|
過去CLAPI
寝苦しかった夜が明け、朝日が街を照らし始めた。
日本の夏は苦手だ、と密かにリボーンは思っている。
どんな環境にも柔軟に対応するのがヒットマンの必須条件なのだが、
日本での生活は余りにも穏やかで、体が鈍りを訴えていた。
いまだに眠る綱吉を無視して沢田家の庭に下り立つ。
昼の暑さを感じさせない涼しい空気に、ゆっくりと深呼吸を繰り返した。
そうしてふと見上げた先。
木々の葉の間に張られた蜘蛛の巣。
其処の主であろう蜘蛛の前で紋白蝶がその生を終えようとしていた。
哀れな蝶は真っ白な羽を小刻みに動かし、少しでも逃れようともがく。
一方で罠を仕掛けた蜘蛛はそんな蝶の僅かな努力を嘲笑うかのように、
体内から糸を吐き出して蝶に向かってそれを浴びせた。
その途端、諦めたように動かなくなった蝶が蜘蛛の体内へと飲み込まれていく。
完全に見えなくなるまで、リボーンはジッとそれを見つめていた。
「小僧、どうかしたのか?」
夜、寝苦しさを理由に綱吉の部屋を出て山本の部屋にやって来ていた。
すでに風呂を済ませて後は布団に入って眠るだけ。
リボーンは赤ん坊用のピンクの水玉模様のパジャマに身を包み、
Tシャツとハーフパンツという姿の山本の腕の中で共にテレビを見ていた。
するといつの間にか無言になっていたらしい。
心配げな顔で山本がこちらを覗きこみ、そっと声をかけてきた。
「何でもねぇ。ただ、朝に見た蜘蛛の巣のことを思い出したんだ」
クモの巣?と首を傾げた山本の頬を眺める。
風呂上がりで血色が良くなった顔は溌剌とした若さを感じさせ、
それがなぜか眩しくて、己の心が静まり返っていくのを敢えて無視した。
覗き込まれたせいで真っ直ぐにぶつけられる少年の瞳に負けて朝の様子を話しだす。
それでも、山本には分からないだろう。
ひらひらと自由に空を舞っていた真っ白な蝶。
罠に掛かりながら最後まで生きようとした健気さが。
やがて最期を悟ったようにピタリと動かなくなった潔さが。
あまりにも愚かで。
あまりにも哀れで。
そんな姿が、死神である己に捕まったこの純粋な少年に重なったなんて。
(それでも今更逃がすことなんて出来ねぇ)
美味しそうな獲物を逃がすなんて真似、できるわけがない。
救いようがないのは自分だ、とリボーンが己を嗤ったその時。
「仕方ねぇよな、蜘蛛にはそれが必要なんだから」
意識の外で聞こえた声。
いつもと変わらない穏やかさで、山本がゆるりと微笑んでいた。
その言葉の意味を呑み込めずリボーンがジッと彼を見上げると。
「はは、捕まえることが悪じゃねぇだろ?ならさ、それは罪じゃない」
何も分かっていないくせに。
崩れかけた心の欠片を、山本は簡単に救い上げる。
『山本武』という人間が末恐ろしくなるのはこんな時だ。
世界最強の殺し屋であるこの自分が、たったひとりの人間に恐怖する。
それは決して不快ではない敗北。
まさか自分に敗北を認めさせるなんて、きっと山本にしかできないと思う。
「相変わらずお前は甘すぎる。だが、俺はそんなお前だから手放せねぇんだ」
山本が赦すというのなら。
一度仕掛けたこの罠から、逃してやれそうにない。
何よりも純粋で、綺麗なこの少年を。
蜘蛛の糸のように頑丈な両腕に閉じ込めて。
「愛してる」
囁く言葉は山本を縛る呪文。
顔だけでなく耳まで真っ赤になった少年を見つめ、
今夜はよく眠れそうだと、リボーンは気付かれないように笑みを零した。
|