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『ちょっと邪魔するぞ、山本』
イタリアのボンゴレ本部にやって来て早数ヶ月。
新しい環境に慣れるだけで精一杯だったある日のこと。
山本が与えられた執務室で慣れない書類と格闘していた時、
すでに綱吉の家庭教師の任を解かれた赤ん坊がやって来た。
『よう小僧。お前こそ仕事の方は?ちゃんと休めてンのか?』
綱吉の家庭教師では無くなったものの10代目ファミリーの後見人として、
指導以外にも外交や暗殺稼業まで、一手に担うことになった小さなヒットマン。
アルコバレーノの呪いを受けた仮の姿であることを知っているとはいえ、
その多忙ぶりに山本は彼の体調を気遣わずにはいられなかった。
『フッ。俺の正体を知って尚、赤ん坊扱いすんのはお前ぐらいだぞ』
『あっ、悪い。つい忘れちまうんだよな』
赤ん坊の言葉に、頭を掻きながら思わず苦笑い。
すると黒衣のスーツを纏った彼が執務机の上にやって来た。
山本も処理済みの書類を端に寄せ、正面から赤ん坊と向かい合う。
相変わらず表情は読みにくいが、その大きな瞳を覗きこめば、
昔から彼の感情の欠片を掴み取ることができた。
『今夜、お前の時間を俺に寄こせ』
黒曜石のような漆黒の瞳がチラリと光る。
学生の頃、何度も寿司屋に遊びに来た赤ん坊だったが、
不思議なことに泊まると言い出したことはなかった。
今まさに逃がさないと語る強い双眸。
そんな視線に射抜かれては頬が赤くなっていくのを隠しきれず、
彼に望まれていることに歓喜する自分がいた。
だからこそ。
『ははは。小僧が望むなら・・・・いくらでも』
誰よりも気高く、孤独に生きる男の小さな温もりを抱きしめて眠る。
それは男女のように身体を繋げ、想いを通わせ、溶け合うものではないけれど。
心音を聞いて、呼吸を合わせて、同じ夢を分かち合う。
ただの添い寝だと周囲の人間には苦笑されたが、
山本にとってそれはあまりにも特別な夜だった。
奇跡の花 3
懐かしい夢を見ていた気がする。
一体、何がきっかけだったのか。
深い眠りから覚めた山本はゆっくりと視線を彷徨わせた。
「何処なんだ、ここ?」
明らかに自室でもボンゴレ本部でもない見知らぬ部屋。
寝ているベッド以外は何もない殺風景な空間だった。
真横にある格子窓から見えた空には少し欠けた月が昇っていた。
雨の気配は感じない。
(・・・っ、時雨金時!!)
父から受け継いだ大切な相棒の居場所を覚えていない。
意識を手放す前の記憶は曖昧で。
奇妙な違和感ばかりが積もった山本は急いで上半身を起こした。
「 動くな 」
それは真冬に降る冷たい雨のような声だった。
「暢気な男だな。本当にボンゴレ雨の守護者か?」
反射的にベッドで壁を作り、距離を測って身構える。
すると、膝をついた足元に銃弾が2発撃ちこまれた。
気配の中に殺気は感じない。
それでも。
「少し雑だが反応は褒めてやるぞ」
一体、いつからそこに居たのだろう。
解らない事ばかりだが、只者でないと山本の勘が訴えている。
月の光だけを頼りに目を凝らすと、男は正面の扉に凭れ銃を構えていた。
(・・・・はは、やっぱり似てる)
動じず、先を見越して悠然とこちらの様子を窺う姿は、
山本のよく知る小さなヒットマンに酷似していた。
「よく笑う野郎だ。俺を目の前にしていい度胸だな」
カチリ、と銃口が向けられる。
「でもよ、殺すつもりならとっくの昔に殺してるし、拷問するつもりなら手足くらい縛ってるだろ?」
アンタならいくらでも出来る筈だ、と。
時雨金時も、武器は何一つないというのに落ち着いていられる理由を告げてみる。
「なんだ。見かけほど抜けているわけじゃなさそうだな」
「酷ぇのなー。これでも毎日必死でやってるんだぜ」
戦う術を、戦う姿勢を、戦う意味を。
長い月日をかけて、優秀な家庭教師が教えてくれたから。
「フン、まあいいだろう。合格だ」
月明かりの下、構えていた銃を収めて男が告げた。
すると、極限まで張り詰めていた空気が霧散していく。
どうやら試されていたらしいと気付き、漸く山本も警戒を解いて床に座り込んだ。
