10:跳ねる






久しぶりに降り立ったイタリアの空は分厚い雲に覆われて、今にも雨が落ちて来そうだった。
空港の広い敷地内から出た瞬間、湿気を感じてリボーンは少し眉を顰める。
それでもすぐに表情を戻して視線を彷徨わせると、車のボンネットに腰かけた長身の男と目が合った。
真っ黒なスーツに身を包んだ男は大きな目を少し細めて嬉しそうにその右手を上げた。


「よっ!小僧、お疲れー」


イタリア人にとっては異国の言葉。行き交う人々が物珍しげに黒髪の青年を見ていた。
だが、そうして紡がれた日本語はリボーンにはすでに馴染みのものだったから。
青年の傍まで歩いていくと、どうしても笑みが浮かんだ。


「出迎えは下っ端の仕事だろう?守護者である山本がする必要はねぇと思うぞ」

「はは、そう言うなって。守護者でもオレは新参者なんだから、どんな仕事でも任されたら引き受けるぜ」



そう言うとまるで優秀な部下であるように表情を消し、後部座席のドアを開けてこちらが乗るのを待っていた。
彼らしくない表情だと、リボーンはふと思う。それがやけに面白くない。
だから、敢えて彼の頭を叩き、勝手に助手席に乗り込んでやった。
早く発進させろとばかりに睨みつけてやる。すると慌てながら運転席に戻り、エンジンをかける姿に満足する。
ゆっくりと動き出した車はすぐに高速道路に入り、街中へとスピードを上げていった。



「でかくなっても、小僧は本っ当に小僧だよなー」


変わんねぇのな、と苦笑する山本。

運転のために正面を向いたままだから横顔しか見えないが、リボーンはその横顔をじっと見つめた。
スーツを着ていても着慣れていないことが丸分かりなほど、山本にその格好は似合っていない。
当たり前だ。つい一月前まで、山本は平和な日本の大学生だったのだから。
今も見かけは学生にしか見えない。
まるで何も知らないように、素朴な雰囲気を醸し出す、それが山本武。

山本こそ変わらない。
出会った頃の少年のまま、純粋な心と大きな包容力を持って彼はイタリアに来た。
赤ん坊から呪いが解けて一気に成長した己に対し、変わらないと告げる青年。
この姿で再会した時は目を丸くして驚いていたはずなのに、変わらないというのは山本だけだ。

だが、それでこそ山本なのだとリボーンの裡が叫ぶ。
少しの歓喜と、少しの恐怖が入り混じった衝動。


それは、生まれて最もリボーンのココロが跳ね上がった瞬間だった。

長い年月を動き続ける己の心臓。
何を言われても、何をしても一定のリズムを崩さなかったのに。
山本は人か、化け物か、自分でも境界が分からないこの己を狂わせる唯一の存在。





昔から興味は尽きなかった。
それでも自戒して、高校卒業後は大学で野球をするという彼の判断に任せて日本に置いて来たというのに。
大学卒業と同時に渡伊した山本は当たり前のようにボンゴレへの加入を希望した。
若きドン・ボンゴレとなった綱吉がそれを受け入れ、今は徐々に仕事を覚えさせている最中だ。


『山本、本当にいいの?俺は確かに嬉しいけど・・・・山本にはマフィアなんか似合わないって思うんだ』

『野球は大学で満足できた。野球以外にやりたいことを考えた時、ツナ達の傍に来ることしかなかった』


獄寺に連れられて初めてボンゴレ本部にある綱吉の執務室に来た時。
苦渋の決断をするような綱吉の最後の問いかけに対し、彼は笑ってそう言った。
リボーンは壁に凭れてそんなやり取りを見守っていたのだが、湧き上がる暗い喜びを押し隠すのに必死だった。
彼が持つ雰囲気や話し方、頬笑みはなぜこんなにも優しく、温かいのだろう。
まるで花が咲いたように明るく、穏やかな感情を生み出していくのは才能の一つだとリボーンは知っている。


それがリボーン自身には眩しすぎるということも、知っている。
優秀なこの頭脳は冷静に、事実だけを導き出して、リボーンに警告を鳴らすけれど。
それでも、望んでしまうのだ。
欲することを止められないと、山本と再会して気付いた。


『山本』

『ん?どうした、小僧?』

『お前はイタリア語も剣術もまだ未熟だからな。俺が徹底的に扱いて、お前を立派なマフィアにしてやる』

『ちょっ、何言ってんだよ、リボーン!!』

『うるせぇぞ、ダメツナ。いい加減ひとりで仕事しやがれ。俺は今この瞬間から山本の家庭教師だ』

『何、勝手な事言ってんだ!そ、そんなの、』

『・・・んー、小僧の迷惑じゃなければオレは嬉しいのな。なぁツナ、小僧に頼んじゃ駄目かな?』



反対する綱吉の言葉を遮ったのは予想外な事に山本自身だった。
うまく隠しているが、イタリアでの生活に不安があるのだろう。
そして、確かに寄せられる山本からの信頼を感じて気分が良かった。

まぁ、例え綱吉が反対してもこの愛銃で黙らせようと思っていたリボーンは構えた銃を下ろした。
山本は赤ん坊の姿をした自分を甘やかす天才で、子供扱いを許したのも彼だけだった。
まさかまた、突然言い出したこの我が儘を許されるなんて。
彼の中では本当にまだ、己は赤ん坊のままなのだと可笑しくなる。

身の内を駆け回るリボーンの欲望を山本が知った時、どうなるのだろう。
どんな手を使っても手に入れたいと思う。


『ダメツナ、これは決定だ。・・・・・・・山本、覚悟しろよ?』


2人の視線を受けながらニヤリと笑う。
綱吉は諦めたように溜め息をつき、山本は楽しみだというのに手を叩いて喜んだ。

どれだけこの世界の闇を覚悟しているのか、まだ判断はできないが。
山本の笑みは澄んだ空のように、芽吹いた若葉のように、清廉としていて綺麗だった。

それを見るだけで、狂いを知らないはずのリボーンの心が跳ねる。
離れていた4年間にも、アルコバレーノの呪いが解けたことによる変化にも、マフィアの世界に飛び込むことにも。
脅えを見せない青年が恋しいと、このココロが叫んでいる。

覚悟しろと、宣戦布告は済ませたから。
遠慮なく口説かせて貰おう。








「出張大変だっただろ、ゆっくり休んでくれよな!おかえり、小僧」


空港からボンゴレ本部近くに借りた部屋に着くなり山本がそう言った。
家庭教師と生徒の関係になってから強引に一緒に住んでいる。
山本はいまだにリボーンの胸の内を知らない。
少しは大人になったのかと思いきや、その天然ぶりは相変わらずで。
それに疲弊することはあるけれど、共に過ごす時間を大いに気に入っている。

焦るなと言い聞かせて、逸るココロを落ち着かせる日々。

それでも。



(・・・・悪くねぇ)


無理やりに、壊すことは簡単だ。

それでも、強引に事を運んで欲しいモノを手にできなかったら意味がない。

だから。



「ただいま、山本」



まずは家族の真似事で、山本の内側へと侵食を試みる。

すべては跳ねるココロのため。


山本武のココロを揺さぶるその瞬間まで。



あと、もう少し。



Fin.
2009/06/21

改 2009/09/12

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