自ら望んで堕ちた先は、奈落の底よりも、更に深い闇の世界。
救いなど在りえない人間の欲望と陰謀が渦巻く場所。
信じるか、裏切るか、殺すか、殺されるか、生きるか、死ぬか。

どんな仕事であろうとも、判断を誤ったことは一度も無い。
命を懸けるからこそ勝つ自信があった。もちろん生まれ持った資質への自負も。
それでも世界最強の称号を手にするまでに培った実力は並大抵の努力で手にしたものではなく、極限の状態でも生きる意思を持ち、
気が狂うような長い時間を戦い続けることによって、人間の限界を超えた強大な力と経験を手にしたのは確かだった。



幾度も生死の狭間を彷徨い、幾千という死に直面してきたからこそ。



そんな自分は一体どんな死に際を迎えるのかと。
ふと、考えるようになったのはいつの頃からだっただろうか。
刻んでいた鼓動を止め、体温を失い、朽ちていく様を容易く想像するようになった。
まぁ、現実としては、そんな陳腐な想像に捕らわれることなど決してなかったが。




「呪いに縛られ続ける身だからこそ、憧れるのかもしれねぇな」




カメラを持つリボーンの前方には、相も変わらず見事に咲く桜の花が満開を迎えていた。







桜花に抱かれて眠る








ボンゴレ9代目の命を受けて来日し、中学生の綱吉達が立派な10代目ファミリーとなるように家庭教師を務めた。
当時、ボンゴレ門外顧問の任にあった家光の故郷だという並盛町は目を見張るほど、ただただ平和で。
些か退屈しそうだ、というのが最初の印象だった。
だが、任された綱吉は以前の教え子であるディーノ以来のダメっぷり。
死ぬ気弾を撃つことで垣間見たボスの資質。それを伸ばすため、リボーンがしなければならないことは山のようにあった。

綱吉が持つ包容力や思いやる心はそのままに、ボスに相応しい『護る力』を与え、使いこなせるように特訓した。
仲間も一から探して鍛え上げ、ファミリーとしての絆を深めるためにも強敵との戦いは避けられず、
彼らがまだまだ子供でしかないことを知りながら、あえて傷付くような乱戦を続けさせた。
それから日本で春夏秋冬を何度も過ごし、ついに綱吉がボンゴレ10代目ボスとしてイタリア行きを覚悟した。
生徒の成長は素直に嬉しく、誇らしいと思う程度にはリボーン自身も家庭教師の仕事を愛している。
だが、本業は世界最強の殺し屋であり、常に命を狙われ、他人から恐怖と憎悪を向けられる生き方が本来のもの。
いつだって貪欲に、どんな時も強引に、欲しいものは手にしてきた。金も、女も、名誉も、人の命さえ。

数えきれない日常の中で、そんな自分の根底を覆すような出会いがあった。
当初は野球にのみ心血を注ぐしか知らなかった少年の非凡な才能を見出し、戦闘の基礎を教えた。
度胸の良さも、負けん気の強さも、一級品。誰よりも真っ直ぐで、目に見えるものを守ろうとする姿は子供にしてはどこか大人びており、
それ故に目を離せなくなった。死にたい訳ではないだろうに、いつでも先陣を切って敵に向かっていく。
野球を捨てて剣を握ると決めてから、人の命と真正面から向き合うことが自分の誠意だ、と。
時雨蒼燕流の後継者にして、ボンゴレ10代目雨の守護者である山本は常々言っていた。




山本は強い男だった。それは剣の腕や勝負勘、判断力など戦闘員として優秀というだけではなく、
誰にも負けたくないという負けず嫌いな性格や護るためならどんな事でも背負う覚悟を強く持っていたからだ。
しかし、それは間違いだと気付いたのはいつだったか。

彼はいつだって純粋に勝負を楽しむ。勝敗にはこだわり、うるさいくせに、自分の生死には無頓着で。
戦いの最中、他人を押しのけてでも生に縋りつき、命を長らえることに対する執着が薄い男だった。
いつだって笑顔を絶やさず、能天気に振舞うことで周囲に気を配り続ける姿と。
抜き身の剣を掲げ、その刃の如く冷たい笑みを浮かべて敵と対峙する剣士としての姿と。
まるで相反する山本の姿は野球部のスーパールーキーと期待され、クラスの人気者だったにも関わらず、
右腕を骨折したことで自暴自棄となり、親や友人、野球や夢、命さえ簡単に捨てようとした時と、実はあまり変わっていない。

