すっかり夜も更けた頃、山本は静かな住宅街を走っていた。

幼い頃から通い慣れた道。
擦れ違う人影はなく、まるでこの世には自分しか存在しないと錯覚するほど。
今晩もいつもと同じように家を出て、ランニングの要領で走り出すと十五分ほどで到着した。
少し荒くなった息を整えるため、麓の石段の前でふと、空を仰ぎ見る。
すると。
雲ひとつない空、美しい金色の月が浮かんでいた。
満開時期を終えた桜が散り始める頃、春の夜空に輝く、それは見事な満月で。




(神さま、どうか)



強く、心の中で問いかける。決して声には出さないまま。
山本はいつも通り目の前の長い石段を登り終え、赤い鳥居の下を潜った。
砂利道を突き進むと、すぐに境内が見えてくる。いつもの大きな敷石で立ち止まり、御神体が祀ってある社を眺めた。
この時刻、社の扉は閉まっているが、鐘や賽銭箱はそのままだ。だから、今夜も。




(もう少し。少しだけでいい。野球がしたい。だから頼む)




祈りながら頭を垂れ、何度も、何度も、同じ場所を往復して礼拝する。
幼い頃、父親から習ったお百度参り。
言葉として出さない代わりに強く目を瞑って、並盛神社で山本は祈りを捧げ続けた。











祈りは彼方、月は君の傍らで 1









渾身の力で投げた球がキャッチャーミットに収まる音が響き渡る。
そのすぐ後、ゲームセットのサイレンと観客の歓声が球場全体を包み込んだ。



「やったぜ!これで甲子園まであと一つ」
「ああ、信じらんねぇ。俺たちがここまで勝ち上がるなんて!」
「バーカ、山本が投げてるんだ!俺たちが負けるわけねぇだろ」
「そりゃそうか。俺らのエースは化け物だからな!!」


すげぇ、すげぇ、と駆け寄ってきたチームメイト達に背中を叩かれる。
手荒な称賛に苦笑しつつ、それでも準決勝を勝ち抜いたことで山本も笑顔のまま。
整列に行くぞ!と主将から声がかかるまで、仲間たちと今日の勝利を喜んだ。

マウンドから降りて整列に向かう途中、ふと山本は顔を上げる。
少し陽が傾き始め、帰り支度を整えた客が引き揚げ始めていた。
帽子の柄に視界を邪魔されながら、それでも視線を彷徨わせると。



(・・・・・・アっ、)


試合終了直後から未だ勝利に沸いている三塁側。
前で騒ぐ応援団から離れた最上段のベンチに座り、ジッと青年がこちらを見つめていた。
七月に入ってからは真夏のような最高気温を叩きだしているにも関わらず、漆黒のスーツに身を包み、
同じく真っ黒のボルサリーノを被った長身の彼は、真昼の野球場においてかなりミスマッチだった。
普通なら奇異の目で注目を浴びそうな格好だというのに、周囲の人間は誰も気にしていない。
その理由を頭で理解しているが、そんな暑っ苦しい姿は罰ゲーム以外の何物でもないだろう。


「おい、山本!疲れてるかもしんねーけど、整列!」


チームメイトに声をかけられ、絡んでいた視線を外すと、慌てて審判の下へと駆け寄った。












試合後、学校に戻ってからミーティングが行われて帰宅する頃には陽が沈んでいた。
忙しそうに店に立つ父に結果を報告すると、その場に居合わせたお客さんからも拍手がわき上がり、
照れ臭くなったが、それでも素直に嬉しかった。特に、普段は厳しい父の自慢げな笑顔が。
上機嫌のまま夕飯と風呂を済ませて自室に戻ると、リボーンが二ヤっと笑いながら迎えてくれた。



「山本、相変わらず絶好調の投球だったな」
「はは、サンキューな。今日も無事に勝てたのはリボーンのおかげだぜ」
「何言ってやがる。あんな並の野球部を勝利に導いているのは全部お前の力だぞ」


球場内で見た時と同じ格好で窓枠に座った彼は、初夏の気候など無視したように涼しげだ。
少しだけ違うのは出し入れが可能だという大きな漆黒の翼や尻尾だろう。
昼間は上手く仕舞われていたが、今は文字通り羽根を伸ばして機嫌が良さそうだ。
山本は風呂上がりで熱い身体に疲弊しつつ、扇風機の電源を入れて正面で風を受ける。
水分をふき取るためにタオルで髪の毛を被うと、見計らったようなタイミングでリボーンにそれを奪われた。


「おっ、いつも悪いなー」
「ちょうど暇だったからな。お前はちょっと大雑把すぎだぞ」


叱責というよりも呆れた風な声音に思わず苦笑が漏れた。
多少濡れようと放っておいてもいいのだが、その手を振り解く気にはなれない。
几帳面だからとか、優しい気遣いではなく、彼の場合は本当に暇潰しの一環だろう。
大きな手で撫でられる感触はくすぐったいけれど、最近は少し、気に入っていた。
いつの間にかこんな風に穏やかな時間を一緒に過ごすことが当たり前になっていて。
数ヶ月前から始まったこの奇妙な共同生活を、山本は確かに楽しんでいた。



「はは、いくら暇でも髪の毛乾かしてくれるなんて変なヤツなのな」


今の状況だけでなく、昼間の光景を思い出して考えてみる。
真夏のような気温の中、暑さも感じず、人の目には映らない存在。
それどころか人間と違って体温もないのでリボーンの身体はいつだって冷たい。
山本の目には確かに映り、喋ることも触ることもできるのに。
他の人間達はリボーンに気付かない。彼は現実と夢幻を隔てる闇の生き物。


それでも。



「ありがとな、オレの肩を生き返らせてくれて」


壊れるのを待つだけだったポンコツの肩を。
二度とマウンドには立てないと宣言された肩を。
リボーンは人知を超えた力で甦らせてくれた。
その名を語るに相応しい『復活』。



「絶対に甲子園で優勝する。だからあとひと月、頼むのな」

「・・・・あぁ、任せろ。最初に言った通り、依頼は完璧にこなすのが俺の流儀だぞ」



全く揺るぐことなく告げられた強い言葉はリボーンによく似合っていた。
弧を描くように浮かべられた笑みは、絶対的な自信で満ち溢れている。
まるで地獄を彷徨うような絶望から救い出してくれた、あの日の晩と同じように。




リボーンと出会ったのは約三ヶ月。夜の並盛神社でのことだった。



2へ


2011/03/20


トップへ
戻る




Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!