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ニューヨークという街に住むようになって早3年。
最初の印象は光の渦に呑み込まれた世界。
溢れかえる車。思わず見上げてしまう高層群。様々な格好をした人々。
秩序を忘れてしまったかのような自由さは国民性か。
何はともあれ渡米したばかりの頃は環境に慣れるだけで必死だった。
それが今ではこうして自分で車のハンドルを握り、人ごみを抜けるまでになったのだから上出来だろう。
すでに深夜に近いこの時間でも街は多くの人で賑わっている。
サングラスをかけたまま運転することにも漸く慣れた。
夜中まで人の目を気にするなどしたくはないのだが、用心するに越したことはないと諭されたからだ。
「アイツ、ちゃんと飯食ってかなー」
コーヒーは主食だ、と豪語する男。
いまだに彼の正確な年齢を確認した事はないけれど、明らかに山本よりも年上で。
そしてメジャーリーガーとして活躍する自分より有名で、世界から認められたスーパースター。
ハリウッドが生みだした世界最強の俳優である、と認められた存在。
ふと車内から街中を見ると、彼がイメージキャラクターとして起用された香水の大きな看板が目に飛び込んできた。
不敵な笑みを浮かべて一本のバラを此方に差し出す、その眼光が印象的だ。
どこか気品さえ漂わす雰囲気は独特で、女性からの支持だけでなく男性からも認められるイイ男の象徴。
『お前、ヤマモトタケシだろ?』
初めての出会いはチームメイト達と贔屓にしているスポーツパブ。
声をかけてきた彼はボルサリーノを目深に被り、イエローのシャツに真っ黒なスーツ姿だった。
仲間と機嫌良く酒を飲み交わし、やがて家庭を持つ者が次々に帰宅したため一人静かに飲んでいた時のこと。
初対面の人間だったが母国語である日本語で話しかけられたため、何の警戒も無くその問いに頷いた。
馴染みの店の中では握手やサインを求められたことが何度もある。
今回もそれかな、と思って笑顔で応じようとする前に彼は隣に腰かけて酒を注文した。
薄暗い照明の下、まるで精気を感じさせない彫刻のような横顔に思わず視線を奪われた。
これまでの己の人生でここまで端整な顔立ちを持った人間に出会ったことがない。
店員からグラスを受け取った男と、ふいにぶつかった視線。
それから。
あまりにも奇妙で、不思議な男との交流が始まったのである。
「あれ、リボーン?明後日までロスで撮影って言ってなかったか?」
「思ったより早く終わったんで速攻帰って来た。会いたかったぞ、タケシ」
「はは、大体2か月ぶりかー。お疲れさん」
「ちゃんと良い子で待ってたか?浮気なんてしてみろ、撃ち殺すぞ」
「・・・・・リボーンが言うと冗談に聞こえねぇのな」
ニヤリ、と笑んだ表情は自信に充ち溢れているくせに。
毎度お馴染みの台詞に苦笑するしかなかった。
自身が所属する球団のホームスタジアムから車で20分ほど離れたマンションに山本は住んでいる。
球団が提供してくれた部屋に越して来ただけなのだが、広さも高さも贅沢だと少々困っていた。
それでも、リボーンと付き合い始めてから世の中にはもっと贅を極めた凄い世界があることを教えられた。
世界中に別荘を持つ彼のニューヨークの家は指折りの高級マンションで、山本の倍以上の部屋数を有している。
互いの部屋を行き来する間柄ではあるが、リボーンの方が顔や名前が売れているため行動は慎重でなければならない。
セキュリティで言えばリボーンのマンションの方が完璧だが、互いの逢引はマークが少ない山本の部屋の方が多かった。
久しぶりに会った男はリビングにあるソファーに寝転び、いかにも難しそうな分厚い本を読んでいた。
スーツは脱ぎ捨てられ、いつもよりラフな格好で寛いでいるのが見てとれる。
まさか帰って来ているとは思わなかったので、思わず声をかけてしまった。
「タケシ、挨拶はどうした?」
「あっ、悪ぃ。ただいま、リボーン。それと、おかえり!」
普段の彼はあまり表情を変えることがないけれど、声は明らかに不機嫌で。
その理由に思い至り笑顔で駆け寄ると、わざわざ立ち上がって迎えてくれる。
今夜、試合の後に控室でシャワーを浴びたので汗臭くないよな、と思いながら大人しく抱擁を受けた。
言葉と共に、頬にキスを。
器用に操る日本語の中でも、『ただいま』と『おかえり』はリボーンのお気に入り。
