|
何かを期待するような高揚感と変化がもたらす不安感。更に一定期間、距離ができていたことに対しての焦燥感が重なって、
初めて訪れる中世の古城のような立派な屋敷内を歩く山本の心臓は、人知れず鼓動を速めていた。
赤い絨毯が敷かれた長い廊下はオレンジ色のランプで照らされ、格子で遮られた窓にかかる青いカーテンは上質な絹だとひと目で判る。
どこに目を移しても、ごく一般的な庶民に過ぎない山本とって、イタリア南部に位置するボンゴレ本部はあまりにも異世界だ。
実際、この屋敷に来るまでは親友や大事な仲間たちが生活する家、もしくは会社のようなものだという認識でしかなかった。
日本を飛び立った飛行機内ですぐに爆睡し、到着した空港に迎えに来てくれた獄寺の運転する車で案内された時、
『ツナの家って此処かよ、すげぇのなー!』と感嘆し、獄寺の背中を思いっきり叩いて久しぶりに拳骨を落とされたばかり。
中学時代は何度も『野球バカ、ぶっ殺す!!』と叩かれていたので、これは獄寺の一種のコミュニケーションだと信じている
あの頃はお互いにガキだった。山本自身、周囲に流されて大事なことは気付かないフリをしていたし、獄寺は圧倒的に視野が狭く、
頑固で、それでも誰よりも事態を把握していた。おそらく綱吉よりも。だからこそ、綱吉を含めた自分たちはチグハグの、危うい関係で。
それでも拙い中学生活の中、同じように笑って、同じように苦しんで、同じように支え合い、同じように泣いた。
守りたいもの。信じる心。大切な人々。それらを理解し合い、戦うことで本当のファミリーになっていった。
きっとすべて、最強を名乗る黒衣の赤ん坊の思惑通りに。山本は勘だか本能だか、自分でもよく解らないまま、
それでも何故か無条件で彼を信じ、彼の庇護下を離れた後でも、感謝の気持ちを忘れた日はなかった。
「なぁ、獄寺・・・それで、小僧の容体はどうなんだ?」
「結論から言うとアルコバレーノの呪いは無事に解けた。成功した筈なんだ」
「ヴェルデって奴が頑張ったんだろ?ツナも研究に協力して呪いを解く方法が見つかったんだよな」
「ああ。先月の満月の夜、計画通り実行された。だが、二日経っても誰も戻ってこない。だから十代目と現場に行ったんだ」
「そうか。それから、ずっと」
「地面に倒れていた全員を緊急搬送して、それから・・・・リボーンさんだけが、まだ目覚めねぇ」
獄寺の声は先程再会した時よりもずっと悲愴に暮れていた。
かなり疲れていることがよく分かる。それでも、それを分かち合うことが今の山本にはできない。
中学生になり野球しか目に入らなくなっていた自分が起こした、屋上からの飛び降り事件。
殆んど接点がなかったはずの少年が己の命を懸けて救ってくれたから、山本は野球以外の世界の広さと己を取り巻く環境の温かさを知った。
それ以降、ドラマや映画のような出来事に遭遇し、よく分からないうちに当事者となって、本当の家族のような仲間ができた。
ただ新鮮で、迫力満点で、目まぐるしい日々。それは中学卒業と同時にまるで流れ星のような刹那と儚さで終わりを告げたが、
こうして幾分年を重ねた今。再び、今度はこのイタリアの地から、何かが動きだそうとしていた。
心音はただ、真実を語る 1
山本以外のボンゴレ十代目ファミリー達が日本を離れたのは中学の終わり。十五歳の冬だった。
当時、剣も野球も、更に親父も、と大事にしたいものが多すぎて、身動きの取れなかった山本だけが日本に残った。
残るように仕向けたのは師匠である黒衣の赤ん坊だったのだが。
あれから五年。つい先日、新年を迎え、相変わらず並盛町に住んでいる山本は父の笑顔に見送られ、盛大な成人式に参加した。
その会場に集まった旧友達と写真を撮り合い、酒を酌み交わし、大人と子供の境目を卒業する期待で、それは楽しい時間だったが、
並盛中学でファミリーの契りを交わした親友たちの姿は、もちろん見当たらず、山本の心の奥が僅かに軋んだ。
成人式があることを綱吉に話した時、彼の声はあまりにも残念そうで、参加したかったことがすぐに判る。
だが、彼の立場がそれを許さない。分かっていたはずなのに綱吉にそんな話を電話でしてしまった自分を責めた。
こうして二十歳を迎え、大人の仲間入りだといわれても、成長した気がしないと山本は人知れず落ち込んだ。
足りないものなどあり過ぎて、それでも身動きできない自分を実感して、自嘲するしかない。
それから数日後、大学の野球部の連中と休みを満喫するために遊び倒して帰宅後、すぐに家の電話が鳴った。
反射的に手を伸ばし、受話器から聞こえた声の主を把握した途端、全力の笑顔を浮かべ、声を張り上げた。
そして、隠しきれない涙声で語られた言葉を理解して、これまでの躊躇は何だったのかと思うほど素早く、
山本は押し入れからスーツケースを取り出して最小限の荷物を詰め、最低限の言葉を父親に残して、気付けば空港に向かっていた。
「十代目、山本を連れて来ました。失礼します」
ノックの後、返って来た声を聞き届け、獄寺が扉を開けた。
獄寺に案内された部屋の中は、外見を裏切らないようなシャンデリアや絵画、家具の置かれた立派なもので。
豪奢な机の上に広げられた書類から顔を上げ、こちらを見据えた立派な青年の姿はまるで洋画のワンシーンのよう。
