深夜。ふと、意識が浮上した。
住み慣れてようやく馴染んだ天井。
気配に視線を動かすと、部屋の主が同じベッドで眠っていた。


(・・・あれ、いつ帰ってきたんだ?)


熟睡していたせいか気付かなかった。ふぁあ、と欠伸が洩れる。
涙が溢れた目尻を拭い、久しぶりにゆっくりとその顔を見つめた。
数日前から1日の大半を会社で過ごし、この家に帰ってくるのは日付が変わった後。
そして夜が明けると起きてすぐ仕事に出かけて行く。
メールで何度やり取りしていても、まともに会話したのは随分前だ。
仕事で厄介なことが起こり、リボーンはその対応に追われているらしい。


(なんか痩せたか?)


色白の頬が削げ、顔色も良くない。
いつも余裕を崩さない彼の目許が少し腫れている。
相当疲れが溜まっているらしい。
無防備に眠るその姿に眉を顰めた。


リボーンはあまり自分のことを語ろうとしない。
メールはすぐに返ってくるが愚痴なんて一切零さない。

だから、無理をしているのかも分からなくて山本はいつも口を噤む。



「オレは子供だけど・・・家族なんだぜ?」



もっと頼って欲しい、と本人に言う機会すら持てないすれ違いの日々。
いつ仕事が片付くのかも分からない。
それでも、山本はこの部屋で帰りを待つしかないのだ。

隣で眠る男の右手をそっと握る。

せめて、やってくる朝を共に迎えられるように。

掌から感じる体温に少しだけ安心し、山本は再び訪れた睡魔に身を任せて眠りについた。








虹色 1







『なぁ、リボーン。今月の16日って仕事か?』


書斎に籠もって分厚い書類と格闘する背中に声をかけた。


『16日・・・日曜ってことは野球部の試合か?観に行きてぇんだが、ちょうど出張だ』

悪ぃな。と眼鏡のレンズ越しに謝られ、続けようとした言葉を急いで飲み込んだ。


『・・・・・はは、気にすんな。仕事なんだから仕方ねぇじゃん』


先月、一緒に桜を見に行って以降。
ほとんど休みを取ることなく働いているリボーンに、それ以上のことは言えなくて。
彼のために淹れたエスプレッソを机に運び、そそくさと部屋を後にした。







その時のことを思い出して苦笑い。

あの時はうまく笑えていただろうか。
胸の内を知られずに、上手く隠せただろうか。


16日―――父である剛の一周忌を迎える。



(オレはひとりでも大丈夫。オレとリボーンは家族なんだから)


命日というその日に傍にはいなくても。
こうして話し、触れ、笑い合うことができるなら。
父を亡くした日を再び迎えたとしても、寂しくなどならないはず。
戸籍の上だけじゃない。
想いは繋がっているのだと信じられる。


体温を交換する心地よさも、想いを共有することで生まれる安息も、全部リボーンに教えられた。

父の死によって病んだ心を受け止め、その闇ごと包み込んでくれた。


冷たい雨を切り裂いて、太陽を運んできてくれた男との生活。


何も不自由なく、満ちた日々。


それなのに。


それは、確実に不協和音を奏で始めていた。


山本がそれを自覚したのは―――。

















「ふぅ、ただいまー」


玄関の扉を開き、静かな家の中へ。
誰もいないと分かっていても幼い頃からの習慣で口に出てしまう。



『おう、武!おけぇり!!今日も楽しかったかっ?』


ねじり鉢巻きを頭に巻いて忙しなく寿司を握っていた父の声はもう、聞こえない。
ひとりで無音の家に帰って来る日が日常になるなんて。
1年前までは夢にも思っていなかった。



寿司屋を営んでいた父親との生活は世間一般とは違っていた。
土日も店は開いていたし、朝の仕入れのために父の就寝時間は早かった。
店の混雑時は山本も手伝いをしていたが、野球があるためどうしてもそっちを優先してしまい。
親子でゆっくりと話をする時間は山本が学校に向かう前の朝食時のみ。