(マジで心臓に悪いぜ)
判らないことだらけなのだ。
表情には出さないが気持ちだけが焦る。
正確には分からないが、森で倒れてから数時間は経っているはず。
昔からなじみ深い10年バズーカの効き目は5分だと聞いている。
そして今回、ジャンニーニは開発によって効き目を30分に伸ばすことができた、と誇らしげに言っていた。
何か予想外のことが自分の身に起きていることだけは判る。嫌な予感程よく当たる。
原因や解決方法が分からないのでどうしようもないのだか。
「なぁ、オレは名乗っただろ?いい加減アンタのこと教えてくれよ」
あとココが何処なのかも、とあやふやな感情に蓋をして軽快に言葉を紡いでいく。
可笑しい。見ず知らずの男に銃を突き付けられて、知らない場所に連れて来られて。
それでも山本の本能が彼は敵でない、と告げるのだ。
山本もよく知る人物に似ているだけなのに。
「ここはイタリア北部の港町。このアパートメントは俺の隠れ家の一つだ」
パチリ、という小さな音と共に部屋の明かりが灯った。
暗闇に慣れてしまっていたせいで山本は眩しさに目を閉じる。
数度瞬きをして、男の方に顔を向けた。
そして、朗々と紡がれた名前はやはり、自分がよく知る黒衣の赤ん坊と同じものだった。
真意を探るように視線を合わせると、夜に浮かぶ星のような双眸とぶつかる。
確固たる意志と誇りを込めて紡がれたその名を否定することなど山本には出来なかった。
目の前に立つ長身痩躯の男と、昔から己の肩に乗って満足げに微笑む赤ん坊。
彼らがどんな関係にあるのかなんて、考えても答えなど見つからなかった。
「山本武だったか?そのボンゴレリングが本物だということに嘘はなかったから連れて来た」
「・・・お前にとってボンゴレは味方なのか?まぁ、オレに戦闘の意思はないのな」
「アンタの次はお前か。ジャッポーネが礼儀を知らない人種だとは思わなかったぞ」
「ははは、まいったな」
手厳しい言葉はまさに自分がよく知る彼そのもの。
皮肉な物言いに思わず眉を下げて苦笑せざるをえなかった。
分かっているのだ。非は自分にあることを。
知らない時はともかく、すでに名乗り合ったのだから名前を呼べばいい。
礼を重んじる父親に育てられたこともあり、山本は自分の非礼に頭を抱えそうになる。
しかし、その名前は軽々しく呼べるものじゃない。
そんなことは目の前の青年にとって何の意味をなさないことだと分かっているけれど。
(なんか、照れくさいっつーか、変な感じだな)
出会った頃は何の考えずに、安易な気持ちで『小僧』と呼んだ。
面白い子供だと可愛がっていたのは最初だけで、
彼のことを知るごとに意外性に驚き、その小さな身体に背負う宿命に心を痛めた。
まさか今では愛人と公言される関係になるとは思わなかったけれど。
それでもいいか、と。変わったこと、変わらないこと、そんな距離を2人で楽しんだ。
今思えばどうして彼は『小僧』と呼ばせてくれていたのだろう。
無事に戻れたらぜひ聞いてみよう、と山本は胸中でそっと呟いた。
「あー、助けてくれてサンキューな・・・リボーン」
口の中で響きを転がして残ったのは拭えない違和感。
これも慣れないせいだ、と自分に言い訳を呟いて。
そっと目の前で壁に凭れたままの男を見つめると、彼は表情を変えずにこちらを眺めていた。
「まぁ、いい。俺も今は大事な時期だ。ボンゴレ8代目に楯突く気は無ぇからな」
あの女はホントに油断できねぇ、と低い呟きが部屋に響いた。
躊躇いもなく銃を操る長い指。こんな職業だ。互いに幾人もの返り血を浴びて生きている。
だから、目の前に立つ男の手も紅く染まっているはずなのに、その指は神々しいまでに白く、
綺麗な形をしていると、無意識に視線がその動きを追ってしまう。
人差し指と親指でカールしたもみあげを伸ばす仕草を繰り返している男から語られる話は。
きっと誰も知らない、知ることもない、物語の始まりなのだと。
雲間から見えた星の輝きを眺めて、静かな夜が更けていった。
Fin.
2010/03/25
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