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今年の誕生日は何が欲しいのかと山本に尋ねてみると。
困ったように首を傾げながら少しだけ考えるそぶりを見せて。
海に行きたいという答えが返って来た。
これが駆け引きを楽しむために極上の甘えを含んだ女の囁きだったとしたら。
海が見える別荘でも、プロが操る一級品のクルーザーでも、いくらでも用意してやるだろう。
だが、リボーンが誰よりも甘やかして喜ぶ顔が見たいと固執する相手はボンゴレ一天然と噂される男。
人の行為は素直に受け取るし、己を偽ることもしない。山本はいつも明快で、素直な人間だった。
だからこそ彼が出したその答えが海に行くことなのだとするならば。
それを全力で叶えることが山本に対する誠意であり、愛情の確認なのだとリボーンは思っている。
『俺のとっておきの場所に連れてってやる』
4月23日。午後22時42分。気温は少し低いようだが星の綺麗な静かな夜。
一日を終えて街が眠りに就こうとする海岸線をリボーンの運転する車が颯爽と駆け抜ける。
山本が付けたラジオからはジャズが流れ、時折助手席に座っているだけの彼の体が音楽に合わせてスウィングし、
気分で指を弾いて音を鳴らす仕草を横目で見ながら車内の時間は過ぎていく。
25回目という山本武の誕生日が迫った夜の出来事だった。
蒼海を漕ぐ
「あー、潮のいい香りがするのな」
月明かりに照らされた海が眼下に広がる。
波が打ちつける絶壁に来たところで車を止めた。
この日のために新しく購入したオープンカーは外に出なくとも海の気配を窺うことができる。
町から大きく離れたこの海岸は地元の人間でも滅多に足を踏み入れない自然の要塞。
すでに消されたラジオは沈黙し、聞こえてくるのは波の音と満足げな山本の声のみ。
空には満天の星。春の夜に相応しく、上着一枚で過ごせる気温である。
「夜が明ければ水平線から朝日が昇る。楽しみにしておけ」
「そうなのか?そりゃ楽しみだ。寝てたら絶対に起こしてくれよ?」
意地悪すんなよ、リボーン。
言葉とは裏腹に波音と共に聞こえてくる山本の声は普段よりも弾んでいる。
解決したとはいえここ最近、立て続けに敵対マフィアとの抗争が続いており、ファミリーの誰もが疲弊していた。
すでにボスとして王座に就いている綱吉を支援する形で情報収集に徹していたリボーン自身は
昔から繰り返されていることだと頓着せず休息も十分取っていたが、若い綱吉や幹部達は無理してでも
早期解決を目指して最前線で戦っていたのだから、山本の疲労も溜まっているだろう。
しかし、昔から何でも自分の内へと溜め、ドツボに嵌まることが多い彼は、
自分がどんな状態であってもそれを表に出すことは少ない。
時には山本に頼り、甘える癖が抜けない綱吉の超直感までも狂わせる。
彼の笑顔にはそんな威力があるのだから性質が悪いとリボーンは常々思っていた。
だが、現在隣で夜の海を眺める山本の表情から負の感情は見受けられない。
車に乗り込んだ時は確かに顔色は良くなかった。
それでも数時間のドライブや漆黒の海原を眼前にして癒されたのだろう。
誕生日だからこそ望まれた海であったが、このタイミングで山本を海に連れて来られて良かった。
「山本、どうして海が良かったんだ?」
最初は気まぐれだろうと思っていた。
2人で休日が重なれば車で港がある町まで出向いて買い物し、時には砂浜を歩くこともある。
特別なことではない。それでも山本が強請ったからこそ、リボーンはこの場所を選んだ。
「ハハ、何でだろうな。オレもよく分からないんだけどさ」
月光に照らされる山本の表情は明るい。いや、穏やかと言ってもいいかもしれない。
ここ最近では久しく見ていなかった顔と明朗とした声にリボーンの口元にも笑みが浮かぶ。
「最近忙しかっただろ?・・・・だからさ、お前とゆっくりしたかったんだ」
「山本は相変わらず欲がねぇな。そんな所も可愛いぞ」
「ったく、もう少しで25歳になる男に向かって可愛いなんて言うのはリボーンぐらいだぜ」
「当たり前だ。お前を口説いていいのは俺だけだからな」
くくく、と喉を鳴らして笑ってみせると山本が降参というように両手を上げた。
「もうすぐ日付が変わる。お前の好きな白ワインを用意したから乾杯するか」
後部座席から冷やしておいたワインとチーズや生ハムといったツマミを出す。
それを見守る山本の手にグラスを持たせ、ボトルから栓を抜いて注ぎ込むと
潮風に混じって上質な葡萄の香りが鼻を掠めた。
先程から何度も確認している腕時計の針が12で重なるまで残り一周。
秒針が進むのを見守りながら隣に座る山本のグラスと合わせようとした、その時。
「ありがとな、リボーン。お前が舵を取ってくれるからオレはどんな波にでも立ち向かえる」
感覚で生きているからだろうか。
彼は不意打ちのような言葉をよく口にする男だ。
それが山本に飽きることがない要因の一つであり、魅力であると重々分かっているはずなのに。
この時ばかりはどのように反応していいのか分からず、困惑したまま沈黙を守る。
「マフィアごっこだと思っていた頃から今日まですげぇ時間が経って、色んな事があっただろ?」
「そうだな。俺は結局お前をこんな処にまで連れて来ちまった」
ボンゴレのため、綱吉のためだと山本の才能を伸ばし、戦場に送りだしただけに止まらず。
まだ少年だった彼の内側に入り込み、刷り込むように愛を囁いて身体を拓いた。
呪われた己の手で触るたびに、罪悪感と共にどうしようもない愛おしさが募る。
山本武という少年がどうして自分にとってそんな存在になったのか、それはリボーンにも分からない。
それでも、掴んだ腕を離して逃がすなどできないのだと。それが事実だということだけは自覚していた。
「ははは、オレは感謝してるんだ。お前と同じ方向を見て、お前の隣で生きていること」
人生は大海原を独り、小舟で漕ぎ続けることと同じであると残したのは有名な哲学者。
風に流され、波に攫われそうになりながら必死で舵を取る。
進むも自由。沈むも自由。目的地にたどり着きたくば己の力で漕ぐしかないのだと。
「どんな波がきても上手く舵を取って導いてくれる。それにお前と一緒なら迷うことも、沈むことも怖くないぜ」
山本の視線は目の前に広がる真っ暗な海に注がれていた。
風が心地良い。星の瞬きは静かで瞼を閉じると潮騒の中。
山本と2人、海を渡る光景を思い描いてみる。
「お前が手を離せなかったんじゃない。オレがお前の漕ぐ舟に乗り込んだのな」
すでに死への旅路に等しいかもしれない終着点。
最強の殺し屋であるリボーン自身が進む場所など字の如く血の海に間違いないというのに。
それでも。
「だから。乗せてくれてサンキューな、リボーン」
何度でも救われるのは、こちらのほうだ。
心身ともに成長した山本は随分逞しく、強くなった。
昔のように無垢に笑うことはなくなったが。それでも相変わらず綺麗に笑う男だ。
今も好きなことを喋って満足している山本に。
乾杯することなく日付が変わってしまった事実を告げるのは気が引けるほど。
山本と共に生きる舟ならば。
何処までも、どんな波でも渡って行けるに違いない。
(一蓮托生ってのも悪くねぇ)
とりあえず、呼吸を重ねるような口づけを。
それから祝福の言葉をかけて。
少し仮眠をとって、朝日が昇る海を共に眺める。
実はこの新車も誕生日プレゼントだと伝えるのは共に暮らす家に着いてから。
今はどこまでも広がる蒼き海を眺めながら。
ふたり静かに、夜明けを待つ。
Fin.
2010/04/24
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