16:縋り付く



厨房と繋がった大きな食堂や部下達の控室がある階とは違い、
ボスである綱吉や幹部たちの執務室が連なる最上階は意外と人の出入りが少ない。
以前、年が近い末端の部下たちを部屋に誘った時も勢いよく拒絶された。
彼ら曰く、恐れ多いのだと。そんなことないから気にすんな、とその時は苦笑したが、
こうも厳かな雰囲気を醸し出している場所は廊下でさえ確かに居心地が悪いと思う。
どこまでも続く赤い絨毯や至る所に金の装飾が施された豪奢な扉、その反対側の窓さえ防弾ガラスになっているため、
支える金具まで高そうな細工が施されている。普段は全く気にしたことがなかったいつもの廊下だというのに。
山本は自分の部屋の前に辿り着いてようやく息を吐きだした。今日はどうしてこんなことに気を取られるのだろうか。



「よう。遅かったな、山本」


自分の執務室の鍵を解除して、部屋の中に入ると掛けられた馴染みある声。
一瞬にして人の出入りが少ない理由が分かった。
暫らく任務で出かけていたが、ついに帰って来たようだ。ボンゴレ影の帝王と恐れられる彼が。



「ビックリしたのな、小僧。いつ任務から戻ったんだ?」
「たった今だ。ツナも知らねぇぞ」



不法侵入のくせに。それを咎める気にもなれないほど、日常化している光景。
我が物顔でソファーに座り、何やら分厚い本を読んでいたらしいリボーンの声に強張った体から少しずつ力を抜いた。




「おいおい。ボスにまず報告が基本だって教えてくれたのは小僧だぜ?この隣の隣じゃねぇか。行って来いよ」
「俺に指図するなんて100万年早ぇぞ。山本、いつもの」



読み耽る文字から顔を上げずに出された命令に眉を顰めたが、
彼のこんな振る舞いこそ普段通りのため溜息ひとつで山本は簡易キッチンで湯を沸かし始めた。
リボーンがこの部屋に来る理由。それは何も、弟子である自分に会いにきたとか話をしに来たというわけではない。
この部屋には昔から彼のお気に入りだった『竹寿司』愛用の緑茶が常備されている。
それを飲みに来ているだけにすぎない。
この国の人間が愛するカプチーノやエスプレッソとは似ても似つかい飲み物をリボーンはなぜか好んだ。
普段は耳にタコができるほどエスプレッソを愛飲する男が、任務後には必ずと言っていいほどやって来ては緑茶を欲する。
それを時間をかけて飲み干して、何事もなかったようにこの部屋を後にした。
相変わらず何を考えているのか分からない男だ。
赤ん坊の頃は、いや、アルコバレーノの呪いが解ける前ならば、その表情の違いを読み取ることができた。
小さな身体を肩に乗せて、息が触れ合うほど近くで、微かに変化する表情を眺めながら話をした。
大きな漆黒の瞳やおちょぼ口に見える可愛らしい唇の変化は意識せずとも雄弁にその内面を教えてくれたのである。
彼の正体を知る前も、詳しく話を聞いた後でも、山本は真実はどうであれ小僧という愛称通り、彼は守ってやりたいと思う対象だった。
それが変わったのは、アルコバレーノとしての使命が終わり、彼らの呪いが解けた後。




『山本、ほら見ろ。俺の方が背高ぇぞ』



どこか誇らしげな物言いに苦笑した。それは今までの彼と何も変わらないように思えて。
それでも、目を奪われたのは狙撃する彼の姿を見た時だ。
何の違和感も躊躇いもなく引き金を引く、その姿。
その背中は広く、逞しく、何よりも大きかった。
だが、山本が目撃したそれは誰も力も必要としない圧倒的な力によって、どこまでも孤独に見えた。


だから。







「ほら、いつもの。熱いから火傷すんなよ」


わざわざ家から持ってきた『竹寿司』と名前入りの湯呑をローテーブルの上に置き、山本は仕事のため作業机に向かった。
まるで子供にするような扱いもリボーンは黙認してくれる。
無駄な動きなど一切なく、何事も澄ました顔で完璧にこなす青年が舌を火傷する姿など本当は想像できないけれど。
昔からの癖が抜けないから、だから、許してくれと婉曲に訴えているように自分で思ってしまうのは、もはやただの被害妄想だろう。




(言えるわけねぇよなー。小僧、モテるし)


好きだ、なんて伝えた日には一発であの世に送られるだろう。分かっている。
同性である男になど全く興味がないことも、性欲処理などする必要がないほど彼の周りには愛が溢れていることも。
特定の恋人を作らない主義らしいが、沢山の愛人さんがいるのは昔から周知の事実である。それもとびきりの美人さん。
獄寺の姉であるビアンキは美しいだけでなく、強く、一途にリボーンのことを想っていた。
それを知っているし、昔は微笑ましく(当時はただの赤ん坊としか思っていなかったし、ママゴトなんだなという認識だった)見つめていたが、
彼らは本気だった。自分たちの関係に疑いすらなく、周囲に隠す気もない堂々としたもので、それは現在でも変わらない。
何よりも自分達は同性だ。そんな性癖を自分が持っていたことにも驚いたし、受け入れるにも時間がかかった。
けれど、忘れてしまえるほど軽い想いでもなかったし、捨ててしまおうにも距離が近すぎた。
あまり意識したことはなかったが、昔馴染み達からは『リボーンのお気に入り』という称号を頂き、近年は自分でもそれを実感していた。
甘やかされているのだと意識してしまえれば、この胸に芽生えた想いはどんどん加速していくばかりで。
もちろん誰もに知らせず、悟らせず、笑っていれば事足りる、そんな日々の連続だった。





「久しぶりに帰って来たんだし、愛人さんトコ行くんだろ?あんまり待たせちゃ可哀相だぜ?」


数人ならば紹介されたことがある。リボーンとの任務が終わって食事に誘われ、嬉々として出向いたレストランに必ず女性がやってきた。
そのたびに雨の守護者だと紹介され、師弟関係だと告げると女性からの視線は警戒よりも遥かに友好的なものになる。
気を緩めたらしい女性の肩を抱いて目の前で口付け合う様子に、『見せつけなくても盗らねぇって』と軽口を叩くことにも随分慣れた。



「フン、俺達はそんな安っぽい関係じゃねぇからな。お前も知っているだろう?」



知ってるよ。羨ましくて、そう思ってしまう自分が何よりも嫌いで。
こうして笑顔を張り付けながら、実は身体中を嫉妬と寂寥が嵐のように渦巻いていることを。
お前は知らない。



「ったく、惚気る暇があるなら早くツナのところに報告して来いって」



早く、早く、出ていけばいい。
離れてくれればいいと思う。暢気にお茶なんて飲んでいないで。
いつ、この想いが言葉となって彼に知られてしまうか判らない。
いつ、気づいた彼に拒絶の言葉を投げかけられてしまうか判らない。
それが怖い。今の距離が崩壊し、部下として、弟子として向けられる信頼を失くしてしまうことが何よりも恐ろしい。
不安と懐疑に苛まれながらも楽になる方法さえ分からないから、抗い続けるしか道がない。
元来から負けん気が強い自覚はある。それ故に今、こんなにも苦しいのだと分かっているが、負けたくない。



(・・・・・縋り付くなんて真っ平御免だ)



たとえこの想いが片恋でしかなくとも、見っともない姿だけは曝したくなかった。






「山本」



再びローテーブルに置かれた湯呑。どうやら飲み終えたらしい。
せめて笑顔で見送ろうと立ち上がって、彼が座るソファーまで近づいて行くと。






「俺は随分気が長い方なんだが・・・・お前のそんな顔、見たくねぇな」




まるで狙い澄ましたようなタイミングで抱き寄せられた。訳が分からないまま、抵抗することもできず。
淀みなく重ねられた唇は、これまで自分が必死になってギリギリ保っていた均衡をあっさりと破りさるもので。
それは涙が出そうになるほど口惜しく、涙が出るほど幸福を感じるものだった。




Fin.
2010/06/20



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