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獄寺は今日もいくつも案件を抱え、イライラしていた。
自分のチームを率いながら、綱吉の右腕として幹部だけでなく秘書の役割も兼ねている。
綱吉は午前中、同盟ファミリーのボス達との定例会議に出席しているのだが。
もうすぐ会議終了の時間になるので、当然、獄寺は綱吉の執務室に先回りしていた。
同盟ファミリーといえども曲者ばかり集まった会議なので相当疲れていることだろう。
(昼食前だし緑茶をお出しするか)
イタリアに来てから本場のエスプレッソやカプチーノを綱吉は好んだが、今は飲み慣れたお茶が一番だろう。
コーヒーカップの隣に置かれた急須と湯呑を戸棚から取り出す。
主のいない執務室は静かで、時間だけが穏やかに流れていた。
窓から外を見ると晴れやかな空と暖かい日差しが街並みに注いでいるのが見える。
仕事に忙殺されて荒んだ心が洗われていくようだと獄寺は一息ついた。
「なぁなぁ、ツナいるかー?」
バタン、と豪奢な扉が勢いよく開いた。
耳障りな声と共にやって来たのはボンゴレ2大剣豪の1人にして雨の守護者である山本武。
獄寺にとっては中学からの腐れ縁だ。
「騒がしいぞ、山本!10代目ならまだ会議中だ!!」
ボスとお呼びしろ、と何度言っても聞かない。
部屋に入るときはノックをしろと言っても、全く学習しない男だ。
先程までの穏やかな午後はもう望めそうにないなと悟る。
もはや諦めの境地で獄寺は溜め息を吐きだしたのだった。
air voice―聞こえない声―
「悪い、悪い。つい、な」
そう言って苦笑した顔はまだ少年の面影を残していた。
日焼けした健康的な肌とスラリとした手足、凡そマフィアらしくない能天気な笑顔。
中学高校と野球に打ち込んだからか、牛乳好きが良かったのか知らないが伸びた身長が忌々しい。
「もっと守護者として自覚持ちやがれ。10代目の名を汚したら承知しねぇぞ」
「おう、気をつける!この前リボーンにも怒られ・・・っ」
山本の言葉がピタリと止んだ。
訝しんでみると山本には似つかわしくないほど、眉間に皺が刻まれている。
「ンだよ、急に黙って。どうかしたか?」
学生の頃ならきっと山本の感情の起伏など気にもしなかっただろう。
さすがに長い付き合いになり、お互い気心も知れるようになって来た。
山本は滅多に自分の感情を乱したりしない。
周囲に溶け込み、ありのまま受け入れようとする性格はボンゴレでは貴重な存在だ。
そしてコイツの笑顔は今となっては最高の武器なのだろう。
敵を油断させ、時には敵の懐にだって容易く入り込んでしまう。
戦闘中、どんな危険が訪れても絶やさぬ笑みは意味深なものだ。
獄寺は色々な意味で山本だけは敵に回したくないと常々思っていた。
そんな男から笑みが消えた。警戒するのは当たり前だろう。
「ん−、いや、何もねぇのな」
何もない、と言うその表情が晴れることはない。
普段の山本のならもっとうまく隠すなり、誤魔化すなりできるはずだ。
それが満足にできないと言うことはそれだけ余裕がないと言うことではないだろうか。
「バーカ。何抱え込んでるか知らねぇが、10代目はお忙しいんだ」
そう言えば山本自身の仕事はどうしたのだろう。
まさか、サボりかと思い至って獄寺は頭を抱えたくなるけれど。
「俺は今、残念ながら休憩中だ。聞いてやるから、今度飯奢れよ」
本当は休憩中どころか仕事は山積み。
