|
それは、ひどい嵐の夜だった。
「ハハ、すごい風だな」
「当たり前だ。台風が来てんだぞ」
居間のテレビからは台風の進路予想図が映し出されていた。
上陸は確実で、この並盛町も直撃はしないが暴風域くらいには入りそうである。
本日、親戚の家を訪ねて不在である剛が作ってくれた夕飯のカレーを食べながら、
窓の外に意識を向けていた義兄の顔を見ると、いつもの二割増しくらいの笑顔を浮かべていた。
そんな義兄の表情とは違い、リボーンの方は敢えて無表情を決め込んでいる。
「リボーン、お前はまだ雷が怖いのか?」
心配そうに少しだけ寄せられる眉根。しかし目は笑ったままだ。
その軽い脳内では幼い頃の自分たちの姿を思い出しているのだろう。
「馬鹿言うな、タケシ。俺には怖いものなんて無ぇぞ」
「うん、うん。そーなのなっ」
分かってるぜ、とスプーンを振り回す義兄に溜息が洩れる。
年齢は一つしか変わらない。
それでも子供っぽい仕草が抜けない彼は高校2年生。
進学先の高校は違うが、昔から町内のスーパースターであるために噂はいつでも耳に入る。
昔から野球が上手く、頼り甲斐があり、人懐っこい性格で人気者。
そんな彼の弟として育ったリボーンであったが、性格はもちろん名前も容姿も全く違う。
互いに初めて顔を合わせたのはまだ記憶も朧気な頃。
義兄となる山本武は5歳。リボーンはまだ4歳だった。
後に義父となる山本剛とリボーンの両親は非常に懇意な関係で。
事故によって亡くなった彼らの代わりにまだ幼少だった自分を引き取ってくれた。
残る意識の奥の奥。微かに映し出される異国の風景。
両親は共にイタリア人だった。剛からは古い友人を通して知り合ったと聞いている。
養子縁組となり、日本で過ごした日々。隣には常に義兄である山本武が居た。
「こんなに雨降ったら明日は部活休みだな。リボーン、お前の予定は?」
「はぁ?日曜なんだぞ、デートに決まってる。しかも3人な」
「相変わらずモテるよなー。そろそろ本命決めねぇと刺されるぞ?」
「フン、そんなヘマする訳ないだろ。というか、笑いながら言うんじゃねぇ」
どこにでもある兄弟の会話。
血は繋がっていない。互いの接点など提出された書面上でしか確認できない。
それでも2人は見えない何かで、確かに繋がっていた。
当たり前のように寄り添って、手を繋いでいた。
忙しい剛との時間を埋めるように、同じ時間を共有した。
負けん気が強いのはお互い様。
だからこそ、弱音や本音を吐きだせる唯一の関係だった。
世間ではそれを絆と呼ぶのかも知れない。
だが、今ではそれさえも煩わしいものでしかないとリボーンは思う。
(お前は夢にも思っていないだろうな。まさかこの俺が、)
成長するにつれて、義兄の世界は野球一色になっていった。
もちろん己も誘われたが興味は持てず、今ではたまに観戦するぐらい。
彼が野球にのめり込んでいく横で、リボーン自身いつか好きなことが見つかるだろうと軽い気持ちでいた。
年々、歳を重ねていく中で広がっていく世界。世間には魅力的な人や物が充ち溢れていた。
それなのに。
ただ唯一、執着といえる感情が働くモノ。
それは。
(・・・・タケシだけだ)
欲しいものは昔から変わらない。
誰から頼られてもいつも笑って、周囲を安心させる気配りとは裏腹に。
天然故に人を驚かせるところも、甘え下手で案外脆い心の奥も。
全部、自分のモノだと信じていた。
そんな馬鹿なことが現実であるはずがないというのに。
最も愚かなのは、そんな幻想に縋りついてしまいそうなこの自分。
(お前を抱きてぇなんて言ったら、タケシはなんて言うだろうな)
