0.2秒前──
「お断りします。今、俺、特定の女と付き合う気はないから」 一瞬の躊躇も見せずに、目の前の女に言い放つ。 ここで少しでも考えるそぶりを見せたなら、相手に無駄な期待をさせてしまうからだ。 踵を返しその場を後にしようとした時、声が追いかけてきた。 「待って、火村くん。あたしじゃ駄目な理由を聞かせて」 又かよ── 不思議なことに俺に告白してくる女は「ごめんなさい」「はい、そうですか」で済まない相手が多い。 特定の女と付き合う気は無いというのは、俺としては立派な理由だと思うのだが、女側からみると、それは理由にはなっていないらしい。 質問のパターンは、今言われたようなものもあれば、女と付き合わない理由を聞かせろというもの、更にはどうしたら付き合って貰えるのか等々、答えようもないし、答える気もないものばかりだ。 その度に俺は、出来れば口にしたくない台詞を言わなくてはならない。 「しつこい女は嫌いだからだ」 振り返りもせずにそれだけ言って、俺は今度こそ、その場を立ち去った。 試行錯誤の末、このキツイひと言が、一番面倒なやりとりをせずに会話を終えられることを、俺は学習していた。 もちろん、後に彼女の友人間で悪し様にののしられることは覚悟の上だ。 とはいえ、こういうやりとりは、決して楽しいものではない。 振られるのと同様、振る方だって辛い。 特殊な人間を除き、誰だって人を傷つけたい筈がない。 俺に関わらないでくれ── 切にそう思う。 逃げているとでもなんとでも好きなように言えばいい。 俺の生き方は、俺が決める── ★ ★ ★ 「遅かったな」「ああ、ヤボ用」 カレーの乗ったトレイをテーブルに置き、俺はアリスの隣に腰掛けた。 目の前には、最近、俺の心の呼称がスナック菓子コンビから鈴木と田中にランクアップした、例のうるさい2人組が座っている。 そのヤボ用のせいで昼飯に出遅れた俺は、ここ以外に座れそうなテーブルを見つけることができなかった。 「火村、ええとこに来た。今みんなで話しとったんやけど、火村は、女何人知っとる? 因みにおれらの平均は1.5人やったんやけど、これで平均上げられそうやわ」 「そりゃまた少ねぇな。幼稚園の先生とかお母さんとかは勘定に入れちゃ駄目なのか?」 鈴木の質問を解っていてわざとはぐらかす。 いつだってそんな報告をする義務はないが、特に今はそういう話はしたくない。 だいたい平均を上げたところで、お前の知ってる女の数が増えるわけじゃねぇだろうが。 「とぼけんなや。男がカマトトぶったって可愛くないわ。減るもんやなし、さっさと教えろや。それともなにか? 多すぎて咄嗟には数えきれんとか?」 「カマトトねぇ〜。アリス、カマトトの語源って知ってるか?」 再びはぐらかす。 「知っとる。蒲鉾ってトトで出来てるの? って、分かりきってることをとぼけてと聞くことやろ」 「えっ? 蒲鉾ってトドで出来とんの?」 このやりとりに田中が食いついてきた。 話題転換成功。 しかし、田中、トドな訳がないだろう。 再びスナック菓子コンビに格下げするぞ。 「ト・ト。魚のことや。赤ちゃん言葉の一種やな。トットとも言う」 「相変わらず有栖川は変なこと、よう知っとんな〜」 感心したように田中が呟く。 「別に変なことやない、辞書にも載っとる」 「引いたんかいっ!」 鈴木のナイスつっこみ。 どうやらアリスは辞書を引いたらしいが、はて、俺は何処でこの語源を仕入れたのだろう。 少なくても辞書を引いた覚えはない。 「偶然見つけたんや。あ〜あ、この分じゃカマトトの本来の意味解って使うてる奴って、殆ど居ないんとちゃうか?」 アリスが、言い訳をしつつ俺に話を振ってくる。 せこいごまかし方だ。 「語源を知らなくたって使えるからな。別に問題ないだろうよ」 「ああっ〜」 急に、鈴木が大きな声を上げる。 「危うくごまかされるところやった。まだ、火村の経験値聞いとらん。早う、教えて」 ちっ、思い出しやがったか。 しかも、経験値って……なんだよそりゃ。 「教えない」 「なんで? 教えたかて減るもんやないやろ。なあ、なあってば〜」 「………」 うるさい── 頼むから黙れ鈴木。 「黙っとらんと、答えてや。なんで答えられんのや。なんで? 理由あんのか?」 駄目だ──キレる。 「鈴木、しつこいでっ! そんなん聞いたかて、お前になんの得もないんやから、いい加減にしとけや。本人が答えたない言うとるんやからそれでいいやろっ」 俺の堪忍袋の緒が切れる、多分0.2秒前。 アリスが声を荒げて、鈴木を叱責した。 「………でも」 「でも、やないっ。これ以上言うなら、3人の平均の内訳掲示板に貼り出したるで。俺も恥ずかしいけど、一番恥ずかしいのは鈴木、お前やろっ」 「なっ、なんちゅうこと言い出すんや」 「そんなん嫌やろ。誰だって知られたくないことや、言いたくないことはある。それでいいやろ。解ったらさっさと逃げた方がいいで。この上火村にも怒られたいか?」 「いえっ、遠慮します」 そそくさと鈴木が席を立ち、田中がそれに続く。 アリスはあんなことを言っていたが、実際の俺はすっかり怒りのタイミングを外してしまっている。 「災難やったな」 「ああ」 上の空で返答しながら、俺は考えていた。 この0.2秒前のタイミングは何も今始まったことではない。 今回を含め、少なくても5回は経験していることだ。 解っている、解ってはいるんだ。 アリスは単に人が嫌がることはしないし、他人がするのも嫌なのだ。 ただ、それだけのこと── 「俺も大概、性格悪かったけどな。鈴木が掲示板に張り出されたなかった数字っていくつか解る?」 「さあ? 0か?」 「いや、0.5」 「なんで正数以外の数値が出るんだよ」 「失敗したんやと」 「それを数えるか」 「21歳で0はせつないんやろ。せやから、鈴木のこと許したってな」 「ああ」 常に相手の気持ちを考えるアリスの優しい言葉。 駄目だ── つい先刻、自分の周りの人間を排除しようと思ったにも関わらず、この優しい空気を醸し出す人物に、俺は既にすっかりはまってしまっているじゃねぇか。 今はそう── この気持ちが、恋という名のものに変わる、きっと0.2秒前──。 2003.01.15
火村に告ってくる女が一筋縄ではいかないのは、自分に自信のある女が多いからってことで。 |