今も部下が指示を待っているだろうし、綱吉もいつ戻って来るか分からない。
それでも目の前でいつものように笑っていない男を見ると心が落ち着かなくて。
綱吉に準備したはずの湯呑に緑茶を注ぎ、ソファーへ歩み寄った。
来客用にそれ相応の応接室があるが、綱吉の執務室には最も良い家具を集めている。
ソファ−も例外ではなく高価な品なのだが、照れ隠しもあって獄寺は豪快に座ると棒立ちの山本を睨みつけた。
「・・・ハハ、獄寺ってホント男前だよなぁ」
一連の動作を見守っていた山本が眉間の皺を緩め、困ったように微笑んだ。
その顔を見ると落ち着くはずの心が疼くような痛みに変わったのはいつからだっただろう。
学生の頃からこんな顔に弱いのだ。
自分が自分でなくなるような胸の締め付けを感じても。
これが何を意味するのか、獄寺は知らないフリをし続けていた。
「んーとさ、今日はリボーンの奴休みの日だから家にいるんだけどさ。今朝から様子が変だったんだ」
「変ってどういう風に?」
こう言っては失礼なのだが、獄寺にボンゴレ最強と謳われるリボーンを常識で測ることなど出来ない。
出会う前から殺し屋として伝説的な存在であり、格式高いボンゴレで最も名前が知られていた。
実際会って、噂以上に凄い人だと色々な意味で思った。次元が全く違う。
殺し屋として名を馳せながら、アルコバレーノとなった彼を誰もが尊敬しそれと同時に畏怖していた。
それは教え子であるディーノや綱吉も同じ。
長く時間を過ごし、教えを受けることでその偉大さを実感せずにはいられない。
リボーンがボスになればよかったのに、と学生の頃から綱吉がよく零していたくらいだ。
獄寺たちにとってリボーンが持つ影響力は絶大で、有無を言わせぬ絶対的な存在だった。
昔から変わらず、彼に接する人物を獄寺は一人しか知らない。
そして、そんなリボーンに気にいられ心から求められてる唯一の人間だ。
「たぶん風邪だと思うんだよ。アイツは気付かれないようにしてたけど、いつもより覇気がなかったのな」
全てを超越したような余裕を崩さないリボーンに風邪という一般的な病は似つかわしくなかった。
それでも、ポーカーフェイスというよりも感情を置き去りにしたような表情が常である彼の変化を見抜くのはコイツぐらいだろう。
その山本がこんなに動揺し、笑みを忘れているのだから本当のことなのだと思う。
「そりゃ、リボーンさんだって風邪ぐらい引くだろう。何でそんな慌ててるんだよ?」
「えっ、とさ、アイツ薬が効かない体質らしくて病院にも行かないんだ。たぶん今も寝てるだけだろうから・・・だから」
いつもニコニコしているはずの顔。それが今は苦痛を訴えるように歪んでいた。
笑みを無くすと急に大人びた表情に見えるのが山本の特徴だろう。
童顔という造りではないはずなのに子供のような顔に見えるのは無邪気な笑みのせいだと獄寺はふと思った。
「山本、テメェまさか仕事放り出して帰る許可貰いに来たんじゃねぇだろうな?」
ようやく正午を回ったような時間なのだ。
睨みつけるとバツが悪そうに目を逸らした山本の姿。どうやら図星らしい。
「お前な、どれだけ仕事詰まってると思うんだ!!・・・リボーンさんだってひとりでゆっくりした方が休めるんじゃねぇのか?」
他人に弱った姿を見せるなど死んでもごめんだと言いそうである。
むしろ彼なら病原体を殺し、ひとりでそのまま回復できるのではないだろうか。
自分の考えは間違っていないはずだ、と思いながら獄寺は自分用の緑茶を一口飲んだ。