若年だと周囲からどれだけ言われようと、大空のリングを身につけ、仲間を愛する大きな包容力が備わった綱吉は、
親友の山本から見ても落ち着き、自信と誇りに満ちた、立派なボスの顔だった。
「・・・・・山本!!」
「ツナ、久しぶり。なんか見ちがえたのな」
「ハハ、ありがとう。山本も元気そうでよかった」
「オレは昔から元気が取り柄だからな。ツナは・・・やっぱりお疲れだな」
久しぶりに会う親友から漂うオーラはとても穏やかで、重厚で、今は少しだけ疲労により色褪せて見えた。
先代からの信望も厚く、確かな実力と発言で十代目ファミリーを導いてくれる家庭教師不在の今、それは仕方がないだろう。
そんな気持ちで労うように肩を抱くと、まるで昔に戻ったように困ったような優しい笑みを浮かべ、綱吉は近くのソファーに座るように促した。
電話を貰った時はそれまで張っていた気が緩んだのか、少し取り乱していた彼だが、どうやら持ち直したらしい。
ボスとしての威厳を保ち、部下を不安にさせないことこそ大事だと奮闘していることをさっき車の中で獄寺から聞いた。
正面に座った綱吉の顔色は芳しくない。今よりも酷かったということは、きっと無理をしていたに違いない。
れまで、綱吉とは何度も電話をしたし、獄寺からは年に数回メールが送られ、笹川兄や雲雀とは並盛町で会う機会もあった。
絶縁していたわけではもちろんない。皆、口に出さず静かに山本の答えを待ち続けてくれていたのを知っている。
優しい人たちだ。世界中から恐れられているマフィアだなんて思えないほど、温かい、仲間。
ただ、山本を仲間に加え、戦い方を教えてくれた赤ん坊からの便りは何もなく、山本はそれがとても寂しかった。
日本での暮らしは中学の頃とは打って変わってあまりにも穏やかで、それを退屈だと感じるほど。
それでもこの平穏を望みながら、自らの運命と立ち向かうことを決めた綱吉の決意を考えると見方は変わる。
学校で退屈な授業を受け、グラウンドを駆け回り、放課後はコンビニで買い食いする毎日が贅沢であることを、山本はすでに理解していた。
だからこそ、一人残ったこの日本の地で何をすべきかも。
頭を使って考えるのは苦手だというのに、小さな家庭教師に与えられた課題は難解で山本はずっと機を逃してきたのだが、
その赤ん坊にかけられたアルコバレーノの呪いを無効化する方法が見つかったことを聞いた時は心から喜んだ。
最強の名を持つ彼らに失敗なんて考えられず、上手くいくのだと信じて疑わなかった自分は昔と変わっていないほど、
甘く考えていたと実感したのは、綱吉から会いに来てくれ、と乞われた日の夜だった。
「スミマセン、十代目。そろそろ夜の定例会議のお時間です」
「うわぁ、本当だ。ごめんね、山本。この続きは明日でもいい?」
「もちろん!オレは小僧の見舞いに行って来る。暫らく世話になるぜ」
「獄寺君が案内してくれるから。気にせずゆっくりしてね」
「サンキューな。ツナ、また明日!」
立ち上がった綱吉を見送るように獄寺と並んでそう笑いかけると、少し目を見開いた綱吉が、また明日、と微笑して部屋を後にした。
まるで待ち続けた花の蕾が咲いたような、それは眩しい笑みだった。思わず獄寺に抱きつきたくなる衝動を抑えながら執務室を出て、
山本はこちらまで嬉しくなるような優しい笑みを浮かべてくれた綱吉に感謝しながら、前を歩く獄寺の背を追いかけた。
ボンゴレが誇る医療班はボンゴレ本部の屋敷の裏手にある別の屋敷内にあるらしい。
職業柄、常に怪我人や病人を抱え、医学に関する研究を一手に引き受けるその場所は外観は豪華な館だが、中に入ると病院そのもの。
真っ白な壁に囲まれた無機質な廊下を、白衣を着た人間が慌ただしく行き来していた。
迷いのない獄寺の後に続いて階段を上り最上階に着くと、そこは先程までの喧騒が何一つ届かない隔離された空間で、
限られた数しかないドアの前を通り抜け、一番右側の部屋に辿り着くと、獄寺は「じゃあな」とだけ残して去って行った。
その背中はボスである綱吉の右腕としての自負と自信に満ち溢れ、相変わらず華奢な身体であるにも関わらず、逞しい。
二十歳を過ぎたといっても所詮親元にいる学生でしかない山本にとって、五年ぶりに会った綱吉と獄寺の姿はとても凛々しく、遠く感じる。
ぎゅっと拳を握った。彼らが並盛町を離れてから、何度も考えては打ち消して、変わらない自分に落ち込んで、今に至る。
あまりにも情けない。この部屋の向こうに眠る彼の、叱咤する厳しくもやはり優しい言葉が無性に聞きたいと思う。
そんなのはただの甘えだと、また、怒られてしまうかもしれないけれど。
「・・・・・小僧、オレだ。入るぜ」
反応がないのは分かっているが、声をかけずにはいられない。
山本が覚えている彼は漆黒のスーツに身を包み、その小さな体で綱吉に銃をぶっ放す、赤ん坊で。
登下校時や何気ない日常の中、肩に乗せて、まるで秘密を共有し合うような声でよく会話をしていた。
会いたい、と思う。その姿ではなくなったというのなら、なおさら。
十四歳の折、唐突に飛ばされた十年後の未来で聞いたアルコバレーノの秘密。
山本にとって『面白い赤ん坊』が、それだけでなくなった、あの地下十階の出来事。
まるで昨日のことのように思い出せる。
そんな過去に思いを馳せながら、山本は目の前の扉にそっと手を掛け、歩き出した。
2へ
2011/01/11
|