それこそが山本の本質であることを見抜いている人間はほんの一握り。
多くの人は彼の気安い笑みと言葉に、安心と信頼を覚えるからこそ、それ以上踏み込めなくなる。
本人は気付いていないだけで、変わったのは彼を取り巻く環境だけだ。
ファミリーとして固い絆を持つ仲間を、大切なものを守るために戦う意味を与えることで。
リボーンは『マフィアごっこ』と言い張り続けた山本の退路を断った。



ただ強く惹かれたのは、他人に甘く聡明なくせに、自分のことには不器用で、潔過ぎる姿を見守り続けたせいだろうか。










「・・・・・まだ散る前か。ぎりぎり間に合ったな」



眼前には、風に揺れては花びらが舞う堂々とした桜の木。
かなり老朽化が目立つようになったあさり道場の軒先に鞄を下したリボーンは無意識に、そう呟いた。
見事に咲き誇る薄紅色を愛でるのは実に二十数年ぶり。
綱吉の家庭教師をしていた頃は毎年花見を行っていたが、彼らの高校卒業と同時に日本を離れて以来だ。
出会った頃は中学生だった彼らの多くが四十という年齢を目前にしている。
こうして目の前でリボーンが眺めている桜は山本が特に好んだ木だ。
あさり道場の縁側からいつでも見ることができるから贅沢だろ、と少し自慢げに笑っていたあの頃。
今、この瞬間もボンゴレ専属の医務室で病魔に侵され、耐える男の愛する花である。
風が吹けば今にも燃え尽きるような彼が口にした願いを叶えるために、リボーンは懐かしきこの地を訪れた。


持参した高性能の一眼レフカメラを構え、連射機能を用いて何度も何度も写真を撮る。
角度を調整し、構図を変えて、病に伏す山本が昔のように喜ぶ美しい桜の様をどうしても写したかった。



生きろ、と言えない代わりに。・・・・・・・あぁ、言えるはずがない。
ボンゴレの業に巻き込んで、仲間のために、生き残るために、その汚れなき手に剣を握らせた。
こんな人生になったのは小僧のせいだ、と罵り、恨んでくれればいいのだ。それで山本に生きる意思が芽生えるのなら。
だが、山本は口が裂けてもそんな恨み事を零すような男ではない。

人間は誰だって自分が可愛いものだ。後悔や絶望など、知らない方が良いに決まっている。
他者を跳ね除けてでも生き残ろうとするのが生物としての本能。
にも関わらず、山本はとっくの昔に己の死を覚悟してしまっている。
彼の中では、自分のことを最優先事項に持ってくるなんて考えつきもしない。
山本はそう言う奴だ。そんなバカな男なのだ。


今の医学では病気の治る可能性はゼロだとしても、戦場で独り死ぬよりラッキーだよな、なんて笑うな。
いくらみっともなくとも足掻いてみせろ。怖くて仕方が無いんだと我を忘れて、死にたくないと叫んでみろ。
山本の病室を訪れるたびに、零れ出そうになるそんな言葉を、何度も何度も飲みこんだ。
消毒液の匂いに満ちる病室で、管に繋がれて毎日を過ごす山本が話すのは、仲間との思い出や家族のこと。
本当に損な性格だ。
だが、そのバカさ加減が、どうしようもなくリボーンの心を捉えて離さなかった。






本当はずっと愛していた。
まるで新緑の若葉を連想させる瑞々しさと陽だまりのように穏やかな温もり。
何でもこなす抜群の運動神経と生まれながらの殺し屋を確信させる才能。
刀を構える凛とした立ち姿はひどく禁欲的で、劣情を大いに刺激された。
矛盾を抱えながら、それでも譲れないものを護るために歩むと決めた山本だからこそ。


その手を掴むことができなかった。











「やぁ、赤ん坊。心あらずなのに油断も隙もないなんて流石だね」
「・・・ヒバリか。相変わらず並盛にいるんだな、たまにはボンゴレ本部に顔出せよ。ツナが心配してるぞ」
「フン、さっき緊急通信が入って話したよ。そんなことは一言も言ってなかったけどね」
「・・・・・緊急通信だと?」






