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夢を見た。
いや、夢というには余りにも鮮明な記憶。
確か深夜に帰宅して、ベッドに入ったところまでは覚えている。
だからこそ、夢だと判っているはずなのに。
昏い闇に覆われた世界はただ深く。
眼下に広がる光景を、山本は1人、眺めていた。
Crazy Heaven
ベッドに沈む数時間前。
山本は数名の部下を連れて、地中海に浮かぶ小さな島にやって来ていた。
国が関与できない私有地のため、無関係の人間が近づくことは許されていない。
つい先日、その島はボンゴレが長年追い続けてきた武器商人のアジトである事が発覚した。
密輸、横流しと闇のルートで流れる武器は多くの仲間や一般人を傷つけていた。
だからこそ、早急に処理せよ、と命令が自分の隊に下った時。
山本は実力を兼ね備えた少人数で決行することを決めた。
数で攻めるよりも確実に仕留めることを優先したかったからだ。
その甲斐あってか、任務は無事に遂行された。
屋敷の主の寝室にて。豪奢なベッドで息絶えた老獪の男。
山本が握る時雨金時から、男の血が滴っていた。
真っ白なシーツが真っ赤に染まっていく様を、ただじっと見つめる。
布地に吸収されて滲んでいく。それをぼんやりと眺めていた。
(・・・ん?あれ、なんだ?)
視力だけは昔から良かった。
だからこそ、気付いたのかも知れない。
書斎の机に乗った、大きな箱。大きなリボンが巻かれた鮮やかな包装紙。
見てはいけない、と無意識に頭の中で鳴った警報。
それでもどうしても気になった。だからこそ、手に取らずにはいられなかった。
『9歳になる我が愛しの息子へ』
誕生日おめでとう、と書かれたバースデーカード。
(・・・・・っ!!)
見なければよかった、なんて後悔しても時すでに遅く。
山本は一瞬で理解してしまった。
自分が手にした箱の重み。父親から息子へ。
ガラクタと化した哀れなサッカーボール。
これが誰かの手に渡ることはもう、決してないのだと。
そうしたのは自分自身だと、足りない頭で考える。
(オレが、殺した)
そう自覚した瞬間、夢の中らしく、視界が真っ赤に染まった。
まるで血の海の中にいるような、哀しい紅。
たった数分前。標的の命を奪った自分。
男の人相も、名前も、職業も、犯した罪も、綱吉の指令書に載っていた。
だからこそ迷わず刀を振れる。だからこそ、人を殺せる。
ボンゴレ10代目ボスである沢田綱吉。
心優しい彼の支配下において、決して破ってはいけない掟があった。
まず古くからマフィアの財政を支えてきたクスリを禁じた。
更に非戦闘員である人間、特に女・子供に手を出さないよう徹底させた。
かなりの反発がファミリーから挙がってもなお、その意志を曲げなかった親友。
その小さな肩に背負う、大きな覚悟に、何処までもついて行くと誓った日を忘れた事はない。
にも関わらず、耳鳴りのように聞こえてくるのはナニかが崩壊する音。
ボンゴレにとっては敵でも、子供にとっては大事な父親だっただろう。
夢はプロサッカー選手と言っていたのかも知れない。
山本自身、野球選手になることを夢見て父親から何度グローブを貰ったか。
幼い自分に対して、期待と誇りを込めた父の眼差しを今でも思い出せる。
そこには悲しい思い出など一切ない、優しい記憶。
だが、殺した男の子供はどうだろう。
帰って来ない父親。貰えないプレゼント。崩壊する家族。
その原因は、ただ1つ。
『・・・・時雨蒼燕流で、オレが殺した』
流した血も、奪った命も、止まらない涙も、すでに星の数ほどある。
引き返すことだって出来やしない。
知っている。解っている。
それでも、何かに押し潰されそうだ。
自分という存在が、何故、刀を持っているのか。
何故、戦う必要があるのか。
