ゆでたまご
『既に熱に潤んだ瞳をしている美津子の着衣を彼女の身体から取り去るのは、ゆで卵の皮を剥くように簡単だった。しかし、賢治はその白い肌にすぐに触れることはぜずに、暫くの間恥ずかしそうに睫を伏せる美津子の裸体を観察した。「賢治さん……」。まだ、着衣さえ一切乱してはいない賢治の視線に晒されていることに耐えきれず、美津子は彼の名を呼んだ。その呼びかけに微笑んでくれた賢治に美津子が安堵したのもつかの間。優しげな口調ながらも賢治は美津子を今よりも更に過酷な状況に追いつめた。「どうして欲しいのか、自分の口で言ってごらん」。「そっ…そんな……」』 ──実際に、こんなポルノ小説があったとして、果たしてそれが売れるのだろうか。 とある金曜の晩。 もらい物の酒を抱えてアリスのマンションに顔を抱いていた火村は、苦々しげな表情でTV画面を眺めていた。 他にめぼしい番組もないので、見るとはなしに、それでもやっぱり見ていた2時間サスペンス。 タイトルの後ろの8という数字がくっついているからには、なかなかの人気シリーズなのだろう。 最後まで見ていなくとも、火村にはそのトリックも犯人も既に判ってしまっていたが、キャラクター設定が面白いので見られない程の出来ではないなと思っていた。 主人公は、上が自己退職に追い込むことを目的として刑事課にまわした古株の女性警察官。 疎ましがられる彼女が、主婦の視点を持ってして事件を解決する。 まあ、大ざっぱにいうとそんな話だ。 そのおばさん刑事の旦那はポルノ作家で、今のシーンは彼女が彼の書いた原稿を朗読しているところだった。 ポルノ小説であるのに、日本昔話のように淡々した朗読はなかなか素敵であったが、その内容が頂けない。 いや、そのシチュエーションはなかなか楽しいか。 ならまずいのはキャラクターと文章力か。 ──だったら、いよいよ売れねーな。 火村が大まじめな顔をして、そんなことを考えていると、隣に座っていたアリスが不意に助教授の名を呼んだ。 「なんだよ」 「俺、前々から思うとったんやけど、君もそう思わへん?」 「…………仮にも職業作家なら主語を言えよ、主語を」 …………は、火村の頭の中を様々な妄想が駆けめぐっていた時間である。 妄想は大変楽しかったが、付き合いが長い分、それが期待はずれに終わることを敏感に感じ取った火村は、アリスに詳しい説明を求めた。 「ゆで卵の皮て、そんな簡単に剥けなくないか。俺が剥くとこう、どうしても薄皮に白身がくっついてくるんやけど、君はどうや?」 ──やっぱり。 思わずついてしまいそうになったため息を、危ういところで飲み込んで、火村は口を開いた。 「まあ、確かに難しいかもな」 「せやろ。きっと、一番最初にその表現を使うた人は自分でゆで卵の皮を剥いたことのない人に違いないぞ」 楽しげに語るアリスは知らない。 火村が自分の台詞に心の中で付け足した1行があることを。 少なくとも、俺がお前の服を剥くよりは── 2004.02.28
冒頭のエロ小説が何となく古くさいのは、そういう設定だからです。 |