ひら、ひら、ひら、と桜が散って視界を遮る。
数メートル離れて佇む雲雀の表情が霞んで見えるほどだった。








「残念だけどその写真は無駄だ。山本武は死んだよ」


家族に見守られて嬉しそうに、安らかに逝ったそうだよ。






抑揚なく告げる雲雀の声が耳に届いた瞬間。


薄紅色の桜が。
まるで、別れを告げるように。



一陣の風と共に、舞いあがった。








「・・・・・そうか、」





続く言葉は何も浮かばず、リボーンは静かにボルサリーノを外して、空を仰いだ。
双眸に映る花びら。時間をかけて蕾を付け、花を咲かせて、穏やかに散っていく。
死期を悟ることで、山本は自身の人生に満足してしまっていた。
仲間と出会ったことを、家族を愛した時間を、自分らしく生きた日々を。




呆れるくらい頑固で、馬鹿みたいに優しくて、哀しいほど愛しい男だった。











「赤ん坊、君はこれからどうするんだい?」




すでに四十を迎えたはずの雲雀恭哉だが、常に体を鍛えて腕を磨き、戦闘に身を置いているためか。
その姿は自信と誇りに満ち溢れた壮年な風貌へと変化し、貫録は昔の比ではないほど。
群れることを心底嫌う様子は変わらないが、覇王への道を歩み続ける孤高の男は決して揺るがない。
圧倒的なカリスマ性。綱吉さえ持ち得ない、雲雀だけの矜持がそれを可能にしていた。

『小僧とヒバリって仲良いよなぁ、何か似てるからか?』

そんな風に、ことある事に言ってくる山本はいつもどこか楽しそうだった。
雲雀の中にある狂気と孤独と誇りに、ある種の共感を抱いていたのは事実である。
だが、それは間違いだった。
たったひとりの人間に想いを告げることもできず、こうして囚われたままの自分とは違い、何物にも縛られない雲雀は。
彼が死に場所と見極めた戦場の中、何も残すことなく、後悔も未練も何も持たず、最期を迎えることができるだろう。
リボーン自身、そうで在りたいと遥か昔から、最強の殺し屋として名を馳せる前からずっと考えていたのに。現在は。








「戦闘でどんな怪我を負おうとも、任務で過酷な状況になろうとも、俺は必ずこの桜を見上げにやって来る」





そして、願わくば。
山本が愛したこの桜に抱かれて。







「俺はまだまだやることがある。だが、そうだな・・・次の世代を見届けたなら、俺は桜の木の下で眠りてぇぞ」






そうすれば、ほんの僅かでも愛しき人に近付けるのではないか、と。
独り善がりの願望でしかないのは分かり切っているが、この想いは捨てられそうにない。







(俺はずっと愛していたぞ、山本)





もう、それを伝えることも、証明することもできないから。
その代わりに、毎年、桜の咲く頃に、お前が愛した桜を愛でに来よう。
自己満足でしかないのは百も承知で、約束させてくれ。
アルコバレーノの呪いを受け入れてから、あんなにも己の死を想像し、待ち侘びていたというのに。
皮肉にも、最期はこうで在りたいという答えを見つけてしまえば、生きる力が湧いてくる。
生きねばならぬ、と声なき声が聞こえた気がした。









「赤ん坊も案外、不器用だったんだね」




戦闘中は戦慄を与えるほど好戦的になるくせに、普段は氷のように表情一つ動かさない雲雀は。
切れ長の目を細め、形良い唇を釣り上げて笑ってみせると、足音を立てることなく静かにこの場を去っていった。
その笑みは早くも逝ってしまった彼への鎮魂か、それとも最強の殺し屋を名乗るに相応しくない願いを口にした己への失望か。
だが、今日のことを雲雀がこの先、口にすることは一生ないだろうという確信がリボーンにはあった。







「・・・・フっ、馬鹿は俺の方だったってことだな」





自嘲気味に呟いた筈の声は、自分でも驚くほど愛に満ちた響きに溢れていて。
暫らくの間、リボーンは桜吹雪に包まれながら、彼の人をただ、想った。





Fin.

2011/04/24




トップへ
戻る




PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store

無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル