。
高3にもなって親の前で泣くなんて。
恥ずかしい。恥ずかしいけど、嫌な涙じゃなかった。
「バカヤロゥ!男が簡単に泣くんじゃねぇぞ」
「・・っそう言う親父も・・っ泣きそうなの、な」
剛は慌てて頭に結んだ手拭いを取ると、それを貸してくれた。
「ほらっ、風呂入って飯食って寝ろ!明日父ちゃんからも担任の先生に言ってやっから!」
手拭いで視界は遮られたが、父の涙声に小さく苦笑する。
結局は世界でたった1つだけの、似たもの親子なのだ。
「うん、風呂入れてくる。忙しいのに悪ぃけど、明日頼むなー」
これ以上いたらお互いに気まずいので山本は急いで風呂場に向かった。
がむしゃらに風呂掃除をして、好きな温度で湯を溜める。
浴室には蛇口から出る水音が響いた。
「・・・ありがと、親父。オレ頑張るから」
野球も、未来も、掴んでみせる。
(小僧、会いてぇ、)
さっきまで一緒にいたのに。
それでも。
この気持ちを伝えたい。
ファミリーとして見つけてくれて、ありがとう。
力を認め、必要としてくれてありがとう。
親友を、仲間を、そしてお前自身を。
与えてくれてありがとう。
だから自分は戦える。
父が居て、リボーンが居て、綱吉や獄寺達が居て。
今、どうしようもなく幸せだ。
ドボドボドボと山本の隣でお湯が溜まっていく。
その音に紛れさせるように。
山本は静かに溢れる涙を流し続けた。
Fin
2009/01/28
改 2009/09/12
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