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『・・・リ、ボーン。もう行くのか?』
眠たげな声が背中から聞こえた。
『すまねぇ、起こしたか。月曜日には帰って来る』
『イタリアだっけ?気を付けてな』
『旨いワインを土産に買ってくるから楽しみにしてろ』
『おぅ、サンキューな。いってらっしゃい』
『あぁ。行ってくる』
やっと電車の始発が動き出した時間帯。
ベッドで眠る山本を起こさないように気を付けたつもりが、一緒に起こしてしまったらしい。
最近はすれ違った生活なので久しぶりの会話。
この数週間、じっくりと触ることができていなかった彼の髪の毛をそっと撫でる。
その手に驚いたのか、山本が少し目を見開いて、それから気持ち良さそうに瞼を閉じた。
ベッドからゆっくりと離れ、寝室を後にする。
(久しぶりだったな、アイツに触れたのは)
掌を覗き込んで生まれた苦々しい感情。
仕事だから仕方ないが、山本との時間が碌に持てない現状に腹が立つ。
(チッ。ミルフィオーレの奴らめ)
最近、急に勢力を伸ばしてきたライバル会社。
多忙を極めるようになった原因を思い浮かべて盛大な舌打ち。
明るみ始めた空の下、リボーンは足早に空港へと向かったのだった。
虹色 2
トゥルルルル、トゥルルルル
ホテルの部屋の内線が鳴った。
風呂上がりというこのタイミングに思わず溜め息が漏れる。
この部屋の番号を知っているのは数名の部下と社長である綱吉のみ。
何だか嫌な予感がした。
「はい・・・・・・・ツナか。こんな時間に何の用だ?」
出張でイタリアに来て2日目。何の変哲もない土曜の夜だった。
「そりゃあ電話するよ!今回の出張は獄寺くんに頼むって言っただろ?何でリボーンが行ってるの!?」
「うるせぇな。獄寺じゃあまだ役不足だから俺が来てやったんだ。有り難く思えよ」
「お、お前なぁ!!明日は何の日か、忘れてるだろっ?」
「・・・・16日・・・山本の試合ならちゃんと断りをいれてきた。ツマんねぇことに気を回すんじゃねぇ」
「えっ、試合?・・・・・あぁ、何となく分かった。さっき山本に電話したんだけど元気がなかったその訳が」
電話越しに聞こえる綱吉の声が気に食わないこと以上に。
話が見えてこない現状に眉を顰める。
「待て。まずどうしてお前がアイツに電話したんだ?」
「まだ気付かないのッ?明日が剛おじさんの命日だからだよ!」
思い出した!?と綱吉の怒声が続いたが、正直それどころではない。
(山本・・・どうして・・・)
『いってらっしゃい』
送り出してくれた彼の声は決して淀んでいなかった。
『気にすんな。仕事なら仕方ないじゃん』
16日の予定を聞かれた時、見当違いの返答をしてしまった事になる。
そんな自分に対し、山本の言葉に秘められた彼の本心は何処にあった?
(あの・・・意地っ張りのクソガキめ)
我慢するな。遠慮するな、とあれだけ言っても分からないらしい。
(いや)
怒りが込み上げそうになったが思い直す。
(大事な日を忘れた俺が悪い)
山本がやせ我慢することは分かり切っているじゃないか。
だからこそ、甘え下手な彼を大っぴらに甘やかしてやる時のあの高揚感。満足感がたまらない。
嬉しそうに微笑する顔が見たいから、甘やかすのは自分の役目なのだ。
それなのに。
「リボーン、聞いてる?」
「・・・あぁ。それで山本は?」
「やっぱり心細いんだと思う。どんなに平静を装ってもお父さんを亡くした悲しみは一生消えないはずだもん」
綱吉の言葉は正論だ。
どんなに普段山本が笑っていようとも、側にいなければならなかったというのに!!