「あぁ、分かってる。ただ・・・オレが甘やかしてやりたいだけなのな」
ぽつり、と呟かれた山本の声は優しい響きで獄寺の耳に届いた。
その表情は見ているこちらが恥ずかしくなるような、慈愛に満ちた顔で。
(クソっ)
見てしまっては咎めることができなくなる己が憎い。
山本がリボーンの変化に気付くことができるように、獄寺もまた山本の笑みの変化が分かる。
ずっと、ずっと、ずっと見てきた。
初めは大嫌いな種類の人間だったはずだ。
能天気に笑い、誰からも愛されて当たり前という顔をしていた。
野球バカで馴れ馴れしくて、そのくせ実力と信頼を勝ち取っていた男。
獄寺はずっと独りだった。誰も信じることができず、何より誰にも信じてもらえないことが辛かった。
そうして己の無力を憎みながら生きていくのだと思っていた。だが、日本に来て唯一絶対という主と出会えた。
そして、何も疑うことをせずありのままの自分を認めてくれたのは山本武だ。
いつの間にか彼の笑顔を傍で見ることに慣れてしまった。どんなに悪態をついても受け入れてくれる。
マフィアごっこと信じて疑わなかった彼がマフィアと認識し、イタリアに渡る覚悟を見せてくれた時。
真っ直ぐなその瞳を獄寺はずっと忘れられなかった。
綱吉が山本を欲してるのは知っていた。
だが、それ以上に山本という男を必要としているのは自分自身だ、と。
はっきりと気付いたのは高校が離れた後だった。
あれから、約10年。
山本武という人間の一番近くにいるのは自分でも、綱吉でもなく。
家庭教師としてずっと自分たちを見守ってくれていたリボーンだった。
2人が深い仲であると知ったのはイタリアに来る直前のこと。
あの時の衝撃は今でもずっと覚えている。
ただ、リボーンによる山本への溺愛ぶりは出会った頃から始まっていたのでなぜか納得してしまった。
そして、空港で綱吉に誓った山本の姿があまりにも真摯なものだったから。
もう二度と彼を手に入れることはできない、と獄寺は悟ったのだ。
それでも時々胸を襲う甘い疼き。
彼の唇を、その身体を、心の奥を、奪ってしまいたい衝動に駆られる時がある。
彼に伸ばしてしまいそうなる己の手を、何度握りしめただろう。
叶わぬ想いを告げようとするこの口を、何度噛み締めただろう。
『獄寺君は本当に意地っ張りだよね・・・』
神にも近い存在である綱吉の言葉が甦る。
いつの間にか見抜かれていた想いに対して綱吉が口にしたのはこの一度きりだけだ。
何かを強要するのではなくただ見守ってくれていることに何度感謝したか分からない。
獄寺には壊す勇気がなかった。
時折感じる、山本からの信頼が何よりも心地良くて。
『獄寺は大事なダチだって!』
『オレ達でツナのこと守ろうな。オレたち2人なら絶対大丈夫!』
『獄寺は本当に優しいよなぁ。お前、イイ男だぜ!』
自分に向けられるその笑顔が曇る事をしたくないのが本心だった。
そのためならば。
何度だって己の気持ちを殺し続けようと思う。
「・・・でら?おーい、獄寺って!!」
いつの間にか沈んでいた意識を覚ます声が聞こえた。
「あ、悪ぃ。って、テメェ近いんだよ!!」
向かいのソファーに座っていたはずの山本がすぐ隣で手を振っていた。
随分考え込んでしまったと思うよりも覗きこまれている距離に動揺してしまう。
「んー?だって急にボーっとしだすからお前も風邪かと思って」
コツリ、と額に温かいものが押し当てられた。
(・・・・・・・・・ッッッ!!)
