初めて野球の試合に出たのは小学校三年生の時、身体は小さいがバッティングと足の速さを買われた。
ピッチャーを目指したのは四年生になってからだ。
その一年後にはレギュラーとして、エースとして、チームを引っ張るようになった。
純粋に、ただ野球が好きだった。
家にいる時も、学校で勉強している時も、友達と遊んでいる時も。
ずっと、ずーっと、野球をしていたい、と本気で考えてしまうくらい野球に夢中な日々。

だが、小学六年生になった時、そんな世界が足元から崩れていく感覚を味わった。



『今ちゃんとリハビリすれば、また絶対に野球ができるようになるよ』



小学生には辛い現実だったが、それでも歯を食いしばって医師の言葉を信じた。
壊れてしまった肩を治す戦いは長かったが、中学三年になった頃には何の支障も無く動くようになり。
医師の許可を得て、高校に入った時、再びマウンドに立つため野球部への入部を決めた。


取り戻した筈だったのだ。その時は嬉しくて、嬉しくて、喜びに満ちていた。
これからは好きな時、好きなだけ、好きな野球ができると信じた。
それはただの願望で愚かな幻でしかなかったことを思い知ったのは、それから二年後のことだった。






祈りは彼方、月は君の傍らで 2









高校三年生になり、十八歳の誕生日を目前に控えた四月のある夜のこと。
すでに腕時計の針は日付を超えて、真夜中といってもいい時間帯。
普通、こんな時間に未成年がいればすぐに補導されるか、またはその場で説教されてしまうだろう。
だから誰かがやって来てもすぐに隠れられるよう、山本はいつでも周囲に気を配っていた。
油断など、微塵もなかったはず。


だが、しかし。








「こんな夜中にガキが一人。誘拐されても知らねぇぞ」


まるで空気が震えたように耳に流れ込んできた低い声に身体が固まった。
視線だけを彷徨わせて神社の境内を探る。灯りがなくても月の光のお蔭で夜目でも十分だ。
声が聞こえてきた方角には神社を守るように深く生い茂った林が広がっており、
その中でも一際大きな木の下、寄りかかるように背の高い男がこちらの方を眺めていた。
距離にして約十メートル離れているところだろうか。


「・・・・ハハ、家が近所だし平気ッスよ」


警察に通報されるのは嫌だな、と当たり障りのない言葉を返してみたけれど。
まさかこんな近くに人がいるのに気付けなかったなんて、と少し落ち込む。


「別に、警察に突き出そうなんて思ってねぇから安心しろ」



表情までは分からないのに、感じ取ったのはニヤリと笑う男の気配。
何処の誰だか知らないが説教をされるわけではないらしい。
すると彼はどうして此処にいるのだろう。こんな夜中、町の片隅にある神社までやって来るなんて。


「あのっ、オレはもう少しかかるから先にお参りどうぞ」


待たせるのも気が引けると思い、尋ねてみたのだが。
男は返事をすることなく、大人しくこちらに歩いてきた。近づくにつれて全身がよく見えてくる。
帽子の淵のせいで表情は読めないが全身真っ黒なスーツで、夜に溶け込みそうな恰好だった。
彼が普通のサラリーマンだと名乗ったら冗談に違いない。はっきりいって想像がつかないから。
どんどん距離が縮まるにつれて、身体が押しつぶされるのではないかと思うほど感じる圧力。
尋常ではないプレッシャーに呼吸をするのを忘れてしまった山本は、視線を逸らさないだけで精一杯だった。



「・・・・いい表情だな」



ようやくハッキリと見えた顔には何かを含んだような意地悪そうな笑みを湛えていた。
真正面にやって来た青年は山本より頭一つ分、背が高くて見上げる形になる。


「えーっと、あの、お参りしなくてもいいんスか?」
「ああ、興味ねぇんだ。俺はお前に会いに来たんだぞ」


知り合いだっただろうかと記憶を探ってみたが、誰も該当しない。
というよりも、こんな威圧感がある知り合いなど絶対にいないはずだ。
高校生という身分の交友関係は学校か野球関係、町内会など大分限られている。
例外は父の店である『竹寿司』の客だ。常連でないと正直、分かる自信は無かった。



「んー、悪ぃけど・・・アンタが誰か分からないのな」


最初から自白しておいた方がマシだろう。分からないのだから仕方ない。
失礼だろうな、と苦笑するしかない山本は申し訳なくて眉を下げる。
しかし、次に続いて聞こえた言葉と衝撃的な光景に身体が硬直した。



「初対面だから当たり前だぞ。だが、俺はいつも鳥居の上からお前を見ていた」
「・・・・・・は?」
「律儀に毎晩毎晩、こんな無能で怠惰な神に祈るなんて酔狂だと呆れてたんだ」
「・・・・・・・えっ?」
「俺なら確実にお前の願いを叶えてやるぞ。山本、俺と契約しねぇか?」
「・・・・・・・アンタ、何者なんだ?」



いつの間にか、目の前に立つ男の背中に大きな翼が生えていた。
鳥よりも優雅に広げられたそれは禍々しい闇色にも関わらず、ひどく神秘的で。
それはまるで幼い頃に読んだ絵本に描かれる天使の羽根によく似ている。
だが、月の光に照らされて見える羽根は彼が纏う服装と同じように全て漆黒。
釘づけになった視線を逸らせないまま、山本は唾を飲み込んだ。



「俺はお前ら人間が悪魔と呼ぶ存在。怖くなったか?」


まるでこの状況を楽しんでいると言わんばかりの声音。
羽根にばかり目が奪われていたが、もう一度ゆっくりとその顔を眺めてみる。
まるで氷のように冷めた瞳。ゾッとするほど整った顔立ち。やけに赤い唇。
息が出来ないほど威圧感がある姿は、人間でないと言われた方が納得するというものだ。

だが、彼が何者であるかなど今の山本には意味を無さない。
そんなものよりも重要なのは。
何よりも確認したいことはたった一つだけ。



「・・・怖いのはさっきの言葉が嘘だった時なのな。なぁ」


声が、震える。


「なぁ、アンタなら本当にオレの願いを叶えてくれるのか?」


やけにうるさい心臓を悟られないよう慎重に視線を合わせる。
今自分がどんな顔をしているか分からないが。
もしかしたら、縋るような眼をしたのかもしれない。
彼は得物を目の前にした獣のように喉を鳴らし、まるで唄うように口を開いた。



「それなりの代価を頂くが依頼は完璧にこなすのが俺の流儀だ。約束してやるぞ」


夜の闇に似合いの澄みきった声で告げられたその言葉を理解した瞬間。
山本の胸に沸き起こった感情は、爆発的な歓喜。
絶望の淵に差し込んだ一筋の光なんて表現はきっとこの漆黒の男に不似合いだろうが、
嘆くことも、逃げ出すこともできなかった山本にとって、その言葉はまさに奇跡そのものだった。




「頼む。オレの願いを叶えてくれるなら何でもするのな」


縋らせてくれるというのなら。
もう神に願い続ける気力は残っていない。だって何も変わらなかった。
それならば、こうして差し出された手を掴むことを、誰が責められるというのか。
欲しかったものが、今、目の前にあるのだから。




「契約成立だ、山本武」



月の光を背負い、朗々と告げる声は甘く、優しく、溶けるように。



「俺の名はリボーン。お前に最高の夢を見せてやるぞ」



宣言された後、奇跡は確かに存在することを山本は知った。




3へ

2011/03/20



トップへ
戻る




PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store

無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル