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『小僧、もう出かけんのか?』
『あぁ、急ぎの案件だからな。一週間ほど留守にするぞ』
出かける寸前だった小さな背中に声をかけた。
右手にはアタッシュケース。お馴染みのボルサリーノにはレオンの姿。
準備は万全というその様子に微笑みながら、そっと赤ん坊の身体を抱き上げる。
『そうなのか。じゃあジャンニーニの新作披露会には出れないんだな』
残念なのな、と続けると、返ってきたのは苛立った舌打ち。
どうやら雷の守護者であるランボへの怒りはまだ解けていないらしい。
『おい、山本。あのクソ牛にはバスーカに頼らず戦うことを覚えさせろってツナに言っとけ』
腕の中に収まる赤ん坊の不機嫌な声に苦笑しながら、了解、と頷いておく。
この話題は暫らく禁句だな、と頭の片隅に置いて。
『小僧が帰ってきたら、美味い飯食いに行こうな』
別れの言葉は交わさない。
その分、未来に続く言葉を。信頼という眼差しを。
『あぁ。最高のワインが味わえる店に連れて行ってやるぞ』
満足そうな笑みを浮かべ、ボルサリーノを被り直した赤ん坊が颯爽と屋敷を後にした。
自室の窓から頼もしいその背中を見送って。
山本は自分の仕事へと戻ったのだった。
奇跡の花 2
まるで肌を突き刺すような冷たい雨が降っていた。
(どう、なったんだ?)
身体が重くて息が苦しい。
次々と襲いかかる眩暈と頭痛で、世界が廻っていた。
「痛ってぇ・・・」
倒れたまま、そろりと指先を動かすだけで身体を襲う激痛。
呻き声を漏らさないように唇を噛み締めて、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
最初に見えたのはどっしりと構えた太い大木。
生い茂った葉のざわめき。澄んだ空気に土の匂い。
左右に視線を巡らせると、どこまでも続く木々に此処が森の中であることが分かった。
(どうやら間違いなくバズーカに当たったみてぇだな)
ランボが変化する様子を学生の頃から見てきたが、実際に当たったのはこれが初めて。
時空を超える、というのはこんなにも辛い事なのだろうか。
飄々と入れ替わるランボからは想像できないほど、身体は苦痛を訴えている。
ゆっくり起き上がると、背負ったままだった時雨金時がカチリと鳴った。
ハッとして、瞬時に気配を探る。
遠くから雨音に混じって、数人の殺気だった足音と怒声が聞こえてきた。
どうやら只事ではない所に遭遇しそうだなぁ、と働かない頭で考えて。
山本はすぐに時雨金時を抜き、真っ直ぐに刀を構えた。
一瞬の静寂。
「・・・どうしてジャッポーネが此処にいる?」
大地を蹴る足音は、聞こえなかった。
それでも氷のように冷たい視線と息が詰まるような鋭い殺気。
油断したつもりはないというのに、あっさりと背後を取られてしまった。
「テメェは何者だ?」
安全装置が外される音と共に、先程よりも近い距離で聞こえてきた声。
無意識に体が反応して山本は咄嗟に振り返った。
バン、バン、バァンと数発の銃弾が頬を掠めていく。
避け切れない弾は両断し、間合いを保つために数歩下がった。
「・・・ったく、せっかちな奴なのな」
やべぇ、やべぇ、と口では笑いながら、急激に肝が冷えていった。
確実に急所だけを狙った攻撃は時雨金時が無ければ避けられなかっただろう。
「ほう、避けたか。なかなかイイ反応だぞ」
雨のせいで視界が最悪の中、声の主と正面から向き合った。
(・・・・・・・・こ、ぞう?)
反射的に思い描いたのは、世界最強を名乗る黒衣の赤ん坊。
それは目深に被った黒いボルサリーノだったり、手に馴染んでいるCz75の所為かも知れない。
何よりも、まるで大きな虎と対峙しているような圧倒的なプレッシャー。
ひっそりと獲物を見定め、油断した瞬間に喉元を噛み切ってやると言わんばかりの殺気。
静かに虎視眈々と狙う様子はあの赤ん坊にひどく似ていると思った。
左右に頭を振って、雨水を払う。
一瞬の幻影に出会ったような不思議な感覚。
目の前に立つ男は赤ん坊どころか、すらりとした長身痩躯の青年。
身長は帽子分負けている気がする。それでも殆ど変わらないことは確かで。
赤ん坊が一度話してくれた本当の姿、というのはこんな感じかもしれない。
そう想像してみるだけで面白くて、こんな状況にも関わらずラッキーだなと可笑しくなった。
「なぜ笑う・・・・俺が怖くねぇのか?」
銃を構えながら冷静な様子もそっくりだな、と山本は更に笑みを深くして。
「怖くないぜ。どっちかと言うとすげぇ楽しい、かな」
それは紛れも無い本心。
いまだに身体は違和感だらけだし、なぜかいきなり発砲されたというのに。
雰囲気が似ているというだけで、彼は敵でないと己の本能が訴えていた。
「フン、変なジャッポーネだな」
「あっ、悪い。自己紹介がまだだったな。オレは山本武」
ボンゴレ雨の守護者だぜ、と告げた後、四方八方から激しい銃撃。
2人同時に跳躍してそれをかわす。どうやら新たな敵に囲まれたらしい。
舌打ちした青年に目をやると、彼を追って来たのだと理解して。
「時雨蒼燕流、攻式八の型・篠突く雨」
本能的に刀を振るう。
静かな森に数人の男たちが平伏し、赤い水たまりが幾つもできた。
「Bravo」
かけられた言葉とは裏腹に、獲物を横取りしやがってと睨まれる。
そんな姿もそっくりだな、と能天気に考えていると。
「っ、な、んだ・・・?」
まるで急激な運動をした後のように、息苦しさと眩暈で地面が揺れた。
一気に握力を失くした右手からは時雨金時が零れて。
倒れる寸前。低いテノールが耳元で聞こえた気がしたのだが、
それを確認できないまま、山本の意識は暗い闇の中へと落ちていった。
3へ
2010/01/27
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