「あっ、やっぱり熱いんじゃね?」
大丈夫かー?という山本の声がすぐ近くから聞こえてくる。
山本はまるで幼子にするように己の額を獄寺の額に押し当てて熱を計っているのだ。
思いの外長くカールした睫毛だとか、真っ黒だと思っていた瞳が少し茶色いことだとか。
少し動けばキスができてしまうこの距離に獄寺は少しも動くことができなかった。
日本に渡る前から女と寝屋を共にするは多く、それは今でも変わらないがこんなにも無防備に心配されたことは一度もない。
本当に山本という男は天然だ。
こいつの天然に何度心を揺さぶられたか分からず、それは獄寺にとって拷問に近い性質の悪さだった。
「・・・・ガキ扱いすんじゃねぇ!果たすぞ、テメェ!!」
速くなる鼓動を知られないよう、山本の体を押しのけて立ち上がる。
叫んでから山本を見ると申し訳なさそうに眉を垂らしていた。
「あっ、悪い。ついリボーンにするみたいにしちまった。ごめんな?」
あぁ、聞かなければよかったと肩を落としてももう遅い。
リボーンと山本がどんな風に互いを想い、共に生きているか、分かっていたはずである。
「・・・ったく、二度とすんじゃねえぞ」
「はは、悪かったって。でも顔ちょっと赤いから無理すんなよ?」
人の心配をするのが好きな奴だ。言っていることは全く見当ずれなのだが。
それでも困ったように言われれば反論することができなくて。
獄寺は無言で頷いただけだった。
「ったく、仕方ねぇな。どうせ気になって仕事に集中できないんだろ?もういいから帰れ」
コイツの部下も10代目も、山本には甘いから大丈夫だろうと計算して。
獄寺は明らかにホッとしたような笑みを見て、溜め息を吐きだした。
「サンキュー、獄寺!お前も体調悪くなったら電話しろよ?」
「・・・・お前のこと呼び出したら俺がリボーンさんに殺されちまう」
お前はリボーンさんのことだけ心配してりゃいいんだ、と苦い顔をしつつ伝えると。
山本は少し驚いてから、照れくさそうに微笑んだ。
「はは、獄寺は大事な仲間なんだからいつでも駆けつけるのな!」
他人に甘いところは昔から変わらない。
それから慌てたように立ち上がると、帰宅する準備のため山本は自分の執務室に戻って行った。
体調不良を見抜かれたリボーンは帰宅した山本に対し、不機嫌になるのだろう。
それでも余裕を無くすほど心配して駆け付けた山本を抱きしめるのは目に見えている。
誰よりも山本武を大事に慈しんでいる黒衣のヒットマンの姿を獄寺は誰よりも近くで見つめていた。
山本はさっぱり分かっていない。
他人に頼ることなく己の力のみでその地位を得たリボーンがどれだけ山本を必要としているか。
その圧倒的な強さは獄寺の憧れだった。そんなリボーンに認められると言うことがどれだけ凄いことなのか。
そんな彼に甘やかされて大事にされていることの意味に、山本はまだ気付いていない。
(・・・・・天然だからな)
山本は自分の価値を知らない。
時折、リボーンが不憫になるほどその想いはすれ違っているようだが。
それでもあの2人はずっと傍にいる。
いつか離れることなど考えていないように。
呼吸をするのは当たり前だと言う感覚と同じように。
そっと、繋いだその手を離さずにいるから。
「バカみたいに、ずっと笑っていろ」
そう願うことだけはどうか許して下さい。
綱吉に気付かれたように、リボーンにも知られていることは彼の視線から分かる。
山本には分からないような牽制を受けた事が過去何度もあったからだ。
そんな独占欲を惜しげもなく披露してくれるリボーンに心の中でそっと許しを請うた。
再び執務室に1人になった獄寺は使用した湯呑を片付けるために簡易キッチンへ。
そこに備え付けにされている鏡に自分の顔が映る。
熱を測るために合わせられた額が、今になって現実味を増して熱くなった気がした。
(・・・・・・心臓に悪いぜ)
自分より身長も高く、しっかりした体躯を持っている男を。
何故あんなに可愛いと思ってしまうのか。
答えはたった1つ。
(愛してるよ、山本)
悔しいぐらいな、と胸の中だけでそっと呟く。
何度同じ言葉を唱えたか分からない。
不毛な想いを胸に秘めて、声に決して出さないこと。
それだけが獄寺にできる、唯一残された意地だった。
言葉にならない想いを胸に。
獄寺は今日も忙殺されるように働いた。
周囲から呆れ返られるほどただ、我武者羅に。
そうしていなければ、きっと幸せそうに看病し、されている2人の姿を考えてしまいそうで恐ろしかったのだった。
Fin.
2009/02/18
改 2009/09/12
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