No.1の愛読者

 リビングで電話が鳴った。
 私はその音に驚いて、びくりと身を震わせた。締切地獄──それが地獄になってしまったのは自業自得という噂もあるが──からやっと抜けだし、思う存分惰眠を貪ったあとの電話。
 眠りすぎで──着替えてコーヒーを2杯も飲み終えたというのに──未だ霞がかかったような頭の隅でパトランプのような赤い光がチカチカ光る。
 これだけという程長くもないが、それなりの年数作家稼業を続けていれば、2日と4時間程度の遅れは出版社側も締切破りの勘定に入れないことが解ってくるが、締切破りは締切破り。
 もしものことがあった場合、その僅かな遅れが出版社側ばかりではなく、私の首をも締め付けるのだ。
 そう、例えばトリックに致命的な──作品全体を書き直さなくてはならないか、全く別の作品を改めて書くしなないような──不備があった場合……
 ほっと一息ついた後に、自分にかかってくる電話。そいつは、私が印刷会社の営業であった時代から良い知らせをもたらしてくれた例しがない。
 ──居留守でも使ったろか。
 一瞬そんな思いが思考の端をかすめるが、そんなことをしたところで、悪いことからは逃れられないばかりか、もしかしての良いことを逃す羽目に陥るかもしれないので、私は受話器を取り上げることにした。
『あっ、もしもし〜、有栖川さんのお宅ですかぁ?』
 受話器の向こうから、なんとも緊張感のない口調の声が聞こえてくる。
「はい、そうですが……どちら様?」
 こんな声にも口調にも聞き覚えがないと首を傾げつつも、私は応えた。
 これは、アレ──先輩やら同級生やらを語ったセールス──かも知れないと、私が気を引き締めると、それが伝わった訳でもないのだろうが、相手は口調を一転させた。
『お宅がそんなことを知る必要はない』
「はっ?」
 通話相手の意図を掴みきれずに、私が思わずあげてしまった不審な声を気にする様子もなく、向こうは言葉を続けた。
『良く聞け、お宅の大親友の大学助教授の身柄を預かった。無事に帰して欲しければ、こちらの言う通りにしろ』
 言葉遣いと共に、低くて偉そうな感じの悪いものになった声があり得ないことを告げる。私は動揺を押し殺して口を開いた。
「私は火村の保護者ではありません。もし、あなたの言っていることが本当だとしても、私に電話をかけてくるのは筋違いではありませんか」
『筋違いかどうかはこちらが決めることだ。もし、こちらが彼の身柄を拘束していることを疑うのならば、この電話を切った後で彼に連絡を取ってみろ。自宅・携帯・大学──思いつく限りの全てのところに。決して彼をつかまえることは出来ない筈だ』
 ──こいつ、本気か?
 私は息を飲んだ。いや、こいつが本気というよりも、火村が身柄が拘束されているのは本当なのだろうか。
 私と火村が親しいことを知るものは多くもないが、少なくもない。急遽、火村に入った海外出張かなにかに便乗した悪質ないたずらだとも考えられる。
 私は電話の録音ボタンを押すと同時に、誘拐事件に付き物のお約束の台詞を唇に乗せた。
「それだけでは、そちらが火村の身柄を拘束している証拠にはならない。もし、本当ならば火村の声を聞かせろ」
『そうくると思った。だが、その要求は飲めない。犯罪学者と推理作家のコンビがこんな時の為に、変な合い言葉や暗号でも作っている可能性があるからな』
「そんなものはない」
『あってもなくても同じ事だ。いいか、一度しか言わない。今すぐ、ノートパソコンを持って、メープルホテルに向かえ。そこのフロントに自分の名を告げて、こちらが預けてあるメモを受け取り、予約されている部屋に入れ。そうすればこちらが友人の身柄をこちらが押さえている証拠を見せる。もちろん、警察に知らせたら人質の命はない。言っておくが、くれぐれも早まったことはするなよ。警察に連絡が入ったらこちらにはすぐ解る。意味は解るな』
 ──つまり、警察内部に情報提供者が居るということか……
 私は唇を噛んだ。
 メープルホテルは、以前火村のフィールドワークに同行した時に訪れた場所だ。私がこの場所を訪れたことがあるのを知っているのは、その事件の関係者と大阪府警内部の人間だけである。
「……解った」
 私の返事を聞くと同時に、電話の向こう側でガチャリと受話器を置く音がする。
 盗聴防止の為か、有線電話を使用しているらしい──それが解ったところで、犯人の特定にはおよそ役には立たないだろうが。
 受話器を置いた私は、今度は携帯を取り上げて、メモリから火村の携帯番号を呼び出したが、当然のように電源は切られていた。
 舌打ちをひとつして、今度は自宅の番号を呼び出し発信する──5回までコールした時、電話がつながり、思わず「火村かっ!」と呼びかけた私の耳に聞こえてきたのは「ただいま留守にしております」という留守電のメッセージ。
 ──火村、君、どこにおるん?
 私は終話ボタンを乱暴に押すと、足下にあったゴミ箱を蹴飛ばした。使用済みのメモ用紙と共に、この間やってきた時に火村が放り込んだらしいキャメルのパッケージが転がり出てくるのを見て私は我に返った。
 ──落ち着け、有栖川有栖。腐っても推理作家、誘拐…かもしれない事件程度で動揺するな。
 深呼吸をひとつして、なるべく冷静になるよう努め、今後、自分が取るべき行動を考える。
 大阪府警が駄目ならば、京都府警に連絡を入れるというのはどうだろう──やはり、厳しいか。
 いくら火村の住所が京都にあるとはいえ、私のマンションもメープルホテルも所在は大阪。本当に誘拐なのかが確認できていない現段階において、大阪府警に許可を取らずに京都府警がこちらに乗り込んでこられるとは思いがたい。
 ──行くしかないか。
 警察に連絡を入れるのは、火村が誘拐されたと確認してからでも遅くはない。
 そう決心した私は、ノートパソコンを肩掛けバッグの中に放り込むと、寝癖のついた頭もそのままに、ジャケットを引っかけ、マンションを飛び出した。