(何、やってんだ。俺は・・・)
1年前。剛の位牌を前に酷い笑顔を張り付かせた山本を見て誓ったはずだ。
同居を持ちかけ、言葉が足りないまま彼の心の傷に気付かなかった。
その後、どうしても欲しくなったアイツをこの腕に閉じこめて籍を入れた。
今まで数多くの女を傍に侍らせ、関係を持ってきた自分。
その容姿はもちろん。身体美。気品。色気。頭の良さ。皆、それぞれ最上級の女性だったと思う。
ただ、一時の快楽に溺れても、その人生まで欲したことは一度もなかったというのに。
こんなにも欲したのは陽だまりのように優しく、温かな笑顔。
大きな愛に包まれて育ったのだと一目で分かる少年が眩しかった。
生まれてから何も持たなかったこの細い手とは違う。
幼少期。覚えているのは病院のように真っ白な壁。
そしていつも必ず聞こえてきたのは。
幼い子供の泣き声。もちろん己ではない。
同じ孤児院にいる子供が誰かしら泣いていた、そんな記憶。
親を、家族を、故郷を想って泣いていたのだと今なら分かる。
それでも当時はただ甲高いその声が不快だった。
いつも冷めた目で周囲を観察していた。
周りにいた大人の愛情が己だけのものでないと、気付いていたからだろうか。
誰にも縋らず、頼らず、己の力のみで生きてやると誓った日から。
差し伸べられる手も必要とせず、真っ直ぐに走り続けるだけだった。
それが己の生き方で、それはまさに矜持であると思ってきた。
それらを貫いて、ひとりで死んでいくものだと・・・。
『いやぁ参った。夕方、武の奴に怒られちまってなぁ』
職人気質の喋りで器用に寿司を握る剛がそう言った。
カウンター席に座って、背後で接客に勤しんでいる少年の気配を探る。
『今日はいつも以上に働いている気がしていたが・・・何か関係あるのか?』
『それがよ、割れた皿を片づけている時に俺が破片を踏んづけて足の裏を怪我しちまったんだ』
苦笑い。そして握りたてのウニを差し出され、リボーンは無言でそれを食した。
『左足をパックリやっちまったことを黙ってたんだが、アイツはすぐに気付いてなぁ。怒られちまった』
『・・・・そんなことで怒るのか?』
まだ13歳か14歳の少年。
温厚そうな性格をした子供にしか見えなかったから。不思議で仕方無かった。
彼が怪我したのなら兎も角、剛は大人であり対処もできているのだから心配する必要もない。
言わなくてもいいと判断した怪我に対してなぜ腹を立てるのか分からない。
疑問のまま剛に視線を送ると、彼は珍しく歯切れが悪い話し方になった。
『お前さんもいつか家族を持ったら解るだろうよ。夫婦でも親子でも余計な遠慮は無用ってことだ』
剛の双眸が柔らかくなった気がした。
リボーン自身には覚えがない、優しい瞳。
『要らぬ気遣いよりも、本音が聞きたい。家族っていっても人間同士だからな。話し合うことが大切なのさ』
生きることによって年を重ね、世間一般といったものを理解し出したリボーンにとってもそれは難しい言葉だった。
『俺にはよく解らねぇ話だ。そして、これからも必要ねぇだろう』
『お前さんらしいけどな。でもよ、気が向いたらいつか探してみるといい。家族の存在は宝物ってぇーことだ』
まだ彼の店を訪れ始めたばかりの時。実際に剛の息子と会ったのは数回目の頃の話。
数年後、その少年と家族になりたいと欲する自分なんて想像もしていなかった。
(逢いに行かねぇと)
仕事?出張?電話先で綱吉が何か喚いていたが、一言喋って電話を切った。
徹夜なんて覚悟の上だ。バスローブを脱いでお馴染みのスーツに着替える。
綱吉に命令した自家用ジェットの用意が出来るまでの数時間でまとめらければならない商談が2つもある。
本来は明日じっくり話し合う予定だったが、なりふり構っていられない。
アタッシュケースに書類を詰め、颯爽と部屋を後にした。
剛の命日であるその日のうちに山本と会わねば、取り返しがつかないような気がしたのだった。
マンションの合鍵を使い、部屋に入る。レモンの香りがする玄関を抜けて山本の部屋を目指した。
強硬手段で商談をまとめ上げ、飛行機に乗り込んだのは数時間前。
軽い仮眠を取って日本に着くとタクシーに乗り込んで自宅を目指した。
日曜日の早朝。分厚い雨雲が空を覆い、季節はずれの冷たい雨を降らせていた。
「山本?」
ノックもせずに彼の部屋へ。
相変わらず漫画やスポーツ雑誌が部屋に転がっていた。
箪笥の上には位牌。線香が供えられ、蝋燭が静かに灯っている。
部屋でたった一人、どんな気持ちで過ごしていたのかを推し量ると胸がズキリと軋みを上げた。
「・・・山本?」
彼はシングルサイズのベッドで蹲るようにして眠っていた。
その目の下にクマを見つけ、思わず舌打ち。
5月も深まり、初夏を思わせる陽気が続いてパジャマを上下半袖にしたようだ。
スラリとした手足が一層細くなったように見えるのは目の錯覚であってほしいのだが・・・。
数日前に触れた時、何故この違和感に気付かなかったのだろう。
仕事の忙しさに確実に余裕を失っていた自分に気付き、更に苛立ちが増した。
