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球場にいるすべての人の視線が己に注がれているのを感じながら。
ジャリ、と足元にある赤茶色の砂をその場で均した。
手に馴染んだボールを握りしめて。
地に根を張るように強く大地を踏みしめた。
キャッチャーミットだけをじっと見つめて。
力を込め、大きく振りかぶった。
一瞬の空白。
その後にやって来たのは。
拍手。歓声。フラッシュの嵐。
球場を埋め尽くした人々の息遣いが聞こえる。
先程までのピンチを脱出し、味方のベンチが湧き立った。
勝負はこれからだ。
賞賛の声と共に溢れるたくさんの笑顔。
それが、酷く眩しくて。
マウンドに立ったまま。
山本はひとり、野球帽を深く被り直した。
『お前は来るな』
感情の全てを置き去りにしたような、無機質な声。
『迷いのある奴はすぐ死ぬぞ』
心の奥を見透かすような、鋭い視線。
『お前は邪魔だ、山本』
不遜な態度で目の前に立ち、そう言ったのは最強の赤ん坊。
小さな体に不釣り合いな漆黒のスーツ。
幼く丸いその手には冷たい愛銃。
傍に寄ることは許さないと、すべてを拒絶されているようで。
その背が見えなくなるまで、山本はじっと動くことが出来なかった。
野球の試合。
プロとして、エースとして、投手である山本はマウンドに登る。
本気の勝負。
相手を捻じ伏せる、そんな瞬間が1番興奮する。
負けたくない。
ただ、それだけを胸に厳しい練習に明け暮れた。
山本にとってマウンドは絶対的な聖域。
マウンドに立ってボールを投げる。
そうすることで、自分が「生きている」のだと強く実感していた。
野球が好きだ。
昔から変わらないこの気持ち。
己の力を信じて勝負をする。
野球選手にとってはまさに戦場。
此処だけが、遺された自分の唯一の居場所。
(・・・唯一・・・)
そうだ。
中学生の時に出会った、面白おかしいマフィア達。
優しくて、温かくて、何処か哀しい、そんな人たち。
自分の全てを賭けてでも守りたいと初めて思った仲間。
『お前は要らねぇ』
数年経った今でも最後に聞いた声は脳内に焼きついたまま。
この身体を蝕み、刻み続けていた。
(オレは、弱い)
周囲に憚ることなく山本を甘やかし続けた、最強の赤ん坊。
心地よい優しさを疑うことなく受け入れるのみだった昔の自分。
これは罰だ。
リボーンは知っていたのだろう。
負けず嫌いな性格ゆえに、何の疑問も持たずに刀を握ったことを。
その刃の重みも、殺人剣が示す言葉の意味も。
何も考えずに過ごしてきた。
ツナのためと云いながら、どんなに刀を振るっても。
誰も傷つけたくない。
本当は誰にも傷ついて欲しくない。
皆が笑っていられれば、それ以上は何も望むことなんてない。
そんな凡そマフィマの世界に似つかわしくない願いを持って。
戦っていたことを知られてしまった。
リボーンを筆頭に中学からの仲間は皆、この日本を離れて異国の地にいる。
山本は高校卒業後、プロ野球球団と契約を結んで野球選手となった。
数年でエースの座を不動のものとし、すでにメジャーからのオファーが来るまでに力をつけた。
多少の怪我や挫折はあったが順風満帆な生活。
心地よい緊張と疲労が繰り広げるそんな日々はただ、穏やかだった。
此処には仲間が傷つき、絶望に涙するなんて悲しい事は何もない。
聞き慣れた銃声も。嗅ぎ慣れた硝煙の香りも。雨のように降り注ぐ血も。
怪我をして冷たくなっていく人間も、いない。
逃げたのだ。
リボーンの優しい嘘を利用して。
彼は、マフィアという世界に対して僅かに脅えを見せた、脆弱なこの心を見抜いた。
だからわざと突き放してくれたのだろう。
置いていく。捨てていくというスタンスを見せて。
追いかけられない理由をくれた。
今、山本の世界は輝いている。
綱吉やリボーンが戦う本物の戦場はもっと・・・。
闇に染まって、暗く冷たい世界のはずなのに。
歩む道を違えてしまった。
それでも、目を瞑ればすぐに思い描くことが出来る。
血飛沫に染まった漆黒のスーツを着こなして。
息一つ乱さずに銃を放つ、孤独な殺し屋の背中を。
誰よりも山本を理解し、慈しんでくれた人。
離すことがないと信じていたこの手を、あえて自分から解いてくれた人。
我が儘で、意地悪で、優しさを捨てきれない、不器用な人。
もう逢うことはないだろう。
それでもこうして野球で活躍していれば、彼の耳にも入ると信じたい。
お前が見送ってくれたこのキラキラ輝く世界の中で。
思いっきり、生きているんだと。
本当は、夜が来るたび寂しくて、嫌でも独りだと実感してしまう。
この野球の戦場に物足りなさを感じることだってあるけれど。
もう、逃げ出したくなかった。
後悔なんて。リボーンの手を離してしまったことだけで十分だ。
(さぁ、今日も三振とって勝ってやるのな)
三振を取るために投げ続けるこの手は硬く、肉刺が潰れてごつごつしている。
それでも。
血に染まることなくボールを握り続ける自分の手は。
裏切り者に相応しいほど青白くて、美しいとさえ思う。
『俺は好きだぞ。山本の手はすごく温ったけぇからな』
そう言って笑った赤ん坊はもう、いない。
グローブの中で転がしていたボールを握って。
今日も山本は己の戦場であるマウンドへと登る。
Fin.
2009/03/25
改 2009/09/12
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