*   *   *

 事実は小説よりも奇なりとはいうけれど。
 メープルホテルに出向いた私を待ちかまえていたのは、事実だけれど小説そのものの展開だった。
 言われた通りにフロントでメモを受け取り、部屋に入った私は、それに書かれてあるとおりベッドの裏側にガムテープで貼り付けられていた封筒を手に入れ、中身をあらためた。
 中に入っていたのは、裏側にちょっと特殊な書体で彼のイニシャルが刻まれている、間違うことなき火村の腕時計。それを見た瞬間、私は目の前がくらくらするのを感じた。
 だが、それはあくまでもめまい程度の代物で、私が本気で貧血を起こしそうになったのは、同封されていた火村解放の条件を読んだ時だ。
 あまりにもあり得ないその要求に、私は腰を抜かしてベッドに倒れ込んだ。
 どこの世界に、自分の身にこんなことが降りかかると想像できる推理作家がいるものか。
 もちろん、私も想像していなかった。
 同封されていた便せん──というかコピー用紙──に、ありふれたゴシック体で印字されていた内容はこうだ。

火村英生の身柄が我々の手中にあるのは、同封の腕時計で確認頂けた筈だ。
まず、最初に警告する。
その部屋に入った時点から、貴殿の行動は一挙手投足、我々の監視下にあると思って頂きたい。
我々は、貴殿の行動を制限する。

◎貴殿はその部屋のカーテンを閉めることは許されない。
◎貴殿は携帯電話の電源を切り、窓辺に置いた後、二度とそれに触れることは許されない。
◎貴殿は部屋に添え付けてある電話に手を触れることは許されない。
◎貴殿は筆記用具に手を触れることは許されない。

我々が、貴殿の上記行動を確認した場合、それは即、ご友人の死亡につながる。
このことを、くれぐれもご認識頂きたい。
重ねて記述する。
こちらが警察の関与を察知した場合、貴殿は生きたご友人と対面することは、二度とないであろう。
よって、仮に貴殿が以上の行動を制限されたままで、外部と連絡をとる方法を思いついたとしても、それを実行することは思いとどまることを我々はお勧めする。

そして、これが最も重要な事柄であるが、貴殿以外に彼の身代金とも呼ぶべき物を用意できる人間は存在しない。
だが、安心して頂きたい。
我々の要求は些細なものである。
貴殿の著作、星のゆくえシリーズ『白色巨星』で死んだとされる主人公、天文学者里見星太を生還させること──それだけだ。
だいの大人を誘拐してまでする要求がこれだけであるとが、我々の里見星太への愛の深さを貴殿に伝えてくれることを我々は確信する。
ついては、要求の具体的内容を示す。
持参したノートパソコンを使い、即刻、星のゆくえシリーズの執筆にかかれ。
但し、それはあくまでも『白色巨星』後の話で、里見星太が生還する話であり、今後も星のゆくえシリーズが続くと思わせる完結した小説でなくてはならない。

ここで、注意を喚起する。
《完結した小説でなくてはならない》という記述を見逃してはならない。
我々は、里見星太が生還を果たしていても、未完の作品では取引に応じない。また、ストーリーが最後まで出来ていても小説の形態がとられていないもの(シナリオ形式等)でも、同様である。
以上の点をクリアしていれば、執筆枚数・期間は問わないが、貴殿の執筆期間がご友人の拘束期間と比例することを忘れないで頂きたい。
貴殿の脱稿日がすなわちご友人が解放される日であることを。

さて、次に貴殿が脱稿した後の行動を記す。
貴殿が我々と連絡をとれるようになるのは、早くとも明後日の19時である。
仮にそれよりも早く脱稿したとしても、貴殿は明後日の18時45分以前にその部屋から出てはならない。
明後日の18時45分時点で脱稿出来ていたならば、後にその部屋に届けられる荷物の中に入っているフロッピーディスクに書き上げた作品を保存し、財布を持って部屋を出て1階に降りろ。
部屋を出てから2分以内にホテルの正面に貴殿の姿が現れなければ、取引は中止し、しつこく記述するが、ご友人の生還もあり得ない。
階下に降りる手段は、エレベーター・階段のどちらでもかまわないが、エレベーターが数階以内に止まっていない場合、階段を使った方が制限時間を守る上で安全である。

ホテルの外に出たら、向かいにあるインターネット喫茶に入れ。
会員証はフロッピーディスクディスクと同封されているから、それを使用すること。
席に着いたらブラウザを立ち上げ、最初に表示される画面のツーショットチャットに『ポール』というハンドルネームで入室し待機しろ。
我々は、『アニー』というハンドルネームで貴殿に接触する。
それ以外の者が貴殿の待機する部屋に入ろうとした場合、入室を拒否すること。
原稿の受け渡し方法等はその時に改めて指定する。

仮に、明後日の19時脱稿できなかった場合、自動的にリミットは翌日の同時刻に引き延ばされ、以後何日経過しても手順は同様である。
つまり、その日の19時を過ぎた時点で、翌日の18時45分まで貴殿の外出は禁止されるということである。

尚、この文書に記入されていないことで、貴殿が判断に迷うことがある場合、その行動は禁止されていると考えた方が無難であることを忠告しておく。

以上


 これを読み終えた時、私が呟いてしまった言葉は想像に難くないだろう。
「……ミザリーや」
 こんなことなら、メープルホテルに来る前に、警察に連絡をいれておけばよかったと思ったところで、時既に遅し。
 まったく、後悔先に立たずとはこういうことですよ、と説明するために作ったビデオのような展開だ。
 はぁ〜〜。
 と大きなため息をひとつついて、私は取りあえず携帯電話の電源を切った。