熱でも出たのか、と笑い飛ばすだろうか。
それとも、面白くない冗談だと眉を顰めるか。
本当の兄弟であったなら、こんな感情を持つことはなかったのだろうか。
無関係なただの他人であったなら、無理やり壁を壊すという強硬手段に出られただろうか。
(・・・くそっ、)
もしも、なんて非科学的なことを考えるのは趣味じゃない。
そんな事は分かっている。それでも、こんなにも近い距離で、無防備でいられたら。
思考はどんどん落ちていく。昏い、昏い、己の心の内側に。
「おーい、リボーン。どーした?やっぱり雷嫌なのか?」
食卓を迂回して、義兄が隣にやって来た。
相変わらず冗談なのか天然なのか分からない奴だ。
まだ出会ったばかりの幼い頃。
雷が鳴る中、剛が出前を届けに行って2人きりになった時。
最初に抱きついてきたのは義兄の方からだった。
少し震える体で、『だいじょーぶだからなっ』と笑って見せた表情。
怖いくせに、義弟となった己を守ろうとする不器用な姿に。
胸がギュッと痛くなったのを覚えている。
それは温もりを知った歓喜からか、芽生えた庇護欲からか。
結局は解らなかったけれど。
それから、リボーンは雷が鳴ると怖い振りをして
義兄の温もりを求めるようになった。
そして何より抱き締めてくれる彼に、自分の体温を伝えられたらいい、と。
ただそれだけを願って、抱き締めてくれる身体に腕を伸ばしていた。
「おーい、起きてるか?」
こうして近くで見つめ合いながら、そんなことを彼は言う。
あまりにも無邪気に笑うから。
あまりにも警戒しないその様子に、憎しみに似たドス黒い感情に支配されていく。
「・・・てる。起きてるに、決まってるだろ」
「ん、そっか。それでも何かボーっとしてたからさ」
「腹いっぱいなんだ。先に風呂入って来る」
「おう、了解。じゃあオレが皿洗っておくな」
立ち上がって居間を出ると、叩きつける様な雨音が聞こえてくる。
そして、強風によって家じゅうの窓が悲鳴を上げていた。
ガタガタガタ、と。
まるでこの世の終焉を示すかのように。
風呂場へと続く廊下の突き当たり。
そこには山本家の配電盤がある。
ガタリ、と窓ガラスが一層大きく軋んだ。
ふと視線をやるとガラスに映った白い顔が、一瞬、ニタリと嗤ったような気がした。
無意識に唇を動かしたのかも知れない。
それでも己の欲に埋もれた醜い男の顔をしていた。
(・・・・上等だ)
明日の朝日など望まない。己には眩しすぎると遥か昔から思っていた。
心地良いと思うのは、こんな嵐の日のような暗い闇の渦。
それこそが自分には相応しい。
ゆっくりと、静かに右手を持ち上げる。
義兄と違って肉刺もなく、日焼けもしていない指を伸ばして。
バチン、と躊躇いなくスイッチを落とした。
「うわぁ、なん、だ?」
微かに聞こえていた水音が止まる。
そう言えば洗い物をすると言っていた。
「・・・・台風のせいで停電したみてぇだな。タケシ、大丈夫か?」
ヒューズを落としたせいで辺りが真っ暗になったにも関わらず、淀みない足取りで台所を目指す。
夜目が利く己を褒めたい気分だった。今度こそ意識して持ち上がる唇。
己よりも背が高く、野球で鍛えられた筋肉を持つ同性の義兄を。
これから犯そうとしている自分が。
何よりもそれを恐れていたはずなのに、嵐という非日常のせいで簡単に崩壊した己が愚かで。
可笑しくて、可笑しくて、仕方が無かった。
きっと、朝日を見ることは生涯ないだろう。
暗闇で動けない義兄の腕を掴み、床に押し倒した瞬間。
頭を過ぎったのは、そんな予感だけだった。
Fin.
2009/10/09
|