ありがたい話
「お前みたいな駆け出し作家が、いっちょまえにスランプに陥るだなんて、百万年早ぇんだよ」 ここ一月ばかり。どうにもこうにも筆(指?)が進まなくて、いっそ作家を止めて漁師になろうか? だなんて本気で考えてしまう程に追いつめられていた私は、本日、十年来の悪友の元を訪ねていた。 それをそのままネタにすることはないが、火村から興味深い事件の話の一つも聞けば、もしかして創作意欲が湧いてくるかも知れないと思ったからだ。 「最近の調子はどうだ? 先生」 と火村に問われ、正直に現状を語った私に対して、助教授が容赦なく言ったのが冒頭の台詞だ。 確かに火村の言う通りだとは思うが、どうもこいつには思いやりの精神というものが欠けているような気がしてならない。 いや、『そりゃ大変じゃないか。何か俺に手伝えることはないか?』だなんて、この助教授に言われた日には、鳥肌が立つのを通り越して、凍死してしまうに違いないが…… ともかく、火村のこの台詞で、私の心の片隅に多少はあった『愚痴って申し訳ないなぁ』という気持ちが吹き飛んだことは確かだ。 これこそが、私に気兼ねなく愚痴を言わせる為の彼の思いやりだとしたら、それは大層友達がいがあると言えるだろうが、悲しいかな、つき合いが長いからこそ解る真実。彼に限って──対有栖川有栖限定かもしれないが──それはない。 私は火村に絡んだ。 「そんなこというけどな、俺にとっては死活問題なんやで。友人としてちょっとは協力しよういう気にはならんのかい」 「俺がどうやってお前に協力出来るって言うんだよ。大雪で外界から遮断された別荘でおきた殺人事件に巻き込まれた体験談でも話せってか? 生憎と、そんなドラマチックな経験はしたことねぇよ」 「そんな経験、現実にあってもらってたまるかい。もし仮に、まかり間違うて君がそんな体験しとったとしても、それをそのまま小説にするほど作家としてのプライド捨てとらんわっ」 「なら、漁師になるのはかまわないのかよ。いや、作家のプライド云々の前に、そんなに簡単に転職できる職業だと思うこと自体、漁師に失礼だろうが」 「そんなん、単なる現実逃避に決まっとるやろっ。寿司屋のネタと小説のネタ、どっちもネタを捕まえるのが商売や。ネタつながりでいけるかなぁ〜とか思うてみただけやっ」 勢い込んで言った私に、火村はやれやれとため息をついてみせた。 「あのなぁ〜アリス。そんな面白くもない言葉遊びして喜んでるような奴に文章書き以外の何が出来るって言うんだよ。それに、お前の場合、スランプ──書けないというよりも、書かないだけだろ」 「違う。書こうと思うても書けないんや。根拠もないのに適当なこと言うなや」 多分、不満そうな表情を張り付けていただろうと思われる私に対して、火村はゆっくりと首を横に振った。 「いいや、書かないだけだ」 「だから、何を根拠に…」 再び反論仕掛けた私の言葉を遮って、火村は言った。 「ある連続放火事件の話をしよう──」 * * * 「連続放火事件? 放火に間違いないんですか?」火村の言葉に、その地方都市の中央警察署の刑事は力強く頷いた。 出張に出掛けたついでに、面識のあったその刑事──藤村の所に顔を出した火村は、彼に知恵を貸して欲しいと頼まれ話を聞いていたのだ。 「ええ、いずれも火の気のない場所が発火もとですし、発火装置らしきものも見つかっています」 「発火装置?」 「ええ、装置という程複雑なものではないですが。いわゆるお香と呼ばれるものですよ。線香なんかですと燃え尽きるのもはやいですが、外国製のものには下まで燃え尽きるのに30分程かかるものがあります。人気のない場所を選んで、それに火を点け、近くに灯油をかけた燃えぐさを置いておけば、十中八九はうまく行きます」 「なるほど。単純だけどうまい手ですね。その場から離れる時間が稼げる上に、万一失敗してもリスクは少ない。しかし、よくお香が発火装置だと解りましたね。発火地点だけに火の勢いはそこが一番強いでしょうし、そんな火力で焼かれたらお香なんてひとたまりもない」 助教授の台詞に藤村は人差し指で無精髭の生えた顎をポリポリと掻きながら応えた。 