「・・・ん?夢なの、か?リボーンがいる・・・」
不穏な気配に気づいたのか、山本が目を覚ました。
「山本、夢じゃねぇぞ。帰って来たんだ。すまなかったな・・・剛の命日を独りにさせちまうところだった」
現実味を帯びない弱々しい瞳。
すぐに抱きしめてしまいたいが、申し訳なさから山本に近づくのを少し躊躇う。
「はは、言っただろ。仕事なら仕方ねぇって・・・・でも、何で帰って来たんだ?」
困惑しながらも気丈に笑おうとする山本。
「死ぬ気で終わらせてきた。今日はずっと一緒にいるぞ」
今日という日を忘れてしまったせめてもの償い。
ベッドに横たわったままの山本の傍に腰かけた。
見上げてくる彼の瞳はまだ何かに戸惑っているように。
瞳を揺らしていた。
「どうした?・・・・・何か、あったのか?」
抱えきれないものを、抱えようとしてしまう性格を知っている。
そして、そんな山本にとって今は自分が最も身近な存在だと自負しているから。
もっとその身の内を曝け出してほしい。
そんな想いを瞳に宿し、殊更優しい声で囁いた。
「教えてくれ、山本」
「・・・・オレは本当にこの腕を伸ばしても良いのか?」
伸ばしたくなる腕を押しとどめなくても、良いの?と無防備な瞳に問いかけられた。
何言ってんだ、と頭を抱える。
何を戸惑う必要があるのか、相変わらず彼の思考は捉え難い。
ただ分かるのは、また山本を追い詰め、傷つけてしまっていたこと。
「当たり前だろう。どうしてそんな事を言う?」
「・・・だって。リボーンは全然オレを頼ってくれない。家族なのに、何も話してくれないじゃん」
疲れたことも、嫌なことも、愚痴でも何でもオレは聞きたい。
綺麗な感情ばかりじゃなくていいから、お前が何を考えてるのか知りたい。
教えてくれ、なんて。それはこっちの科白だ、と。
震える唇を噛みしめて、山本が言葉を殺す。
予想外の言葉に呆然とするしかなかった。
そして、口では愛を囁いても、今まで解ろうとしていなかった自分に気付く。
山本はこんなにも家族であろうと努力してくれていたのだ。
それなのに、必要とも思わず、ただ身体の距離を無くし、愛を交じり合わせればいいのだと勝手に思っていた。
(何も言わず、伝えようとしていなかったのは俺の方だったのか・・・)
剛が言っていたはずだ。
余計な遠慮は無用なのだと。話し合うことが大事なのだとも。
心配するのは相手が大切だから。
心配されるのは必要とされているからだ。
『でもよ、気が向いたらいつか探してみるといい。家族の存在はまさに宝物ってぇーことだ』
見つけたと思っていいか、剛?
文句はあの世で聞いてやるから。一発殴らせてやってもいい。
それでも、腕を差し出そうとしてくれる山本が誰よりも愛おしい。
きっと、生涯の宝となる。
言葉にして伝えよう、この想いを。
どんなに遠回りをしても、ずっと傍に居てほしい存在に。
「俺の両腕をお前にやる。代わりに、お前のこの両腕を俺にくれ。永遠に、だ」
山本を起き上がらせて正面から向き合う。
そして彼の右手を掴み、そっと襟足まで回させてやった。
続いて左手も同じように。
抵抗なく己の首に回った山本の両腕に、思わず涙が出そうになった。
「・・・はは、腕だけでいいのかよ?」
どうやら気持ちを理解してくれた山本が頬を染めて言う。唇が少し尖っていた。
それだけじゃあ不満だというように。
「それもそうだな。俺は欲張りなんだ・・・・じゃあお前を丸ごとよこせ、山本」
まるで二度目のプロポーズ。
それでも、浮かべられた山本の笑顔を見るだけで心が救われる。
こんな存在と出会えたことで、生まれてきてよかったと。
顔も素性も、生きているのかも知らない両親という存在に初めて感謝した。
「じゃあもっとオレに甘えて。必要としてくれ。絶対、リボーンを支えられるような男になってみせるから」
首に回った両腕にぎゅっと力がこもり、抱きしめられた。石鹸の匂いがふわりと香る。
返って来たプロポーズの返事に苦笑する。
山本の気持ちは何処までも真っ直ぐで、心から安らぎというものを感じた。
幼い頃から心の奥に潜め、気づかぬ振りをし続けてきた、誰かを求めるこの感情。
雨上がり、虹が射しかかったように。
心が晴れ渡っていくのを感じながら。
リボーンは山本の体を強く抱き締めた。
手に入れていた存在の大きさを再確認。
言葉だけでなく、人を信じ、甘えることを禁じてきた自分。
山本の傍で、これから対等に笑い合う日がきっと来ることを確信する。
「昼から剛の墓参りに行くぞ」
「あぁ。親父もきっと喜んでくれる」
ひとりではなく、かけがえのない2人で。
出かける頃にはきっと、雨も止んでいるはずだから。
本物の虹を山本と共に見たのは、数時間後の話。
永遠がその先にあるような鮮やかなその色を。
一生、忘れないと思った。
Fin.
2009/04/06
改 2009/09/12
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