*   *   *

 『ミザリー』とはスティーブン・キングの小説で、ロブ・ライナー監督で映画化もされた作品だ。
 ベストセラー作家のポール・シェルダン──キングのライバルであるシドニー・シェルダンの名前をもじったものだろうという説が有力だ──が出版社に向かう途中に交通事故を起こし、大怪我をする。
 それを助けたのが、自称「あなたのNo.1の愛読者」の女性、アニーである。
 はじめのうち、彼女は憧れの作家の看病をできることに有頂天になっていたが、ポールの新刊を読み、主人公のミザリーが死ぬことを知って逆上する。
 怒り狂った彼女は、ポールが書き上げた新作(ミザリーシリーズではない)を自らの手で焼き捨てさせ、自分の為に『ミザリーの生還』を執筆することを強要する。
 とまあ、こう書いてしまえば、最近よくあるストーカーの話であるが、この話はその強要の仕方が半端ではない。映画でポールが治りかけた両足を再度潰されるシーンなども思わず目を覆いたくなるが、原作ときたら読み進めるのが苦痛になる程、凄惨な描写が続き、いつキレるか解らないアニーに主人公共々読者も怯えさせられるサイコホラーの傑作だ。
 パソコンを立ち上げてみたからといって、書こうと思っていなかった話がさくさくと書けるはずもなく、こんな風にミザリーのストーリーを振り返ってみて、私は気付いた。
 この話──今、私がまきこまれている事件──は何かおかしい。
 どこがと問われれば、全体的に。
 まず第一に、里見星太にそんなに熱狂的なファンがいるとは思いがたい。
 そもそも里見星太シリーズは、家元や政治家やデザイナーが殺され、普通に考えたらありえない偶然で主人公が事件に巻き込まれ、推理と言うよりは、直感と悪運の強さだけで真相にたどり着き、断崖絶壁で犯人に犯行の動機を語らせる──といった、2時間サスペンスドラマのパロディというべき話だ。
 もちろん、なぜかどんな時でも里見星太が関わる事件を担当する羽目になる山藤警部の「またお前か」という台詞もお約束の内。
 単行本一冊分くらいならば、こんなお遊びの短編を書くのも読むのも楽しいだろうが、こういうものは引き際が肝心だ。
 そんなことは、読者でも──というか、読者だからこそ解りそうなものである。
 そして第二に、私ではなく火村が拐かされた理由が色々な意味で解らない。
 誰かに執筆を強要したくて、しかもその手段に誘拐を選ぶなら、普通は書かせたい本人を拉致するものではないだろうか。
 犯人側にしてみれば、その方が手間も掛からず、それこそ拷問でもなんでもして、私に話を書かせることができるから、ずっと得である。
 いや、仮に大胆な発想をして、ミザリーのポール・シェルダンと違い、私があまりハンサムではないから、目の保養のできる火村を誘拐したのかもしれないと考えてみたにしても、あの友人が女性──こんなことを思う男性がいるとはあまり思いたくない──に拐かされるとは考えにくい。
 第三に、なぜ私に荷物を届ける必要があるのか。
 フロッピーと会員証程度ならば、火村の腕時計と同封するのが可能である──というより、するべきだ。
 やはり、おかしい──
 この事件には──自分で言うのも何ではあるが──愚鈍な私でさえ妙だと感じる不自然さが多すぎる。

*   *   *

 2時間後──
 私の指は順調にキーボードを叩いていた。
 犯人側には解る筈のないことだから、おかしなことにはカウントしなかったが、この事実こそミザリーの主人公ポールと私の決定的な違いである。
 ポールはシリーズを書き続けるのに嫌気がさしてミザリーを死なせたが、私はこのシリーズを書き続けるために、一度、里見星太が死んだことにしたのだ。
 里見星太というキャラクターに愛着はあったものの、そのまま長く続ければ、前述したように読者も飽きるだろうし、なんとっても推理作家としての沽券に関わる。
 だからこそ、最初から6回で終える契約だった雑誌連載の最終回で、主人公を断崖絶壁から犯人と共に海へとダイブさせた。
 そして、ホームズのパクリだと言われるのを百も承知で、彼には奇蹟の生還を果たしてもらい、いつも一緒に事件に巻き込まれるプラネタリウム勤務の女性、高梨亜由子の元に姿を現すという話をいずれ書く算段だった。
 この時になって、読者は初めて里見星太は本当の探偵であり、今まで悪運で解決したような事件の裏には、彼の類まれなる洞察力が関与していたことを知る。
 ええい、世の中の編集者、私に締切を守らせたければ、火村を誘拐するがいい。
 そうすれば、コーヒーもBGMもちょっとつまめるスナックもない上に、腑に落ちないことを山ほど抱えたままな、史上最悪に劣悪な執筆環境でも私の指は走るらしいぞ。
 などとやけくそになっていたら、部屋のチャイムが鳴って、脅迫状の中に記されていた荷物が届けられた。
 それと同時に、第三の謎──何故、別に荷物を送るのか──も解けた。
 その中には、まるで私の悪態を聞いていたかのように、インスタントコーヒーの瓶に紅茶のティーバッグ、スティックシュガーの袋・菓子類・パンとカップ麺が併せて15食分程詰め込まれていた。
 つまり、フロッピーディスクやインターネット喫茶の会員証はわざわざ別に送ったのではなく、これらを届ける必要があるからベッドの下に貼り付けた封筒に同封しなかっただけなのだ。
 考えてみれば最低でも丸々二日以上、ここに監禁されるのに、口に出来るのが水だけだというのは過酷すぎる。
 しかも、この食料の豊富さからみると、犯人側は私が二日後の17時までに話を書き上げられないと思っているらしい。
 この事実が、私の少ない闘争心に火を点けた。
 ──この話、何が何でも明後日の17時までにケリをつけてやるっ!