何故、誰かの命を奪い続けているのか。
何故、誰かを悲しませてもなお、生きているのか。
不透明で、不安定な、ココロ。
夢というよりも、意識に刻まれた過去の場景に溺れて。
息をするのも忘れるくらい。
息をするのも必要としないくらい。
必死で何かを求めていた。
「・・・・いい加減、起きろ。山本」
バチン、と。
鈍い音と共にやって来た猛烈な痛み。
先程まで紅色に広がっていた狂気の世界は霧散していて。
目の端が捉えた窓に映るのは、朝焼けでスミレ色に染まった空。
そして目の前には。
「ひ、でぇな、リボーン。寝てる相手にデコピンかよ」
必死で瞬きを繰り返し、覆い被さったまま動かない相手を睨み返す。
自分が寝起きということを忘れるくらい、打たれた額が痛かった。
額を抑えていたからこそ、自分の手元を見て思い出す。
(そうだ、家に着いてすぐ寝ちまったんだった)
どうしようもなく疲れていた。いや、落ち込んでいた。
だから早く寝てしまいたかった。幸か不幸か、同居している男は不在。
来週から始まる任務に備えて、徹夜でミーティングがあると不機嫌な様子だった。
一緒いる綱吉と獄寺はひどく緊張した面持ちで、そんな3人を屋敷に残して、一人で帰宅した。
寝室に入ると疲労はピークで、本当は風呂に入りたかったがそんな力は沸いてこなくて。
何とかネクタイだけを外して、スーツのままベッドに沈んでしまった。
その後に視た、夢。
あまりにも脳裏に刻み付いていたらしい。
(はは・・・オレは相変わらず弱ぇなあ)
今更のはず。本当に、今更の。
何度もこんな夜を過ごした。何度も同じ思いに陥った。
罪悪感と、嫌悪感と、後悔と、それから。
「相変わらずだな、山本は」
遮っていた外界から聞こえた声。
すると、未だに自分を組み敷いた格好でこちらを見るリボーンと目が合った。
驚いた。いや、忘れていたわけではない。額の痛さも、彼の言葉も。
それでも、ただ息苦しさが。
幻聴だと分かっているのに聴こえてくる子供の声、父親である男の、母親の嘆く声。
自分が奪った筈の家族の声が耳の奥で木霊して、自分の心臓の音がやけに大きくて。
身体どころか、視線ひとつ動かせなくて。
「お前は本当に、何でも背負ってき過ぎだぞ」
無表情であるリボーンの眉間に、皺が1つ。
言われた言葉の意味がよく解らない。
相変わらず弱いとか。相変わらず脆いとか。相変わらず甘いとか。
怒られることは沢山ある、と働かない思考を必死で巡らす。
「・・・オレは何にも、背負ってなんか」
「ない。なんて言い切りやがったら、その口に鉛玉喰わせるぞ」
ギロリ、と世界最強の腕を持つ殺し屋の視線。
思わず瞬きさえ停止して、その後に続く言葉を飲み込んだ。
「お前ほど殺し屋の才能を持ちながら、殺し屋が似合わない男は居ねぇな」
殺気さえ含んだその視線が一気に消えて、リボーンが苦笑した。
寝ころんだまま、子供をあやすような手つきで髪の毛を撫でられる。
急に綻んだ青年の態度に首を傾げても答えなんて見つからない。
「どうせ、オレはまだ、未熟だ」
マフィア歴は確かに短い。目の前の青年から見たら、ヒヨっこ同然で。
それでも、学生だった頃はずっとマフィアごっこだと思っていたのだから、十分成長したと思ってほしい。
今は立派に刀を振るえる。人も殺せる。覚悟だって・・・。
「お前の覚悟は何だ?すぐに揺らぐ決意は覚悟なんて言わねぇ」
やはり、見透かされている。
任務中の出来事は報告書にまとめるが、簡潔に、論点だけを書く。
だからバースデーカードのことは誰も知らない。
まして、そんな事で自己嫌悪に陥っていることなんて書くはずがない。
それなのに、リボーンは何故、知っているのだろう。
「強くなれ、と言うのは簡単だ。お前は誰よりも才能を生かし、努力する男だからな」
淡々と話すリボーンの顔をじっと見つめる。