それでも山本には十分だった。
好きな寿司を握る父の背中が。笑顔が。声が。
息子である自分には誇らしくさえあったから。
また、忙しい中でも『何でも言い合う』という家訓の下、2人は何でも話しあった。
楽しかったこと。嫌だったこと。嬉しかったこと。悲しかったこと。
幼い頃から父には包み隠さず話し、父も自分の考えや思いをいつも分かりやすく語ってくれた。
親子で過ごす日々に、不安なんて一つもなかった。


そんな生活が壊れたのは梅雨にはまだ早い時期に降った雨の日のこと。
交通事故だった。死に目に逢うこともなく、今生の別れとなった。
涙も出ない空虚な日々。それでも、父が縁を結んでくれた出会いがあった。
葬式も終わった後、雨の気配を纏ってやって来た黒衣の男。
大企業の幹部であり、父の馴染みだった男は同居を申し出てくれた。

父に恩返しができていないから、と。
ついてこなければこのまま誘拐するぞ、と。そんな脅し文句をつけて。

最初は訳が分からず、それでもその漆黒の瞳を信じる気になった。
持つ雰囲気は全く違うのに、瞳の色は父親と同じように強い光を灯している気がしたから。


男の傍は心地よかった。
過保護なわけでなく、放任なわけでもなく、ただ自由にさせてくれた。
信頼されている。大切にされていると実感するたびに。
男の存在が山本の心に強く根を張るようになっていった。

そして。

昔から健康だけが自慢だったこの身体を襲った突然の発作。
父という大切な存在を失って、自覚しない内に心は血を流していたのだ。
弱くなった精神。そんな自分が嫌で誰にも発作のことを言えなかった。
同居人である男に知られた時、軽蔑されると思った。
呆れられて、見放されたらと思うと恐ろしかった。
それでも発作を起こしたところを仕事帰りの男に見られてしまった。



今思えば、それが始まりだったのかも知れない。

発作のことをまるで自分の責任だと己を責めた男――リボーンは言った。





『お前の、家族になりてぇんだ』


眉間に寄った皺も。揺れる瞳も。噛みしめた唇も。
発作によって体力を失くした状態でも山本はしっかりとそれを見つめた。
嘘ではなく、彼の本心なのだと。
そして、そんなリボーンの想いが嬉しいと強烈に感じた。


涙が止まらなかった。
嬉しくて、温かい、そんな涙があるのだと初めて知った。



想いを交換し合った後は目まぐるしかった。
籍を入れて本当の家族になった。
これまでの距離を埋めるように多くの時間を共有した。
そんな日々を繰り返し、来月には再び梅雨がやって来る。
それを前にして、父である剛の命日が今週の日曜日に迫っていた。







「今日もゆっくり話せそうにないのな・・・」


講義で提出しなければならないレポートは一向に進まず、出るのは溜息ばかり。
時計を見ると日付が変わっていた。それでも主は帰って来ない。
仕事で忙しいのは分かっている。面と向って話す時間は減ったが、メールはちゃんと返って来る。
傍らに置いたままの携帯を広げて最新の彼のメールを開いてみた。



『帰れると思うが深夜になる。明日は1限から授業だろ?先に寝ていてくれ』


顔文字と絵文字の違いも良く分からない自分と違い、リボーンのメールはそれらが駆使されて可愛らしいものだ。
内容や口調とのギャップに何度笑ったか。クラスの女子にも負けていない。
高校卒業後、リボーンの勧めによって大学進学を希望した。
野球部での実績からプロ球団や大学の強豪校から山ほど誘いを受け。
リボーンの上司である綱吉からも直々に採用の話を貰った。
けれど、父を失い、再び家族を手に入れた山本にとって優先はリボーンとの生活で。
答えを出せない自分に対し、彼は言った。