*   *   *

 二日後の18時45分──
 犯人が納得するかどうかは解らないが、私としてはなかなか良い出来だと自負する作品を、フロッピーディスクに保存して部屋を出た。
 犯人の指示どおり、ホテルの向かいのインターネット喫茶に入り、チャットルームにポールというハンドルネームで入室した。
 まだ、時間がちょっと早いおかげか、入室拒否しなくてはならないこともなく、犯人側が接触してくるのを待っていた時──緊急事態が発生した。
 大阪府警のハリキリボーイ森下くんが、店内をフラフラしているのを発見してしまったからだ。
 いつも現場で見かける通りアルマーニのスーツを身につけているところを見ると、非番ではなく勤務中か帰宅途中なのであろう。
 はっきり言って、ここで彼に見つかるのは──見つからなくても彼がこの場に居ることは大変マズい。
 一刻も早く出ていってくれ。間違ってもここでネットサーフを始めないでくれ。そして、私を見つけないでくれ。
 と、漠然とした何かに祈りを捧げ、身を小さく丸めた私だったが、所詮正体不明の何かに祈った程度では願いが叶ってくれる筈もない。
「あ、有栖川さん」
 森下が私の名を呼び近づいてくる声がする。
 ──どうしよう、どうしよう、どうしよう……
 頭を抱えて悩んだあげく、私は決心した。
 にこやかな笑みを浮かべて立ち上がり、森下くんに手を振ってみせる。
 そして、私のすぐ側までやってきた森下が口を開く直前。
 私は「森下くん、ごめんっ」と叫んで、彼をはり倒した。

*   *   *

「もう〜、勘弁して下さいよ。僕、只の殴られ損じゃないですか」
 同日、19時半。
 私は、泣きごとを言う森下と、そんな彼の頭をぐしぐしかき回して慰めている鮫山の様子を横目で見ながら、約一名に冷ややかな視線で見下ろされていた。
「いくら動揺してても、普通殴らねぇだろ」
「……」
「それこそ警察沙汰になるだろうが」
「……」
「まさかと思うが、お前、誘拐犯に俺を殺させたかったんじゃあるまいな」
「んな訳あるかいっ!」
 今までは、確かに自分があほだったと反省して、火村の言うことに沈黙で応えていた私ではあるが、ここまで言われてはさすがに黙っていられない。
 私は座っていたパイプ椅子から立ち上がり、火村に人差し指を突きつけた。
「元々は、俺を騙した君が悪いのと違うか? ったく、朝井さんまで巻き込んで、こんな手の込んだドッキリ仕掛けくさってっ!」
「ドッキリじゃなくて、お前を保護しただけだって言っただろ。どうせ、どこかに閉じこめられるなら新作のひとつも上げた方が得だろうが」
 そう、今回の事件の真相はこうなのだ。
 とある事件がらみで、私の身にも危険が及ぶ可能性があったので、それに決着がつくまで一応保護しておいた方がいいでしょうと府警に告げられた火村が悪趣味な演出を思いつきくさった。
 我が家に脅迫電話をかけたのは、声色を変えた鮫山さんで、日本一長い誘拐犯からの脅迫状──勝手に命名:私──を作成したのは、朝井さん。
 どっちもノリノリでやってくれたぜ──と火村に告げられた時は、脅迫状を読んだときとは別の意味でくらくらした。
 一生とは言わないが、今年一年くらいは絶対にこいつを許してやらんと決意する程に。
 だが、この友人の最悪なところは、そんな私の決意をたった20文字程度の台詞でひるがえさせてしまうところである。

「許せよ。俺はお前のNo.1の愛読者なんだから」

2005.03.27

もともとは『助教授の身代金』(笑)というタイトルで書き始めた話だったのですが、
途中で脅迫状を書くのがとても楽しくなってしまい、『日本一長い誘拐犯からの脅迫状』がタイトル候補として浮上、
最終的には、今のタイトルに落ち着きました。
気の毒なのは森下くん。上の命令でアリスに真相を告げに行っただけなのに。
この話には全く関係ないのに、どうしてもとばっちりくらって鮫山さんに慰められる森下君が書きたくなったの。
なぜだろう?(←知るか)。内容ないのに、無駄に長くてすんません(>_<)

● Alice top ●


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