|
煤や埃で薄汚れた身体。
一目見た瞬間、面白い生き物だと思った。
綻びが目立つ衣服から伸びた手足は今にも折れそうなほど細い。
食事が満足に与えられていない事は一目瞭然だったが、
艶を失わない漆黒の髪や意志の強そうな焦げ茶色の瞳がやけに光を放って見えた。
そして何よりも、まるで蟻の群集のように一か所に固まり合う子供たちの真ん中で、
その幼い少年はただ一人、微笑んでいた。
どう見積もっても10歳前後にしか見えない普通の子供だというのに。
度胸があるのか、それともただの馬鹿なのか。
今にも崩れ落ちそうな小屋の中で、彼は異彩を放っていた。
香港の中心地から少し南下したところにある小さな町。
だが、島の中でも商業が発展しているため人の行き来が多い。
農村から出稼ぎに来たり、大都市に疲れた観光客の癒しスポットとして知名度のある町だ。
午前中にやって来たリボーンは馴染みのマフィアが用意した車で昼過ぎに到着したばかり。
今の時期だと農家は忙しく、夏を前に人の波も一段落しているためある程度の落ち着きを見せていた。
まず案内された宿泊施設で軽い休息の後、次に案内されたのは町にある歓楽街の外れ。
軒並みが揃ったその場所は一見すると民家にしか見えないが、実態は人身売買の玄関口となっている。
中国全土だけでなく、極東や東南アジアの地域から攫って来た子供を奴隷として売るのである。
マフィアという商売は薬、拳銃、奴隷、賭博から人殺しまで、金になることは何でも行う。
ある程度地域や同盟によって着手する種類やルートは異なるが、軌道に乗れば組織を一気に増大できるため、
手を染める犯罪は減るどころか増加の一途を辿っている。
リボーン自身は殺し屋として名を馳せており、今回は懇意にしているイタリアンマフィアからの依頼でこの地にやって来た。
今はアジア圏でのみ行われているが、近い時期にヨーロッパ圏まで人身販売を広めたいという香港マフィアたち。
彼らの本心を読み解いて、こちら側にどれくらいの有益をもたらすのかを見定めるのが今回の仕事。
殺し屋としての領分に些か反しているため、依頼料は普段の倍以上の値段で吹っ掛けてやった。
(だが、俺には退屈な仕事だ。殺し以外は気分が乗らねぇ)
今にも落ちてきそうな電飾。数か所ひび割れた窓ガラス。風が吹くたびに軋む部屋。
色褪せた机や椅子、散乱したままの掃除用具、他には古びた絵本が床に転がっている。
時折すすり泣く子供や微塵も動かない子供。
皆が絶望の渦に飲み込まれる中、彼はただ一人違った。
真黒な仔犬のように愛想を振りまく少年は左右の子供の手を握り、頻りに話しかけている。
入口に立つ大人たちには目もくれず、少年は笑っていた。
特別に目立つ容貌をしているわけでもなく、存在感があるわけでもないというのに。
リボーンの誇るべき己の勘が、この少年は面白いに違いないと訴えていた。
「あのな、コイツの父ちゃんの誕生日が今日なんだって。だからオレ達、ここから出たいのな」
幼子のような舌っ足らずな喋り方を残しつつ、それでも確固たる意志を帯びた瞳は強く光っているように見えた。
彼の小さな手のひらには壊れた箒の柄が握られており、少年の背丈よりも長いためかなり扱いにくそうだ。
それでも先ほどリボーンの目の前で下っ端といえどマフィアの一員である男を3人。
流れるような動きで的確に急所を突いた攻撃を繰り返し、一瞬で床に沈めてしまった。
周囲にいる子どもたちも何が起こったのか解らない様子で呆けている。
「お前、ジャッポーネだったのか。まるで侍のような動きだったな」
「おっさん、オレの言葉分かるのか?よかった。ここじゃ殆んど通じなかったから」
そう言った瞬間、照れくさそうに笑った子供。
此処は攫って来た子供や親から売られた子供を売り飛ばす人身売買のアジトである。
彼も悲惨な場面に出会い、壮絶な時間を過ごしているはずなのに。
どうしてこんなにも笑うことを忘れないのか、それだけがリボーンには不思議でならない。
「面白ぇな、お前。ここから逃げ出してどうするんだ?」
「ん?この、メイミって子が父ちゃんに会いに行くっていうから。オレは行きたい所なんてないんだけどな」
何も考えていないのは本当らしい。
こうして暢気に話している場合でも無いだろうに。
一目散に駆け出していく少女の背中を見送ると、他の子供たちも弾かれたように立ち上がって小屋を後にした。
「オレ達を捕まえなくていいのか?」
「あぁ。手を組むにはお粗末すぎる無能な奴らだってことはよく判ったからな。俺の仕事は完了だ」
「・・・よく分かんねぇけどサンキューな!みんな家に帰れたらいいんだけど」
「お前も家族がいるんだろう?辿り着けそうか?」
「おやじ、殺されたんだ。剣の修行の時に・・・最後はオレを守ろうとして死んだ」
「なるほど。お前がこんな所にいる理由と箒の柄を上手く扱えた理由が分かったぞ」
ニヤリ、と微笑んで見せると少年も同じように笑い返してきた。
訳を知ってしまえばその笑みに含まれた哀しい記憶が流れ込んでくるような、リボーンには珍しく感傷的な気分だった。
「タケシ、油断するなよ」
ほんの気まぐれだ。
この先も無事に目的地まで行けるとは限らないのだと教え込むように。
少年の黄色い靴に書かれた、恐らく少年の名前であろう日本語を囁いて。
リボーンの手のひらに収まりそうなほど小さな頭をくしゃり、と撫でる。
(・・・・!!)
今にも小屋から出て行こうとした少年――やまもとたけし、に向けて。
何気なく告げた言葉に、彼は先ほどまでの笑顔から一転、泣くことを思い出したように頬には涙が伝っていた。
ポロポロと次から次へと零れてくる。
その少年の目尻から零れる光の粒がやけに眩しい。
だから。
「行くとこがねぇなら俺と来るか?」
涙で濡れる頬に触れた。
初めて触れた子供の肌は温かく、女の肌よりも柔らかい。
涙する一瞬、まるで天に縋るような視線を向けた少年の姿は美しかった。
だから、だろうか。
「ハハ、行く。おっさん、なんか・・・おやじに似てる気がすっから」
飄々とした態度や逆境をものともしない強さに惹かれた。
度胸の良さも、剣の才も申し分ない。
やはり面白い、とリボーンはかつてない高揚感に包まれ、もう一度、子供に手を伸ばす。
「おっさん、じゃねぇ。俺はリボーン。世界最強の殺し屋だぞ」
正体を明かすと脅えられるかと思いきや、少年は澄んだ瞳を更にキラキラと輝かせて。
「なんかすげーのな!よろしく、リボーン」
頭を撫でようと伸ばしたリボーンの手は、満面の笑みを浮かべた山本武にグッと強く握られる。
まるで当たり前であるように、彼はそのまま横に並んで、手を繋いでゆっくりと歩き出した。
少年が青年へと成長し、最強の剣士として名を馳せたのは、約十年後のことだった。
Fin.
2010/11/06
|