「そこはまあ、その気になって調べれば、灰の中からお香に使われている成分が検出されるということで。いや、あちらさんに鼻の利く人が居ましてね」 「あちらさん?」 「ああ、消防の方です。気のせいかもしれないけど、現場でいつもラベンダーの匂いがすると。あんな焼けこげた臭いが充満しているところで、そんなものが判る筈がないと思いつつ、半信半疑で調査してみたら、それがビンゴだったと言うわけで」 「これは私の偏見なのかもしれませんが、消防と警察あまり仲が良くない印象があるのですが、こちらでは双方の関係が良好なんですね」 「まあ──良好といえば良好でしょう」 藤村は空になったコーヒーカップを玩びながら、含みのある言い方をした。 「といいますと」 「あちらしては、我々に現場を荒らされるぐらいなら、何か情報を与えてさっさと引き上げてもらう方がまだマシだ、ぐらいの気持ちだった──というのが真相でしょう。互いに互いを信用してはいないが、表だって諍いもしない。彼らは彼らで火事は自分たちの現場だというプライドがありますし、こちらはこちらで犯人が証拠を残している場所は自分らの現場だというプライドがある。この辺りで、どうしても彼らと歩み寄ることはできないでいます。かといって足の引っ張り合いをする程、どちらも仕事に対しては不真面目ではない。まあ、そんな感じです」 「今回の件のように、情報を提供しあう程度には?」 「そうですね。それに、事態は変ななわばり意識を持っている場合じゃないくらいに切迫しています。今のところ死者は出ていませんが、一歩間違えば、そうなってもおかしくない規模の火事も数回ありました。もし、犯人に次回を許せば今度こそ死亡者が出るかもしれない。上やマスコミからの突き上げが厳しいことも確かですが、そんなことはどうでもいい。こういう言い方はなんですが、殺人犯の中には相手を殺したくなった気持ちが解らなくはない人物もいます。だからといってそれは許されることじゃない。ましてやこの放火犯は、何の罪もない人を焼き殺し兼ねないことをしでかして楽しんでいるんです。こんなことは許されてはならないことだと私は思います。だが、我々はその犯人を未だ捕まえることが出来ないでいる。そのことに、とてつもなく憤りを感じるんです。市民の安全を確保するのが私たちの一番の仕事ですから」 藤村の言葉に火村はゆっくりと首を上下させた。 「解りました。話を元に戻しましょう。今までに放火事件は7回起きていますね。それだけ回数を重ねれば、普通の犯人は何処かでボロを出しますよね。現場付近を撮影したビデオにはそれらしき人物は写っていなかったんですか?」 助教授の問いかけに藤村は、渋い顔で頷いてみせた。 「ええ、ビデオに映った野次馬の中に、皆勤賞だなんて解りやすい行動をしてくれる犯人ではないらしいです。もちろん、現場でも少しでも怪しい素振りを見せる者には片っ端から職質をかけてはいるんですが……。まあ、発火装置がアレですから、現場には戻らないタイプの犯人なのかもしれません。自分が起こした火事がニュースや新聞に載ればそれで満足するような。しかし……」 途中で切られた藤村の台詞を火村が補う。 「普通の犯人ならば、徐々にそれだけじゃ満足できなくなる。そして、火の手が上がっているところを自分の目で見たくなりそうなものなのに──」 火村の言葉に藤村は一度両手を打った後、人差し指を立てて見せた。 「そう! そこなんですっ! 子供の悪戯だって、こんなに何度も同じ手ばかりを使いませんよ。エスカレートもせずに、かといって飽きてやめることもなく何度も同じ事だけ。しかも放火と言えば大抵は夜なのに、この連続放火事件が起きるのは決まって朝。はっきり言って、私たちにはこの犯人の目的が解りません」 「目的、ですか──」 火村は僅かに目を細めると、藤村に向かって言った。 「藤村さん。犯人は現場のビデオに映っているかもしれませんよ。しかも、皆勤賞で」 「えっ!」 * * * 「で、そのビデオには犯人が映っていたのか?」「ああ、しかも皆勤賞で」 「ちょ、ちょお待て。なんで警察はそんな人物を見逃しとったんや? 有り得へんやろっ」 私は火村の話を理解しきれずに、右手で髪の毛を掻きむしった。 そんな私を火村が面白そうに見つて、応える。 「それがあった。割とお前の専門分野だと思うぜ」 「はっ?」 「心理的盲点。実際はハッキリとビデオに映っているのに、先入観が邪魔をしてその人物が見えてこない」 火村の言葉に私は「あっ」と声を上げた。 「つまり、毎回その場に居ても、全く不自然ではない人物が犯人やったということか……」 「おお、イイ線ついてるじゃないか」 「なら犯人は警察──いや消防官か?」 「はい、ご名算」 なにがご名算やと、火村に一瞥をくれた後、私は首を傾げた。 「でも、犯人の動機はなんなんや? まさかとは思うけど、その犯人、火遊びが好きだから消防官になったとか?」 「そんな奴なら消防官になる前に、放火で捕まるのがオチだろうが」 「なら、なんで?」 「ヒントはあるだろ。なんで放火が朝に行われていたと思う?」 「なんで朝か……そうかっ、自分で点けた火を自分で消すため。自分が勤務している時は放火できないし、非番の時は自分は現場に居ない。それを解決するのが発火まで30分かかるお香か。朝、出勤途中に火を点けて署に行けばその全てをクリアできる」 全てのピースが収まるところに収まって、小さく何度も頷きながら語る私に火村は冷たく言った。 「25点ってところだな」 「なんでやっ! 合っとるやろ」 「ああ、確かに合ってる。でも、お前は本当の『動機』を見逃してる」 「火を消すことが動機やないんか?」 「まあ、確かにそれも動機の一つだが、彼がしたかったのは『火の中から人を助け出し、燃えさかる炎から市民の財産を守る』ことだ」 火村の言葉に私は目を見開いた。 「そんな動機……」 「ああ、本来ならば有り得ない動機だ。だが、こう考えたらどうだ? 彼は、自分の仕事に誇りを持っている。市民の命と財産を守ることに生き甲斐を感じている。そして、自分が人の役に立っていると一番リアルに感じられるのが火の燃えさかる現場──」 ここで一旦言葉を切って、火村は煙草に火を点ける。 「もちろん、彼のしたことは許されることじゃない。だが、残念なことに、俺はその気持ちが解らないでもない」 「え?」 短く声を発した私を無視して、火村は話し続ける。 「この事件が世間に発表されずに内密に処理されたのは、日本の悪しき慣習に他ならないがな──と、まあ、これがお前が書けないんじゃなくて、書かないだけだと俺が断言する根拠だ」 「はあ? 日本の悪しき慣習が?」 「おいおい、いよいよ頭の中が立ち腐れたのか。お前の仕事は人様の不幸を願わなくても自分一人で出来ることだろう。そして、もしかすると、まかり間違って、1億人に1人ぐらいはお前の小説を読んで幸せな気分になる人がいるかもしれない、そういう仕事だろうが。甘えたこと言ってんじゃねぇってんだよ」 「火村……」 胸にじわじわと広がってくる暖かい気持ちに、思わず火村に感謝の言葉をかけそうになって、私は慌ててそれを飲み込んだ。 長いつき合いだからこそ解る。 火村はそんな言葉を望んではいない。 だから、代わりに君といつものやりとりを。 「せめて1万人に1人ぐらいにしてもらわないと、俺の小説を読んで幸せになれる人物は日本に1人しか居ないことになるやないか」 「何をずうずうしいことを。おおまけにまけて1000万人に1人がいいとこだろ」 10万人に1人。いや、500万人に1人──と、既になにがなんだか解らない交渉を火村とし続けながら私は確信する。 小説のネタは拾えなかったけれど、自宅に戻ったら、私の指がカタカタと軽快にキーボードを叩き出すことを。 小説を書いて食べていけるのが、私にとって最高の幸せであるということを、君が思い出させてくれたから── 2004.09.24
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