DA・KA・RA
『はい、火村』 午前0時半過ぎのコール。3回で電話の向こうから聞き慣れた友人の声がする。 どんな時間であっても、相変わらずの電話の出かた。 火村は電話に出る時、もしもしとは言わない。『です』も付けない。 本人にそんなつもりはないのだろうが、何だか偉そうな電話の出かただ。 「俺や。今、大丈夫か?」 『おう、アリス。ああ、平気だ。何か用か?』 何か用か? 火村の言葉が胸に刺さる。 用がないなら電話はするな。 そんな風に言われているような気がして。 もちろん、火村の言葉にそんな意図が微塵もないのは解っているし、私からの電話を待ちわびていろとは言わないが、もうちょっと表現に気を使え。 同じ内容でも、どうかしたか? と聞いてみるとか。 だから──おっと、危ない。 思考があさっての方向に向かうのを、首を数度振ることで押しとどめて、私は電話の向こうの火村に告げた。 「用があるから電話しとる。俺が今まで一度でも『用はないけど、君の声が聞きたくて…』とかいう、面白い電話掛けことあるか?」 『確かに。そんな楽しい電話を貰ったことはないな。失礼した。で、用件は?』 「3日後、そっちのエトーナノカドウでセールがある。食品含めて全部の商品が3割引や。欲しい物があるならその時がチャンスやで」 そう、今回の電話の理由はこれだ。 貧乏な大学院生に、印刷会社に勤める私がしてやれる最大の親切。 思いっきり守秘義務に反してはいるが、私と火村の間ではよくあることだ。 貧乏学生がひとり買い物上手だったところで、デパートが潰れることもあるまい。 それに、電話をかける理由もできる。 先刻火村にも言った通り、そんな面白い内容の電話を掛けたことなどないし、これからも掛ける気もないが、時折彼の声が聞きたくなるのも事実。 仕事に忙殺され、火村に限らず友人と過ごす時間が格段に減っている現在。 ゆるやかに時が流れていた学生時代を懐かしく思い出したりすると特に。 久しぶり。元気だったか。ちょっとご機嫌伺いに。 わざわざ用件など作らなくとも、そうやって電話をしてみればいいことなど解っている。 しかし、私の帰宅は連日深夜に及ぶのだ。理由もないのに電話をできる時間ではない。 たとえ、気心知れた友人であろうと。 『了解。お疲れのところ、わざわざご丁寧にお知らせ頂きありがとうございます』 「気色悪い言い方はやめ。しかも、心こもっとらんし」 だから、用件を伝えた後に続く、このやりとりは私にとって大切な時間だ。 少しでも会話の時間を引き延ばしたくて、わざとくってかかる。 『失礼な。我ながら近年まれに見る程の心のこめっぷりだぜ』 「こめっぷりってなんやねん。新手のスナック菓子やあるまいし」 『心をたっぷり込めての略かな』 「既に順番違っとるやん。思っとらんこと適当に言うから、すぐにボロが出るんやで」 『アリス、それは違うぞ。俺は思っていることを適当に言ってるんだ』 「余計悪いわ」 『悪くない。思っていることを口に出さないよりは、よっぽどいいさ。だから、今日はもう寝ろ』 口が裂けても肯定はしてやらないが、確かに火村の言うことはごもっともだ。 しかし、なにが『だから』なのだ。 接続詞の後の文脈がちっとも繋がっていないではないか。お前はそれでも日本人か? 「君に言われなくてももう寝るわ。それにしても君、英語で論文書きすぎて日本語忘れたんとちゃうか?」 『それはないな。他言語の文法を学ぶことによって、日本語の文法も改めて見直すことになるからな』 「誰がそんな真面目な話せぃ言うた。だから、何が『だから』やねんて聞いとるんや。解ったか、『だから』はこやって使うんや」 『その『だから』は意味が違うじゃねぇか』 「使い方が違うよりはいい」 『違わないさ。お前が欲しい言葉をやるから、無理矢理会話を引き延ばさないでもう寝ろって言ってるんだ。疲れてるんだろ』 「はぁ〜? 確かに疲れてはいるけど、俺の欲しい言葉ってなんやねん」 火村の台詞に私は本気で首を傾げる。 作家デビューとか一攫千金とかだろうか? ああ、我ながら想像することが俗っぽい。 私がそんなことを考えている間、たっぷり5秒は間を置いて、火村は言葉を発した。 『お前の声が聞けて嬉しいよ。用がなくても電話してくれよ』 「あっ」 絶句── なに気障なこと言ってるんだとか、そんな台詞は彼女が出来た時の為に取っておけだとか、色々返せる言葉はあっただろうに、そのどれもが私の口からは出てきてくれなかった。 『おやすみ、アリス』 無言のままの私に優しく囁いて、火村が電話を切る。 無音になった受話器を私はゆっくりとした動作で、電話機本体に戻した。 火村の台詞の意味を消化しきれなくて。 多少はあった眠たさも、今の火村の言葉で吹っ飛んでしまった。 受話器に手を置いたままの姿勢で考える。 その言葉の意味を── 15分程思案した後、私は再び受話器を取り上げた。 いわゆる、面白くて楽しい電話というのを早速掛けてやるために。 午前1時前のコール。1回半で相手が出る。 『はい、火村』 「俺や。今、大丈夫か?」 『おう、アリス。ああ、大丈夫だ。何か用か?』 つい20分程前のやりとりを、二人とも意識して繰り返しているのが解る。 「別に用はない──」 私はここで一端言葉を切った。 だが、続く言葉は決まっている。 君の声が聞きたくて── だから── 2003.10.06
このタイトルなんでしょうね。 |