同様に返してくれた彼の挨拶に山本も精一杯それに応えた。
生粋の日本人、それもメジャーに挑戦するまで海外旅行さえしたことがなかったため、
いまだに照れが生じるのは許してほしい。
こんな姿を江戸っ子気質の父親が見れば腰を抜かすかもしれない、と頭の片隅で思う。
「今日の試合、ホームラン打ったらしいな。ニュースで見たぞ」
「はは、逆転さよならのあの場面で打てたからなー。最高に気持ち良かったぜ」
「さすが、俺のタケシだな。だが、その台詞はベッドの中で聞かせろ」
「もう、お前が言うと無駄にエロいのなっ・・・・牛乳、飲んで来る!!」
思わず、すぐ横のキッチンに駆け込んだ。
完全に遊ばれているのが分かる。
こんな言葉遊びが苦手だと知っているはずなのに、リボーンはいつも喜んで仕掛けてくるのだ。
それに我慢できず逃げ出すのはいつものこと。
男としてどうなのだ、と思うものの、リボーンを前にすると駄目なのだ。
バッターボックスでもこんなに緊張しない。
山本は早くなった鼓動を鎮めるため冷蔵庫から牛乳を取り出した。
世間の目を欺きながら、こうして逢瀬を重ねる関係になってもうすぐ1年。
「おい、タケシ」
「ん?怖い顔してどーした?」
「・・・・・目、瞑れ」
「? 了解」
キッチンからリビングに戻るとソファーに座るように促され、言われるがまま目を瞑る。
首筋に気配を感じた。
思わずビクリ、と肩が揺れる。
その様子に男が笑いながら開けてもいいぞ、という声が聞こえ、大人しくそれに従うと。
首から掛けられたチェーン。
その先にはシンプルな丸い石。小さく彫られた鳥の模様。
アクセサリーには全く興味はないが、リボーンと付き合いだしてから色々教えられた。
だからこそ、この石はサファイアだと山本の目に映る。
「・・・・リボーン?」
「蒼燕。お前をイメージして俺がデザインしたんだ」
こんな高価なもの貰えない、とか。
勿体ないことすんな、とか。
何で男の俺にそこまで、とか。
次々に浮かぶ言葉を飲み込んだ。
本当に変な男だと思う。
あまり何かに執着する人じゃないから、物には興味がないのだと初めの頃から言っていた。
お互いメディアに顔を知られていることもあり、2人の関係が世間に知られることに警戒して、
後々、邪魔になる『モノ』を渡し合うことを禁じたのも目の前の男で。
それは、いつか別離が来ても仕方無いと思っている男の心を映し出しているような気がして、山本は何も言えなかった。
花束を貰えば嬉しかったし、世界各国の食べ物を仕事先からでも送ってくれる優しさに胸が温かくなった。
それでも不安だったのだ。
気付けば、心が囚われていたから。
性別とか、互いの名声とか、何も気にならないくらい。
男の存在が大きくなり過ぎて、恐ろしかった。
彼は世界中からその存在を認められ、愛されている。
テレビのブラウン管を通して見る男はひどく遠い。
彼の真っ直ぐな背中が好きなのに、大き過ぎて追いつけないのだと。
焦燥に身を焦がしていたことを彼は知らないだろうと思っていた。
「お前は俺のモノなんだと、叫びたくて仕方ねぇ」
これはその代わりだ、と。
男が笑う。
(・・・・あぁ、クソっ、なんで)
彼はこんなにも自分の心を満たしてくれるのだろう。
テレビを通して見る姿でもなく、看板に映った姿でもなく。
本物の彼が、此処にいる。
野球をすること以外、何も持っていない普通の自分に。
「忘れんじゃねぇぞ。世界のどこに居ても、誰に愛の台詞を吐こうとも、俺の全てはお前のモノだ」
「・・・・頼むから、もう黙ってくれ」
赤くなる顔を手で覆ったものの、はみ出した耳はきっと真っ赤に違いない。
今なら顔から火が噴ける、と働かない頭でそう思った。
お前がくれるというのなら、拒めるはずがない。
こんなにも激しい感情を惜しげも無く与えてくれる貴方だから。
何年経ってもきっと忘れない。
目を瞑った、あの瞬間を。
与えてくれたすべてのモノを。
これからも2人、誰にも言えない関係を紡ぎながら。
それでも、確かな軌跡を残して生きていくのだと。
山本の首にかかったサファイアの輝きだけが、それを見守り続けたのだった。
Fin.
2009/08/19
改 2009/09/12
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