『人間にとって知識は宝で、経験は力となる。大学に行ってみたらどうだ?』


それからでも遅くない、とリボーンは笑った。俺達の人生は長いんだぞ、とも。
勉強はハッキリ言って昔から得意でない。それでも視野を広げるにはいいと思った。
これまで野球しか考えられなかった。自分にはそれしかないと思い込んでいた。
けれどリボーンと出会って、少しだけ考えが変わった。
野球は確かに大好きだ。それでも、リボーンと肩を並べて生きるために必要なのはそれ以外のモノ。

世間を見つめる視野の広さ。冷静な判断力。豊富な知識。誰にも負けない思慮深さ。

どれをとっても自分には足りない。
彼の背中は遠かった。そんな現実が寂しくて、哀しくて。
山本は野球の推薦の話を蹴って一般公募から大学受験をしたのだった。
何とか無事に志望校に受かり、大学でもやはり野球部に入部した。
優先したのは野球部の強さではなくリボーンと暮らす家から通えるかということ。
その結果、野球部は弱小で練習も週に3回だけというサークルのようなもの。
それでも上下関係も緩く、和気あいあいとした雰囲気を山本は気にいっていた。
何より縛られることなく家事ができるのでありがたい。大学生活は順調だ。



ただ、春を迎えて花見を終えた辺りから。
確実にリボーンと過ごす時間は少し形を変えていた。





「オレは、何のための家族なんだ?」


ひとりぼっちの寝室に情けない声が響いた。
キングサイズのベッドは今の山本にとって広すぎる。
リボーンの仕事が忙しくなるにつれて1人寝する時間が増えていった。

どうも昔からひとりになると碌な事を考えない。


「リボーン・・・」



彼はこの家の中であっても疲れを悟らせない。
仕事の愚痴も、苛立ちも何も持ち込もうとしない。
いつも穏やかな視線でこちらの話を聞き、彼が積極的になるのはベッドの中。
彼が与えてくれるのはいつも優しく、温かい感情。時には身体を焼き尽くすような熱情をくれる。

それでも、彼は己を語らない。悟らせない。伝えようとしない。

山本にはそれが無性に悲しい。




この家の中くらい。自分の傍でくらい。
もっと力を抜いてもいいのに。
自分は確かに子供だけれど、男なのだ。
頼ってほしい。甘えてほしい。もっと、心を預けてほしい。
何よりも彼が大切だから。





「オレは、何でココにいるんだ?」

なぁ、親父・・・・。



応える声はもちろん無い。
ひとりである事を実感したくなくて、ぎゅっと瞼を瞑った。


(平気になったはずなのに)


一度、大切な人を失って、それでも生きていかなければと。
現実から逃げるようなことだけはしなかったのに。
伸ばされた腕を掴み、その居心地の良さを知ってしまってから。
この居場所を失うことがこんなにも恐ろしい。

だって、もう。

ココ以外、居たいと思う場所がないのだから。



ベッドに敷かれた布団の中。
誰もいない空間に伸ばしそうになる腕を必死で丸める。
以前に襲った発作が出ることはもうなかったが。
それ以上に。


大切な人を支えられない、そんな現実が何よりも痛い。
頼りにならない己の不甲斐無さを責めて。
相手を思い遣る故に、山本は己を傷つけていく。


父の命日が刻一刻と近づく中、忌まわしい記憶が甦り始めた。
喪失。絶望。そして何よりも、孤独に恐怖する。





(ダメだ。怖がったままじゃ前に進めない)


現実から目を逸らし、逃げようとする己の心を叱咤して。
心を病んでしまった時に痛感したはずだ。
相手を信じれば、必ず思いは伝わるのだと。
ありのままの自分を受け入れてくれたリボーンをもっと信じたい。

そして、信じてもらいたい。


今度も受け入れてもらえるのか、不安に震える心。

それでも何もせずに脅えているだけなんてもう御免だ。


相反する気持ちを抱えたまま。


ずべてに絶望したあの日―――父の一周忌が目の前に迫って来ていた。



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2009/04/06

改 2009/09/12

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