「だが、性格はきっと、変えられねぇだろ。・・・山本は案外、頑固だからな」
少しだけ、薄い唇の端が持ち上がって、苦笑したのが分かった。
「自分の醜さも、弱さも、存在も、受け止められないというなら、俺がいくらでも肯定してやる」
普段、リボーンという男はどちらかというと無口な男だ。
だからこそ、今の饒舌な言葉が、やけに耳に響く。
「他人に甘く、情に脆い性格はマフィアに相応しくねぇが、お前はそれでいい」
ドクリ、と心臓が鳴った。
剣術や戦闘について褒められる事は多いが、こう言った普通の状態の自分を褒められたことは皆無だったから。
嬉しいというよりも、くすぐったいような、響き。
「そのまま生きろ。そして、背負いきれなくなったら、俺を恨んで死ねばいい」
最後、一段と低い声で告げられて、今度は違う意味で心臓が煩くなった。
まるで煙草を吸った後のような苦さが、心を占める。
思わず縋るような眼で、目の前のリボーンを見て、口を閉じるのも忘れるくらい心底驚いた。
「この世界にお前を引き込んで、その手を離さなかった俺を憎め。山本」
言葉とは裏腹に、唇は苦笑から完全な笑みに変わっていた。
まるで己の行動を誇るように。まるで、一切の後悔はないというような。
力強い、リボーンからの言葉だった。
(・・・ったく、相変わらずオレに甘ぇのな。それなのにいつまで、独りでいるつもりなんだよ)
リボーンこそ、いつまで背負っているつもりなんだと、叫んでしまいそうだった。
変わらない。アルコバレーノの呪いが解けた後も、リボーンは変わらずに。
自分が決めた生き方を誇って、どこまでも孤独に、茨の道を歩き続けている。
(だから放っておけねぇんだ、昔から)
誰の力も借りず、たった独りで生きていける男に必要とされたあの日から。
(コイツの傍が、オレの世界)
腕を伸ばすと届く距離。
気付くと、自分からリボーンの身体にしがみ付いていた。
いつも以上に腕に力を込めて。
戦いの師であり、最強を名乗る青年はそれでもビクともしない。
「ありがとな、リボーン」
血と、狂気と、闇と、混沌の中。
誰かの命を奪うこと。誰かを嘆き悲しませること。
受け継いだ剣を握ること。重傷の怪我をすること。
仲間を守ること。孤独な男の背中を追いかけること。
きっと今後も変わらない。
すべて、切り離すことができない出来事。
だから、これからも何度も悩み、もがいて。
それでもきっと、捨てきれない。
これが自分で選んだ生き方だから。
「なぁ、リボーン。そう言えば、お前、何で此処にいるんだ?」
寝起きだったからか、それとも意識が他に囚われていたためか。
普通はまず疑問に思うべきだった事に、たった今気付いて。
するりと言葉になって零れてしまった。
徹夜でミーティングをするから、と本部に泊まり込んでいたはずの彼が。
どうして帰って来たのか、不思議に思った。
「・・・・寒かったからだ」
「は?そりゃ、朝晩は寒くなってきたけどよ・・・ツナの部屋は暖房あるだろ?」
力強い抱擁の後、風呂に入ってないからと拒んでも強引に進められた情事。
嫌だと完全に言えない時点でこちらの敗北は悟っているから。
事が終わった後、裸のままシーツに包まる。
自然に引き寄せられる肩。寄り添い合う頭部。
「うるせぇ。俺を凍死させたくなかったら、山本は黙って此処にいろ」
剥き出しになった逞しい腕が腰に回って、グッと抱きしめられた。
男の自分に腕枕なんかして何が楽しいのか、いまだに判らない。
それでも、いい。
2人で感じる体温は、ただ優しくて。
この腕の中から抜け出せない。
逃げる術がないこの世界はまるで、天国のようだから。
ベッドの中、息を潜めながら何度も何度も、唇を重ねた。
Fin.
2009/12/20
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